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2015.05.18

いわゆる「大阪都構想」の頓挫

 5月18日(月)
 5月17日、「大阪市廃止、その領域を分割して5つの『特別区』を設置する」構想(いわゆる「大阪都構想」)についての住民投票がおこなわれました。私も関心をもっていますので、テレビの速報を食い入るように見ていました。最初、開票率数%の時には反対が優勢だったのですが、開票が進むにつれて賛成票が増加していきます。開票率50%、60%、70%と進んで行くのですが、賛成票が1万あまり反対を上回っています。あぁ、これはもうダメだな、とあきらめかけたのですが、開票率90%を越えるあたりから、今度は反対票が逆転。しかし、90数%に達しているのに、まだ結論がでません。やきもきするような時間が過ぎました。画面に「反対が勝利、確定」の文字が踊ったのは、最後の土壇場でした。最終結果によると、賛成が694,844票、反対が705,585票だったというのですから、ほんの僅差の勝利でした。

 結果が出た時には、思わず、やった!と声をあげました。この7年半の間、大阪を席巻してきた「橋下劇場」の終焉という歴史的瞬間だったからです。テレビのニュースは、「大阪都構想」頓挫、橋下氏の政界引退宣言などをはなばなしく報じています。しかし、そのあと、安堵とともに、なんとも言いようのない徒労感に襲われました。この間、大阪の政治的対立のために使われたお金、労力は莫大なものですし、住民同士が敵味方に分かれてしまうという結果も生まれました。その中で犠牲となった、たとえば大阪府立国際児童文学館といった文化施設はもう戻ってはこないでしょう。私には、「橋下劇場」の幕が降りた後には、ただ茫漠たる廃墟が広がっているように見えるのです。

 橋下「維新」の支持者は、口々に「橋下氏に大阪を変えてほしかった」「大阪の改革を進められるのは橋下氏しかいなかった」「現状維持はけしからん」と言います。しかし、「改革」にも、良い改革と悪い改革があります。それを区別せずに、ただただ変えればよいのだ、というのは理性的な対応とは思えないのです。

 「橋下劇場」が終わってから、これからの大阪の指導者がどなたになるのか、私にはわかりません。しかし、どなたになろうとも、今後の大阪のためにお願いしたいことがあります。大阪の未来は、橋下氏が主張したようなカジノを誘致してバクチ都市にしていくとか、橋下「維新」政権の顧問をつとめた堺屋太一氏が「必ず儲かるぞ」と豪語した「道頓堀プール」等の「大阪10大名物」のでっちあげとか、そういうところに求めてはならないと思うのです。

 なによりも必要なのは、「都市格」です。都市の格が上がれば、自然と人々は集まり、結果として経済効果もあがります。これについて、前に書いたものを引用しておきましょう(山田邦和『日本中世の首都と王権都市』〈文理閣、2012年〉346頁)。
 「最近、「都市格」というものが論じられることがある。現在の京都は、必ずしも実力の上では日本を代表する都市ではない。(中略)しかし、それでも「都市格」を考えた場合、京都はいまだに世界的に日本を代表する都市のひとつである。(中略)これは、やはりなんといっても歴史的に見て京都が高い「都市格」を維持してきたからである。たとえば、大阪は明らかに日本を代表する都市力を持つ都市のひとつである。しかし大阪の「都市格」は、必ずしもその実力に見合うだけのものとはみなされていない。大阪からはそうした現状に対する悔しさが聞こえてくる。大阪の人々は、大阪がそれにふさわしい「都市格」を持つようになることを熱望しているのである。大阪はかつて「下衆<げす>の町」と罵られたことがある。大阪はあれだけの都市としての実力をもちながら、文化的には下衆の町であると言われてきたのである。しかしその後の大阪は、そう言われたことを逆にバネとしていろいろな文化的事業を推し進め、今ではそうした悪評を払拭するにいたっている。大阪は単なる経済力だけの都市ではないんだ、格の高い都市なのだということを実証するために、大阪の政財界はいろんな施策を進めてきているのである。大阪の政財界は、明らかに都市開発を推し進める側に立っている。その開発側が、自らの都市を「文化都市」にすることを熱望し、それを通じて大阪の誇りを取り戻そうとしているのである」。しかし、「二〇〇八年に大阪府知事に就任した橋下徹は、大阪府の財政再建と行政改革を旗印に掲げ、文化施設や文化関係団体への予算を大幅に削減するという政策を推し進めた。さらに二〇一一年には橋下は大阪市長に転じ、府知事には橋下の側近である松井一郎が就任した。大阪はこれまで営々と築いてきた「文化都市」の蓄積を放棄し、新たな「下衆の町」へ回帰することを選択したといわざるをえない」(橋下氏は、文化を敵視し、弾圧に余念がありませんでした。文楽にたずさわる人々を「既得権者」として圧迫し、「文楽やクラシックが芸術だというのならばストリップも芸術で、おんなじだ」「能や狂言が好きな人は変質者」と公言してはばかりませんでしたから)。
 つまり、これからの大阪は、ふたたび、文化都市であり「都市格」の高い都市であるという方向に進んでいってほしいのです。大阪の市民の良識と活力が良き指導者のもので再結集されるならば、必ずや大阪はすばらしい都市として発展していけると信じています。


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