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2015.04.18

河角龍典氏を悼む

 4月14日(火)
 授業の後片付けが終わって、帰宅途中の電車の中で、山中章さんから携帯電話に連絡をいただいていたことに気がついた。とはいっても電車の中でかけ直すわけにはいかない。やっと駅に着いて、山中さんに電話する。また飲み会のお誘いかな?と思ったのだが、電話口から聞こえてきたのは、思いもかけぬ悲報だった! 昨・4月13日の深夜、河角龍典立命館大学文学部教授(地理学)がお亡くなりになられたというのである! 思わず、声を失い、立ちすくんでしまう。44歳の誕生日を目前に控えていたという若さであった。

 河角さんと初めて面識を得たのはいつの頃だっただろうかちょっと記憶にないのだが、親しくなったのは、山中さんが主催した国立歴史民俗博物館の共同研究「律令国家転換期の王権と都市」とそれに引き続く同館の企画展示「長岡京遷都—桓武と激動の時代—」の展示準備の時だった。ふっくらとした丸顔で、いつも微笑をたやさず、若いながらいかにも「大人〈たいじん〉」の風格をたたえていることが印象的だった。専門は地理学なのだが、その中でも特にコンピューターによるGIS(地理情報システム)を活用した過去の地形復元に専心しておられた。特に、平安京の復元研究には瞠目した。『平安京提要』所収の「左京と右京」のデータを徹底的に分析し、コンピューターの画面上に鮮やかに平安京の実像を浮かび上がらせていた。実はこの「左京と右京」は私が執筆したものなのであるが、そのデータがこんな風に活用されるなんて、電子機器に疎い私にはまったく想像もつかず、まさに目を見開かされるばかりだったのである。

 当時の河角さんは立命館大学大学院で博士号を取得されたのであるが、それからしばらくは任期制の教員という不安定な身分の中で懸命に頑張っておられた。将来への不安を口にすることを聞いたこともあるのだが、幸い、そのバツグンの業績が認められ、母校の専任の講師に採用され、それから間もなく准教授に昇進された。さらに、昨年度には若くして教授に昇進されていた。

 昨年、私は、「都市史学会」の委員をつとめておられた立命館大学の三枝暁子さんから、同学会の大会での報告を依頼された。そこで、私の報告へのコメントをやっていただけるのが河角さんだと聞かされ、私は大変嬉しかった。準備会の飲み屋で久しぶりに河角さんと会い、いろんなことを語り合うことができた。しかし、その場で衝撃的なことを聞かされた。河角さん、ちょっと前に病気を患い、一端は軽快したものの、またそれと闘っておられるというのである。しかし、外見を見た限りでは、やつれた様子もほとんど見えないし、さらには逆に私の体調を気遣ってくださっていたので、大丈夫なんだろうな、と思っていた。12月の大会の当日にはいつものように飄々とした姿で登場し、雑駁な私の報告に対して的確なコメントをつけ、さらには自らが積み重ねてこられた仕事の意義をまとめておられた。その時も非常にお元気に見えたので、私はすっかり安心していたのである。しかし、それからわずか4ヶ月でこの悲報を聞くことになった。3月の大学の卒業式にはちゃんと出席されていたのだというから、それから間もなくまた入院されたのであろう。

 学識、業績、人格、ともに兼ね備えたすばらしい研究者だった。本当に惜しい人をなくしてしまった。河角さんのご冥福を、心より祈りたい。

 


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