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2014.05.20

マック、ありがとう、ホントにありがとう

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 2014年5月18日(日)21時23分、わが家の愛犬、ペキニーズのマックが天に召された。1999年11月19日生まれだから、14歳と半年に僅か1日だけ足りなかったことになる。

 マック! オマエが始めてわが家に迎えられたのは、2000年4月9日だった。帰省していた下の妹がたまたまペットショップの前を通りかかって、オマエを見つけたのだった。妹は早速にボクに電話してきて、興奮した口調で「お兄ちゃん! ものすごく可愛いペキニーズがいるから見においで!」と言ったのだった。しかしその時のボクたちはマンション住まいだったこともあり、犬を飼うなんていうのはまったく意識の外にあった。でも、妹のあまりの熱意に負ける形で、まあ見るだけ見るのならばいいか、ということで足を運んだのだった。しかし、店先のゲージに他の犬と一緒に入れられて、他の犬たちに踏んずけられながらも泰然としていたオマエを見た瞬間、ボクたちはオマエにすっかり一目惚れをしてしまった。ウチの奥さんなんかすぐにオマエを抱き上げて「この子はゼッタイにウチの子にする!」と叫んだもんな。

 オマエをウチに連れてかえって、とにかく厳しく躾けをしようと決意して、一晩はリビングに据え付けたゲージの中にオマエを入れたまま、ボクたちは寝室に引っ込んだ。オマエは淋しかったのか人恋しかったのか、そのあともワンワン鳴き続けていたね。朝になってリビングに戻ったボクたちは仰天した。晩のうちにたくさんのウンコさんをして、その中で暴れ回ったものだからリビング中がオマエのウンコさんだらけになっている。その中でオマエは、ボクたちの顔を見つけて、いかにも嬉しそうな表情で千切れんばかりにシッポを振っていた。これはボクたちの完敗。オマエはこれでまったく、ボクたちの生活の一部になった。

 それから14年余り。オマエはいつもボクたちの側にいてくれた。時には気まぐれでボクたちを悩ませることはあったが、オマエはいつも大きな瞳でまっすぐにボクたちを見つめてくれていた。外で嫌なことがあった時、仕事で辛い目にあった時、ボクは帰ってくるとすぐにオマエをしっかりと抱きしめた。オマエはちょっと困った表情を見せながらも、仕方ないな、という感じでボクに身体を預けてくれた。ボクはオマエのふかふかの毛に顔を埋ずめたら、外でどんな嫌なことがあっても、それがスーッと解消していくのを実感していた。ボクは、ボクたちがオマエを飼っているというのは実は建前だけであって、ボクたちこそがホントはオマエに面倒を見てもらっているのかもしれないと、いつも感じていたんだよ。

 ペキニーズのような小型犬の寿命は、12年から15年くらいだという。その中で14年半生きてくれたのだから、オマエは天寿をまっとうしてくれたのだと思う。しかし、今年に入ってからはかなり身体も弱ってきたのが目にみえてわかった。いつものお散歩コースもだんだんに短くなっていったし、しまいにはヨタヨタになってしまっていた。それでもオマエは、時々は転びながらも、いつもの自分のテリトリーをしっかりと見回っていたね。

 しかし、ついに難しい時が来た。体調を崩したオマエを診察してくれた動物のお医者さんからは、かなり深刻な状況であることを告げられた。ボクたちはオマエと別れなければならない恐怖に怯えながら、病院通いを始めることになった。治療も期待したほどの効果をあげない中で、しかしオマエは、お医者さんがびっくりするほどの頑張りを見せてくれた。

 5月17日(土)と18日(日)、東京の日本大学で日本考古学協会の総会がある。オマエの状況が気にかかっていたボクは、それに出席するかどうか、最後まで迷っていた。早くから協会には出席すると届け出ていたのではあるが、自信がなくなったボクは予約していたホテルをいったんは取り消し、協会総会には改めて委任状を送ることまでした。しかし、金曜日頃のオマエは、寝てばかりではあるものの、体調は安定しているように見えた。これなら大丈夫だろうと思って、ボクは東京に出かけて行った。でも、正直にいうと、京都に残してきたオマエのことが気になって、研究発表を聞いていてもほとんど気もそぞろだったんだよ。

 18日に考古学協会が終わると、ボクはすぐに新幹線に飛び乗った。オマエに付き添っていたウチの奥さんからは、昨晩のオマエはかなり体調が悪くて一晩中夜鳴きしたこと、幸い、朝にはちょっと安定して御飯を食べたこと、お医者さんにつれていって鎮静剤を打ってもらったので、そのあとは寝たままであることを知らせてくる。20時30分、ボクは帰宅した。オマエは玄関のタタキの涼しいところで寝ていた。大きな息を繰り返しているのが心配だった。ほとんど水も飲まないということだったのだが、ボクが身体を起こしてやって注入器で水を口に運んでやると、オマエは思いがけない強い力で注入器に食いつき、ペロペロと水を飲んでくれたね。それからはまた落ち着いて寝始めた。しかし、さっきまで大きな息をしていたのが、そのうちにだんだんと息が聞こえなくなってきた。あわてて身体を揺さぶると、2度3度、足を痙攣させた。そして、そのままスーッと力が落ちていった。それがオマエとの別れだった。
 しかし、最後の土壇場で、ボクはオマエを看取ってやることができた。いや、そうじゃないな。オマエはきっと、最後のさよならを言うために、ボクが帰ってくるまで頑張って待っていてくれたんだよね。

 マック、この14年間、オマエと過ごすことができて、ボクたちは本当に幸せだったよ。ありがとう。本当にありがとう。マック、愛してたよ。ボクたちはオマエのことを生涯忘れないよ。マック、どうか安らかに。


 〔元気な頃のマック〕


2014.05.16

マック、がんばって!

Photo
(↑ わが家に来たばかりの時のマック。凛々しい!)

 わが家の愛犬マック、三匹のペキニーズの一番お兄ちゃんである。しかし、もう14歳5ヶ月になっており、かなりの老犬の部類にはいってしまっている。そのマックが、3月末になってかなり体調を崩してしまった。毎日のように病院につれていくのだが、なかなか治療効果があらわれない。今月の9日にはついに後ろ足がまったく立たなくなって、完全に歩けなくなってしまった(泣)。それでも、水はどんどん飲んでくれるし、ご飯も流動食にして口に運んでやると一応の量を食べてくれる。ただ、本人自身も急に不安になることがあるのか、夜中に夜鳴きをしだして止まらないことがある。側に寄り添ってやったり、水を飲ませてやるとちょっとは落ち着くのだが、大丈夫かなと思って側から離れるとまた鳴き始める。これは、私たちにとってもかなり辛い。
 ただ、マックのような症状を調べてみると、我慢できないほどの激痛でのたうち回ることもあるらしい。マックの場合は幸いなことに、足は動かないのであるが、痛みは感じていないようである。このことはわずかな救いである。

 この子の介護で、今、ほとんど手が離せません。仕事をしていても、マックのことが気になって心ここにあらずという状態になっていることが自分でもよくわかる。このことが原因で、もしかすると皆さんに不義理をしたり、御迷惑をかけることもあるかもしれませんが、なにとぞ御寛恕願いたく思います。


2014.05.05

笠置山寺参詣、の巻

140504
 (笠置山の伝虚空蔵菩薩の磨崖仏)

 5月4日(日・祝)
 連休も終盤に近づいてくる。先日、京都国立博物館での「南山城の古寺巡礼」を見た影響で、急に笠置山に行きたくなる。ウチの奥さんは笠置山は始めてだという。
 
 せっかく行くのだから、まずは京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)。ちょうど、企画展「笠置寺の涅槃図と南山城の仏画・大般若経」を開催中で、笠置寺の巨大な仏涅槃図が展観されている。森島康雄さんがちょうど在館で、ほとんどつききっきりで展示解説をしていただいた。ありがとうございましたm(_ _)m。
 ここで学んだこと、いくつかをメモ。
 ○仏教用語にはまったく疎いので、「薄伽梵<バガボン>」というのを知らなかった。赤塚不二夫の「天才バカボン」ではない。これはお釈迦様のことである。しかし、ちょっとググッてみると、「天才バカボン」のネーミングは実はこの「薄伽梵」から発想されたものなのだ、とも言われている。あらら。
 ○笠置の飛鳥路区所蔵の大般若経の奥書「於飛鳥路宮奉信読 良澄 天文十八年巳酉三月日」。「信読」は「真読」だから、全部読むことになる。大般若経をパラパラとやる「転読」はよくおこなわれているが、真読というのはスゴい。全部読むのにどれくらいの時間がかかるのだろうか。
 ○大般若経の転読、城陽市平川の蓮開寺では今も2月15日におこなわれているという。そのうち参列したいな。御札も配布されているという。家内安全に効力ありというから、これも欲しい。
 ○宇治田原町の龍雲寺の大般若経奥書「嘉元三年乙巳十月 於金色院辻房書写畢 後見人母念仏(以下不明)」。森島さんに教えていただいたのだが、後冷泉天皇皇后藤原寛子建立の宇治の白河金色院の名称がでてくる初現史料なのだという。
 ○木津の岡田国神社大般若経(鎌倉時代)に貼り合わされた室町時代の奥書「於般若寺妙光院不省悪筆書写之 永正三年丙寅七月十二日 小比丘英柏」。「悪筆を省りみず、これを書写す」、えらく謙虚な人だな。悪筆に関しては人後に落ちない私としては、おもわず共感してしまう。

 昼ご飯は、「無鉄砲」本店でのラーメン。京都とはいうものの、はっきり言って、車でないと行くのを諦めてしまうようなへんぴな場所である。しかし、その実力はラーメン界に鳴り響いており、いつも大にぎわいで長蛇の列。私たちも1時間ほど待って、やっと入場がかなう。でも、美味しかった(o^-^o)。

 そして、笠置山。山頂近くまで車で昇れるとはいうものの、道が狭くてヒヤヒヤする。対向車が来た時など、ほとんど崖から落ちるんではないかというくらいの冷や汗モノである。しかし、笠置山寺は見事。本尊の弥勒様の磨崖仏は兵火のために剥落して光背が残るだけだが、伝虚空蔵菩薩の磨崖仏は完存。まあ、こんな巨岩の岩壁が目の前にあると、そこに仏様を彫りたくなる気持ちになってしまうというのもわかりますな・・・・。岩の間をくぐりぬけながら山頂を一周。頂上には伝・後醍醐天皇行在所の跡。そんなに大きくない山とはいえ、確かにここに立て籠られてしまうと攻略はかなり難儀だ。私が鎌倉武士でこの山の攻城戦に駆り出されたならば、すぐに返り討ちに会ってあえない最期を遂げてしまうだろうな。

 下山して、すぐに帰宅するつもりだったのだが、ウチの奥さんが「せっかく来たのだから温泉に入って帰りたい」と言い始める。まあ、それもいいか、ということで、笠置山の麓にある「天然わかさぎ温泉 笠置いこいの館」。ヌメリのあるお湯にゆっくりと浸かって肌がツルツルになり、ちょっとしたゼイタク気分である。


2014.05.03

ホンのささやかなチベット支援「ブルーブック」、の巻

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 この、青い小さな手帳。チベット亡命政権が亡命チベット人社会を援助するために発行している「ブルーブック」である。ブルーブック・プロジェクトに参加すると、この手帳がもらえる。参加者は、いつでもいいから、任意の金額(500円単位)をこのプロジェクトに寄附する。そうすると、金額に応じたスタンプ・シールが送られてくる。お金は亡命政権を通じて、 チベット文化の保護、亡命チベット人の子供たちの教育、チベット人亡命社会における民主主義の推進、チベット難民への支援などの資金にあてられる、というわけである。参加者はこの手帳にスタンプ・シールを貼ることによって、自分のチベットへの支援の履歴を確認することができる、ということになる。

 私もこの手帳を持っていて、時折であるが、ここに寄附をしている。とはいうものの、いつも金額は微々たるもので恥ずかしい。それでも、継続さえしていくならば、チベットの人々に対して何らかのお役にたつことはできるのではないかと思っている。このプロジェクトの概要は次のリンク先へ→「ブルーブックはチベット・サポータのしるし--あなたのブルーブックをつくって、 チベットを応援しませんか?
」。

 去年と今年にもダライ・ラマ法王が来日された。しかも、両方とも京都にお見えになったという。ぜひ御講演を聞きに行きたかったのだが、私自身の仕事とバッティングしたり、講演参加の抽選に漏れてしまったりして、参加することができなかった。残念。しかし、これからもブルーブックを通じて、ホンのささやかなものではあったとしても、チベットの人々への支援は続けていきたいと思っている。


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