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2014.08.11

2014年7〜8月の記録、の巻

Img_0131(←六道参り。マックにとっては初盆。水塔婆を供えて魂を迎える。)
 近畿地方の西部を南北に縦断した台風11号。ヒヤヒヤしていたし、京都市内でもかなりの雨だった。烏丸通もかなり水浸しで、通る車が盛大に水しぶきを跳ね上げていた。鴨川や桂川も懸念される状態になっていたが、なんとか持ちこたえたとのこと。ただし、八幡市と城陽市のあいだの木津川にかかる「上津屋の流れ橋」は、昨年に引き続き、また流れてしまったらしい。残念である。

 7月18日(金) (公財)古代学協会の「古代学講座」と、「古代文化」編集委員会。

 7月21日(月) 京都タワーホテルで、森浩一先生を偲ぶ会。同志社の卒業生が全国から集まり、久しくお目にかかっていなかった方々とも会えて、ちょっとした同窓会のよう。

 7月22日(火) 祇園祭(後祭)の宵山にでかけ、妻・母とともに町屋で食事。

 7月23日(水) 「森浩一研究会」。何をやっているかは、おいおい明らかにしていきます。

 7月24日(木) 3回生のゼミを校外学習に振り替えて、祇園祭山鉾巡行の後祭の見学。

 7月25日(金) 「京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会」委員を委嘱されたので、その第1回の会議。
 夜は、大阪市立大学文化交流センター(大阪駅前第2ビル6階)で、第18回関西比較中世都市研究会に出席。報告は渡辺健哉さん(東北大学大学院文学研究科専門研究員)の「移動する大カーン――大都と上都とその間」。これまでの我が国の研究の大勢では、元帝国(大元ウルス)を中国史としてしかみてこなかったと思うのであるが、モンゴル史を含む全アジア史的な立場からの研究で、学ぶところが多い。ところで私はといえば、仁木宏さんからの御指名で、それへのコメント役。とはいっても元帝国についてはまったく無知なので、「移動首都」についての乏しい知識を総動員してのコメントとなる。カール大帝のフランク王国の王宮の移動も改めて地図上に落としてみるなど、自分にも勉強になった。とはいっても、カダフィ体制樹立以前のリビア連合王国から同体制の初期にかけて、リビアの首都はトリポリとベンガジを巡回していたなんてこと、私にとっては子供の頃のリアルタイムの知識だったのだが、若い参加者の方々はあたりまえながらリアルでは知らなかったみたい。

 7月26日(土) 「まいまい京都」で、日本酒の飲み比べ会。

 7月28日(月) ウチの奥さんにひっぱっていかれて、京都ブライトンホテルで、元祇園の芸妓さんというかわった経歴をもつシンガーのMAKOTOさんの「JAZZ Night in BRAIGHTON !!~ディナーショー~」。感動。

 8月1日(金) 同志社女子大学の有志で続けてきた「新島八重研究会」、いちおうの中締めということで、学長先生肝いりで祇園でお疲れさま会を開いていただく。

 8月3日(日) 大学のオープンキャンパス。学科紹介、ミニ講義「史跡が語る京都の歴史」、体験型講座「博物館資料から学ぶ京都の歴史と文化」を担当する。
 夜は京都市内に戻ってきて、山中章博士を呼び出してのミニ飲み会。

 8月5日(火) 大阪歴史博物館の「難波宮展」、ぼやぼやして見過ごしてしまうと困るので、でかけていくことにする。しかし、博物館の前まで行ってみて仰天。大阪歴史博物館の休館日は月曜日だと思い込んでいたのだが、事実は火曜日なんだな! あれま。でも、これは仕方ないので、久しぶりの大阪城天守閣の見学に切り替える。このごろ、あらためて秀吉の時代の京都を考え直しているので、参考になる。城内にある「石山本願寺推定地」の石碑も、山科本願寺とのかかわりから興味深い。暑い中での見学の後には、めずらしくJR学研都市線に乗車して大学に出勤とあいなる。 

 8月6日(水)〜7日(木) 3回生のゼミ合宿。いろいろまよった末に、伊勢志摩ということになった。斎宮跡のいつきの宮歴史体験館では、学生たちが貴族の着物の試着や平安時代のゲームに熱中。斎宮歴史博物館でE村H之さんがご不在でお会いできなかったのは残念。伊勢神宮では遷宮の終わったあとの綺麗な社殿にお詣り。外宮で、前の正殿の解体工事をやっているところが垣間見えたのは僥倖。新設された「せんぐう館」も初めて行ったのだが、充実した博物館ぶりに驚く。

 8月8日(金) 朝日カルチャーセンター出講。午後は六道詣。マックの初盆ということで、祈りを捧げながら迎え鐘をつき、魂をむかえる。
 夜、T橋M明先生を囲んでN村T生さんの研究室でやっている内輪の小さな研究会の「林屋辰三郎氏の『京都』を読む会」。報告担当がまわってきたのであるが、当初考えていた内容を急遽変えて、「建春門院陵の再検討—それでも建春門院陵はもと後白河院陵だった—」を話す。以前からキチンとまとめねばならないと思っていた内容なのだが、途中で病気と療養が挟まってしまい、そのままズルズルとなっていた。今回、とある事情があって、やっぱり建春門院平滋子サマのファン(!)の私としてはちゃんと自分の考えを述べておかなくてはならないと思うようになった。改めて「玉葉」の記事をよく読んでみることができたのは収穫である。T橋先生やN村さんの反応が気になったのであるが、好意あるご意見をいただくことができ、まずは成功。

 【しゃべったこと】
□山田邦和(報告)「聚楽第復元研究の再検討」(「前近代都市論研究会」例会、於同志社女子大学今出川キャンパス栄光館、2014年7月6日)。
□山田邦和(報告)「車、くるま、クルマ—車に関する小ネタ集—」(科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」〈研究課題番号24520764〉研究会、於長岡京市中央生涯学習センター、2014年7月12日)。
□山田邦和(コメント)「渡辺健哉『移動する大カーン――大都と上都とその間』へのコメント」(第18回関西比較中世都市研究会、於大阪市立大学文化交流センター、2014年7月25日)。
□山田邦和(報告)「建春門院陵の再検討—それでも建春門院陵はもと後白河院陵だった—」(「林屋辰三郎氏の『京都』を読む会」、於中村武生歴史地理研究室、2014年8月8日)。

【社会活動】
◎京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会委員(2014年7月25日〜2015年7月25日)

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