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2014.12.24

2014年12月、の巻

Photo (←淡輪ニサンザイ古墳)

 続いて、12月。

 12月5日(金) 宮内庁の御厚意による、陵墓調査の「限定公開」。陵墓関係16学・協会の中の(公財)古代学協会に割り当てられている見学枠で、大阪府泉南郡岬町(つまり大阪府の最西南端)の淡輪古墳群にある淡輪ニサンザイ古墳(宮内庁治定の「垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命宇度墓(いにしきいりひこのみこと うどのはか)」)にでかける。
 せっかく行くのだから、と思って、電車を一駅乗り過ごして、この古墳群のもうひとつの大前方後円墳である西陵古墳をまず訪ねる。それにしても、強風が吹き荒れていて、寒い。
 淡輪ニサンザイ古墳のほうは、全長170mの大型前方後円墳。周濠の水をほとんど落としていて、墳丘裾にいくつものトレンチを入れている。須恵質の埴輪や底部に段のある埴輪が散乱していて、「淡輪の現地で見る『淡輪型埴輪』!」と盛り上がる。ハイライトは左側の造り出し。造り出しというよりも、ほぼ完全な方墳がくっついているといったほうがよい。埴輪列が立ったまま出土していることにも、感激。

 12月6日(土) 同志社大学で、文化史学会の大会。いつもは途中で疲れてしまって中抜けしてしまうのだが、今回は珍しくも、最初から最後まで、全部の研究発表を聞いた。ベルギーのブリュッセルの研究なんて、今までぜんぜん知らなかった分野であるから、勉強になる。それに、評議員会と総会では「監事」としての責務を果たすべく、会計監査報告をやる。

 12月7日(日) 同志社女子大学現代社会学会の京都研究会のフィールドワークで、東福寺と泉涌寺。紅葉はほとんど散ってしまっているが、その分、ゆっくりと拝観することができる。泉涌寺の宝物館である心照殿では、ちょうど「泉涌寺における天皇の御葬儀」という特別陳列をやっていたのは、思わぬ収穫である。以前から疑問だったのは、泉涌寺に天皇が葬られる初例は鎌倉時代前期の四条天皇とされていること。実はその先代である後堀河天皇の陵が泉涌寺と表裏一体である今熊野観音寺にあって、これを泉涌寺の天皇陵の初現としてもさしつかえないはずなのだが、そうはなっていない。変だな、と思っていたのであるが、今回の特別陳列で永年の謎が解けた。泉涌寺では四条天皇陵を自らの初現としてとらえており、後堀河天皇陵については意識的に「抹消」しようとした形跡があるのだという。

 12月9日(火) 「森浩一研究会」。だんだんに、企画が具体化してくる。

 12月11日(木) 学部の忘年会。地下鉄丸太町駅近くの店で、フグ。

 12月12日(金) 朝日カルチャーセンター京都で、巡見。織田信長の墓を訪ねよう、というので、寺町をさかのぼって、阿弥陀寺へ。信長墓への参拝を済ませて、墓地の掃除をしていたオッちゃんに挨拶をすると、「こんなの知ってますか?」と言われて、墓地の中央にひっそりとたたずむひとつの墓石の前に案内される。なんと、先ごろ亡くなられた大女優・森光子さんのお墓である。森光子さん(本名・村上美津)って京都の出身なのだが、亡くなったのは東京だし、葬儀も東京でおこなわれたはず。でも、お墓は京都にあるんだな。びっくり。

 12月13日(土)・14日(日) 都市史学会2014年度大会。昨年の第1回大会は東京でおこなわれたのだが、第2回である今年は京都が舞台となる。昨年の総会でいろいろと発言したのが祟った(?)のか、今回はシンポジウム(「都市史の現在II」三枝暁子司会、パネラー:山田邦和・松山恵・本内直樹・長谷部史彦・加嶋章博・河角龍典・高木博志・大橋竜太・三浦徹・青井哲人)での報告を依頼された。私の担当は「日本古代都市史」という漠然としたテーマである。しかしやっぱり恥ずかしいことはできないから、この数ヶ月、うんうんと唸りながら準備を進めていた。日本古代というものの、そのすべてを扱うことは時間的にも能力的にも不可能だから、副題を「平安京の比較都市史的評価」とさせてもらう。
 論点はふたつ。第一は、平安京の時期別の実像の復元。かつて「前期平安京の復元」(仁木宏編『都市—前近代都市論の射程—』に初出。後、山田『京都都市史の研究』所収)という論文を書いて、前期(9世紀代)の平安京の復元試案を提出したことがあった。本当はその時に中期・後期についてもやっておきたかったのであるが、果たすことができなかった。それを今回の機会にやろう、と思い立つ。平安京の考古学的調査や文献史学的研究の情報をシコシコと拾い出し、地図に落としていく。締め切りギリギリであったが、なんとか形にすることができた。
 第二は、平安京を始めとする日本の古代都市が、世界史の中でどういう位置づけになるか、という問題。私の僻み根性かもしれないが、日本の都市はしばしば過小評価されているように思う。「日本古代都城は中国のそれの単なるミニチュア・イミテーション」とか、「西欧の都市のような立派な城壁を持つものこそ真の都市。それに比べて日本の都市は・・・(軽蔑)」とか、「西欧のような都市住民の自治を持たないものを都市とは呼べない」とか、ひどいのになると「日本には都市は存在しない」などと酷評されてきたのである。
 そこで、1世紀から12世紀までの世界の古代都市を50ヶ所選び出し(50という数字はキリがいいだけで、特段の意味はない)、それらの縮尺を統一してみて、面積の比較をおこなうことにした。ここでわかったのは、魏(北魏)洛陽とか唐長安とか宋(北宋)開封といった中国の首都は巨大すぎて、比較の基準になりにくいこと。そして、そうした特Aランク都市を除くならば、平安京=京都は世界的にもAランクに位置づけられるし、その中でもかなりな地位にある。私の試算では、11〜12世紀では特Aランク都市は宋(北宋)開封や宋(南宋)臨安であるが、京都の面積は25㎢で、これはエジプトのアル=フスタート&カーヒラ(カイロ)やカンボジアのアンコール、金の中都(現、北京市)と並んでAランク都市の首座を分け合っており、世界的にも充分に巨大都市といいうる。それに対して、この時代には西ヨーロッパではまだまだ都市はこじんまりとしたものにとどまっているのである。
 それに、ひそかな悪だくみとして、この比較の中にはアメリカ大陸の古代都市をいくつか忍び込ませておいた。そそれは、「世界は中国と西欧だけではない」ということを示したかったのである。そもそも、1〜5世紀の世界においては、面積的には第1位都市は中国・魏(北魏)洛陽であるが、第2位都市はメソアメリカのテオティワカンである。これだけの巨大都市を造っているのにそれを扱わない、というのでは、比較都市史研究の名が泣くではないか!
 いささか冒険的で、妄想ともいわれかねない研究報告であったかもしれない。私自身、ここで選んだ50ヶ所の都市のうち、これまで自分の足で踏みしめたのは半数にすぎないから、とてもとてもエラそうなことを言えたものではない。しかし、あんまりこういう研究をやった人はないようなので、会場の皆さんの反応もわりあいに好意的であったような気がする。終了後は、高野川の近くの焼肉で、打ち上げ。

 12月16日(火) ウチのゼミの、卒論の第一次提出日。おおむね、提出が済む。

 12月17日(水) 卒論が済んだということで、四回生の忘年会。

 12月18日(木) 平安京・京都研究集会の準備会。次回は、京都近郊の中世の山城をテーマとすることが決まる(「山城(国)の山城」?)。

 12月19日(金) 今年最終の、(公財)古代学協会の『古代文化』編集委員会と、同協会の忘年会。東京から理事長もお越しいただいて、盛り上がる。

 12月23日(火) 22日に今年の授業の最終。23日は、鎌田久美子さんのご夫妻とともに会食。一年を振り返る。

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