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2015.10.25

大住隼人舞、の巻

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 10月14日(水)
 京都府京田辺市大住の月読神社の例祭、「大住隼人舞」。京田辺市に勤務地がありながら、なんやかんやでサボっていて、実は初めての経験。「大住」は南九州の大隈(現・鹿児島県東部)のこと。古代に南九州の隼人が畿内に連れてこられて、平城宮において天皇に奉仕していた。その居住地として指定されたところのひとつが、山背国の南部で、大住郷と呼ばれるようになった場所である。平城宮から異形の「盾」が出土し、それが「隼人の盾」と推定されるようになって注目を集めた。地元でもせっかくのこの時代背景を生かそうということで、鹿児島県の神社から習ってきて、1971年から始めたのがこの「隼人舞」。隣接の大住中学校の生徒さんが熱演を繰り広げる。音楽も、なかなかテンポとリズムが軽快で気持ちがいい。


2015.10.04

徳島で阿波公方と土御門天皇の史跡を訪ねる、の巻

 9月15日(火)
 大阪府富田林市を拠点として活動する「南河内シニア文化塾」から依頼を受け(中尾芳治先生の紹介とのこと)、平安京の話をしにいく。午後は、ことのついでに、久しぶりに大阪府立近つ飛鳥博物館と一須賀古墳群の見学。

 9月19日(土)
 ここから三日間、早朝にテレビ撮影。早起きがツライ。
 午後は一般財団法人朱雀基金の研究会。ちょっと風邪ひきのため、懇親会は早々に失礼する。

 9月20日(日)
 撮影を終えて、午後は「まいまい京都」で鳥羽殿跡の見学会。
 夜は、全日空ホテルで伯父の誕生会。東京に転勤になった妹も帰ってきて、久しぶりに一族が揃う。伯父は、なんと97歳!! 杖はついてはいるが、まだまだ元気なのがありがたい。

 9月22日(火)・23日(水)
 恒例の、ゼミ(三回生の「応用演習」)合宿。今年の目的地は、福井。永平寺、一乗谷朝倉氏遺跡、恐竜博物館、東尋坊などを回る。お目当ての恐竜博物館は大入り満員で、駐車場にはいるのにも一時間待ちというのにびっくり! 朝はちょっと早起きして、ひとりで勝山城博物館の模擬天守を眺めながら、平泉寺の入り口までたどりつく。


Img_0067(←阿南市西光寺の足利家阿波公方墓所)


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板野町金泉寺の長慶天皇陵伝説地)


Img_0145(←鳴門市の治定・土御門天皇火葬塚)

 9月26日(土)・27日(日)
 徳島行き。徳島市考古学資料館に花園大学で教えた村田昌也君が勤めているので、そこの考古学講座に呼んでもらう。テーマは「天皇陵の考古学」。びっくりしたことに資料館の研修室が大入り満員。「この資料館の講座が始まって以来の入場者記録です!」と喜んでもらえたのはありがたい限り。ただ、私が有名だということではなく、テーマが面白そう、と思ってもらえたのだろうな。
 これもありがたいことに、徳島にはゆかりの深い方が多い。県埋蔵文化財センターには同志社大学での先輩の菅原康夫さんと後輩の藤川智之さん。さらに、花園で教えた卒業生が村田君はじめ、県教育委員会の岡田圭司君、阿南市教育委員会の向井公紀君とも、3人もいる。夜、皆さんと一緒に楽しい呑み会をやらせてもらったのも嬉しい限りである。

 せっかくでかけていったのだから、翌日の日曜日は村田君に案内してもらってあっちこっちの見学。今回はせっかくだからちょっと変わったところということで、まずは足利家阿波公方の史跡に向かう。徳島県那賀川町にある、と記憶していたのだが、実は2006年に同町は阿南市に合併されていた。阿南市というと前述の向井君の勤め先であるから、この点でも大変にぐあいが良い。阿南市立阿波公方資料館で向井君に出迎えしてもらい、さまざまに案内を受ける。
 阿波公方というと、室町幕府の第10人目の将軍の足利義稙(義材)がここに逃げてきて始まる。その養子の義維(義冬)(実父は第11人目の将軍義澄)は細川晴元・三好元長の援助を受けて実兄である第12人目将軍義晴を近江に追い払って堺にはいり、事実上の将軍として「堺幕府」を樹立した。しかし、細川晴元と三好元長が対立したことがきっかけに堺幕府は崩壊、阿波に戻ることになる。その子が室町幕府第14人目の将軍となる義栄(義親)である。三好三人衆に擁立されて上洛を目指し、ライヴァルで織田信長に擁せられた義昭に一歩先んじて将軍職を手にするという栄誉をモノにするが、すぐに信長が上洛戦を開始したため、結局は京都にはいることなく病没してしまう。
 その後、阿波の足利家は天龍寺荘の平島を拠点として存続して「平島公方」と呼ばれるようになるが、新たな阿波の支配者となった蜂須賀家からは冷遇されまくったというからお気の毒である。資料館には江戸時代の平島公方家が発行していた「阿波 足利家〔清和源氏印〕」と記した「マムシ除け」のお札も展示されている。これ、平島公方の数少ない現金収入の手段だったというから、やっぱり、お気の毒。

 資料館の近くの西光寺には、歴代の阿波公方・平島公方の墓所がある。特に、義稙、義維(こちらでは阿波にはいってからの「義冬」の名を使っている)、義栄の墓は本堂の前に特別扱いされている。また、資料館にはこの三人の小さな木像が展示されている。京都の足利家の菩提寺である等持院には義稙像は存在するのであるが、将軍になっていながらも京都に入れなかった義栄の像は欠けている。ましてや、「堺公方」義維の像は京都にはない。上洛を果たして天下に号令しようとしたが、結局はその夢も充分には果たせなかったこの三人の墓と木像。なかなか感慨深く眺めることができる。

 昨晩、呑み会で南朝の長慶天皇の御陵の治定の沿革を話題にした時、藤川さんが「長慶天皇陵ならば徳島の板野町金泉寺にもありますよ」と言いだした。ありゃ、と思って、これも探索地に加える。金泉寺は四国第三番の霊場である。本堂の裏側、多宝塔の真下のところに小さな東屋がある。ホントだ、そこに「長慶天皇陵」のカンバンがかかっている。正体は1.5mくらいの大石。どうしてこれが長慶天皇陵の伝説地になったのかは調べていないが、思わぬメッケモノである。

 途中、「旗山」というところを通ると、丘の上になにやらデカイもの。近づいてもらうと、「日本最大」という源義経の銅像だった。なるほど。屋島の戦いでは義経は阿波に上陸して屋島を奇襲しているもんな。

 もうひとつの目的地は、承久の乱の結果として土佐、ついで阿波に流された土御門上皇の伝説地。上皇の行在所はいくつか伝説地があるようだが、そのうち板野町の「松木殿」と、土成町の「御所屋敷」に連れて行ってもらう。さらに、鳴門市の宮内庁治定の「土御門天皇火葬塚」。江戸時代に考証され、水濠を巡らせた姿に修築されたらしい。

 さらに徳島県埋蔵文化財センターの展示を拝見。とくに、徳島県南部がこれから重要性を増していくだろうということを実感。充実した二日間でした。

【書いたもの】
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(6)(最終回)』付記」(『古代文化』第67巻第2号掲載、京都、古代学協会、2015年9月30日)、123頁。


【しゃべったこと】
⬜︎山田邦和(講師)「平安京遷都」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成27年度後期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2015年9月15日)。
□山田邦和(ガイド)「【鳥羽離宮】考古学研究者と、復元図で辿る史上空前規模の離宮跡 ~さながら都遷りの如し、華やかな院政文化から激動の新時代へ~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、竹田駅南改札口集合、安楽寿院・近衛天皇陵・鳥羽天皇陵、白河天皇陵、城南宮、鳥羽離宮跡公園、金剛心院跡、田中殿公園を見学、2015年9月20日)。
⬜︎山田邦和(講演)「天皇陵の考古学」(徳島市立考古資料館〈主催〉「考古学入門講座」第5回、於同資料館研修室、2015年9月26日)。


2015.10.01

テレビ、雑誌など情報

001(「週刊新潮」より引用)

 来週からBS11ではじまる新番組「尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究」に、2回出演します。

尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 #1「幻の九重塔の謎」 2015年10月6日(火)20時00分~21時00分放送予定、BS11
・尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 #4「京にある幻の城(仮題)」 2015年10月27日(火)20時00分~21時00分放送予定、BS11

どちらも、かなりの強行軍の撮影で、くたびれました・・・

この番組の広告記事は「週刊新潮」2015年8月28日発売の号にも掲載されているようです(上記写真参照)。

Photo_2(雑誌「サライ」より)

こちらは、
⬜︎内田和浩(文)、中田昭(写真)、山田邦和(案内人)特集「京都『時間旅行』のすすめ」の第1章「平安京遷都」(『サライ』第27巻第10号通巻第604号掲載、東京、小学館、2015年9月10日)。
1日がかりの仕事でしたが、森浩一先生ともなんどもお仕事をされた写真家の中田昭さんに撮影していただいたのは、一種の役得でした。

以上、お知らせまで。


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