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2015.09.14

映画「ダライ・ラマ14世」、の巻

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 9月14日(日)
 いやあ、泣きました。2時間の上映時間、ほとんど涙を流しっぱなしだった。そう、待望の公開、映画「ダライ・ラマ14世」。9月12日から18日まで、京都シネマで上映される。ただし、日に一回だけの上映だから、時間を見計らって駆けつけなくてはならない。半時間ほど前に到着すると、観覧券売り場は長蛇の列である。じぇじぇっ!と思ったのだが、なんとか空き席に潜り込むことに成功。ただ、やはりさいごは立ち見も出ていたぞ。
 映画が始まって、ダライ・ラマ法王が呵呵大笑しておられるお顔がアップで登場しただけで、もういけません。涙腺崩壊です。法王のジョークに笑い泣き、法王の獅子奮迅の活躍に感涙、チベット民族の苦難に袖を絞り、その中で難民となったチベットの子供達があくまで前向きに笑い合っているのを見てまたまた目頭を熱くする。やっぱりワタクシ、この御方が好きで好きでたまらんのですね。

 映画自体は、「ダライ・ラマ入門」といった内容で、わかりやすい。東日本大震災の映像や日本の閉塞感についての新聞記事の連発といった不必要なシーンが挿入されていて全体のテンポを損ねてしまったことは大幅減点だが、そうした演出のささいな瑕疵を覆い隠して余りあるのは、やっぱり法王の存在感である。

 チベットからインド・ダラムサラに逃げてきた難民の子供達へのインタビューがかなり入っていた。印象的だったのは、その子供達が異口同音に「ここで、優しい人たちに囲まれて勉強できて楽しい。私は幸せだ」、欲しいものは何?という質問に対して「何もいらない。満足している」と答えていたこと。1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王は中国統治下のチベットから脱出せざるをえなくなり、インドに亡命してそこに亡命政権を樹立したのであるが、その時の苦しい状況の中で法王がまず取り掛かられたのが、未来を担う子供達のための学校の設立だった。その地道な努力が大きく育っていることに、感動。

 2時間があっという間だった。最後のシーンで法王が力強く「Don't worry!(心配しなさんな!)」と叫ばれたことが爽快。生きる力をもらいました。法王猊下、ありがとうございました。

2015.09.09

中世都市研究会2015年上越大会、の巻

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(↑ 新発田城。左端が天守〈三階櫓〉)

 今年の中世都市研究会は、新潟県上越市での開催。5日の午前に見学会があるので、9月4日からでかける。

 9月4日(金)
 朝、京都発。東京行きの新幹線が10分ほど遅れて到着。東京駅での乗り換えに時間が少ないので、乗り遅れたらどうしようかとハラハラしたが、東京には定時到着で一安心。そのまま上越新幹線と在来線を乗り継いで、前回の新潟行きでは割愛した、新潟県新発田市に降り立つ。

 お目当ては、新発田城。天守(正式には「三階櫓」だが、実質上は天守)が、最上層の屋根の平面がT字形で、棟のシャチホコが3つ載っているという不思議な形をしているのは、明治の古写真でおなじみだった。天守はそののちに取り壊されたが、平成16年に復元されたというから、お城好きとしてはぜひ立ち寄ってみたかったのである。新発田駅からはバスもあるが本数が少なく、ちょうど出たばかりだったので、時間節約のために行きはタクシー。
 新発田城は、本丸の一部と二ノ丸の一部が公園となっていて公開されている。本丸表門と本丸の西南の櫓が国の重要文化財指定。本丸の辰巳櫓と天守が復元である。とはいうものの、本丸西南の櫓も、元々ここにあったのではなく、二ノ丸の北部にあったものを昭和35年に移築したのだという。辰巳櫓は復元ではあるが木造で旧状に忠実に復元されている。門、ふたつの櫓ともに、内部に立ち入ることができるのは嬉しい。西南の櫓から見ると、前面の濠が妙な具合に突出していて気になったのだが、これは本丸の南側に帯曲輪が延びていて、そこに土橋門があったのだという。あと、特筆されるのは石垣の美しさ。石材の加工ぶりがハンパではない。ただ、本丸表門の北側では石がズレているところがあり、気になる。
 天守は期待通り、外観が美しい。T字形の屋根も、写真で見たほどの違和感はなく、むしろ周囲によく溶け込んでいる。ただ、本丸の大部分は立ち入り禁止で、天守の側に寄ることもできないはちょっともったいない感じ。なぜかというと、本丸から二ノ丸の北半分が陸上自衛隊の駐屯地になっているから。せめて動線を工夫したりして、天守に近づけるようにはならないのかな。本丸には自衛隊のクルマが多数停められているのが見える。誰がつけたか知らないが「戦国自衛隊の城」(?!)というニックネームがあるそうで、言いえて妙である。
 
 先を急ぐので、自衛隊の「白壁兵舎広報資料館」をちょっと覗いてから、新発田の城下町を駆け足で通り抜ける。城下町には「寺町」があり、なかなかの風情である。それから、大倉喜八郎のふるさとが新発田であるということを始めて知る。

 なんとかJRに間に合い、そのまま新潟市へ。「新潟市立歴史博物館みなとぴあ」に行ってみたかったのである。ただ、バスの本数が少なく、しかも市街地を大回りするので予想外の時間がかかる。広い公園と一体化されており、博物館本館は明治44年(1910)~昭和8年(1933)の2代目新潟市庁舎のイメージで新築したとやらで、文化財建築と見紛うばかりの堂々たるものである。
 時間がないのでゆっくりと見ることはかなわなかったが、いくつも勉強させてもらうことがある。中でも新鮮だったのは、阿賀野川・信濃川の河口に新潟港、沼垂港、蒲原港の三つの港があり、このうち新潟港は長岡藩の、沼垂港は新発田藩の外港であったこと。これ、重要だよね。

 新潟県は大きいので、移動には時間がかかる。そのまま上越市(高田)行き。交通機関の乱れで到着が大幅に遅れてウンザリしたのであるが、高田の駅に降り立って周りを見回すと、別方向から歩いてこられる方がいる。ありゃ。今回の基調講演を担当される高橋一樹さん(武蔵大学教授)だ! 聞いてみるとホテルも一緒のところだということで、お互い、奇遇を喜ぶ! では、ついでに飲みにいこう、ということになり、新鮮なお魚を食べさせてくれる店を探して、談論風発。こんなことがあると、遅れるというのも悪くないな。楽しい時間だった。

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(↑ 高田世界館)
 9月5日(土)・6日(日)
 こうした研究会は、たいていは大学であるとか市民会館を会場とするのであるが、今回はちょっと違って、「高田世界館」というところでやるという。なんでも、目明治44年(1911) に芝居小屋として開業、大正5年(1916) に映画館となったもので、今も当初の建物が残されている。いったんは取り壊しの危機に見舞われたが、それを惜しむ市民団体の手によって今も現役の映画館として続けられ、建物は国の登録有形文化財にもなっているのだという。こういうところを会場としたのは、今回の実行委員会の皆さんによる、イキなはからいである。
 土曜の午前は直江津の町を巡見。守護所の有力候補地である伝・至徳寺跡を確認できたのは収穫。ただ、時間の関係で、国分寺に行けなかったのはやや残念だった。これは再訪しなくてはなるまい。
 土曜午後から日曜は、研究会。特に、高橋一樹さんの基調講演「中世北東日本海の水運と港湊都市」は北陸地方全体を視野にいれたダイナミックな報告。そのほかの方々の報告も、北陸まで来た阿波の板碑、佐渡、珠洲焼、七尾、信濃善光寺など、いずれも学ぶこと多し。
 討論も興味深い論点がたくさんでたのだが、終わりがけのところで、そろそろ帰りのことが気になってボーッとしてたら、司会の福原圭一さんから突然の御指名を受けてしまい、いささかドギマギしながら、学ばせてもらったことをもとにこれから勉強していきたい方向性をしゃべらせてもらう。

 帰りは雨。新設されたばかりの上越妙高駅から、はじめて北陸新幹線に乗る。駅で待ち時間があって看板を見ていると、「釜蓋遺跡、あっち」という表示。なんじゃこりゃ、と思って表に出てみると、駅前に大きな遺跡公園と、小さいながら充実した資料館がある。弥生の玉造遺跡などからなる複合遺跡だという。とんだ儲け物である。

 晩御飯は、北陸にいった時の定番となっている、富山のマス寿司の駅弁。京都着は21時。

 【書いたもの】
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・黒田正子・佐々木歩・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・中村正司・西村彰朗・細田香織・前川佳代・村岡真千子・町田香・山田邦和執筆『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2015年8月31日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は9・10・101・108・206・207各頁)。

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