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2015.12.28

日本史研究会古代史部会で長岡宮を学ぶ、の巻

Img_0015(← 向日市向陽小学校構内遺跡における複廊遺構〈2010〉)

 12月21日(月)
 第5講時の授業を終えて、すぐに日本史研究会古代史部会に駆けつける。移動に使える時間はわずか15分。幸い今出川キャンパスでの授業だったので可能なのであって、京田辺キャンパスではとてもこういうわけにはいかない。こんなところ、やっぱり大学は都市の中心部にある方がいいな。
 今回の古代史部会にどうしてもでたかったのは、もちろんこの部会の忘年会コミであるということもあるのであるが(^^;;、報告者が山中章さん、演題が「長岡宮嶋院と西宮―考古資料からみるその位置と構造―」というものであったからである。長岡宮の復元については、特にその内裏の位置をめぐって新たな展開を見せている。長岡宮内裏の遺構は大極殿の東方で確認されているけれども、これは「東宮」と呼ばれていた「第2次内裏」であり、それ以前の「西宮(第1次内裏)」についてはまだ明確ではないのである。山中さんは従来から朝堂院の北方にそれを推定してきたのであるが、最近、朝堂院の西方に推定する説がではじめた。とくに、2010年に向日市立向陽小学校の構内における発掘調査で見事な複廊の遺構が検出されてから、これこそが長岡宮の「西宮(第1次内裏)」だとする説が溢れ出し、多数の研究者がこの説を採用することになったのである。
 しかし、山中さんはこの説には批判的、というか、真っ向から否定している、ということは以前から聞いていた。山中さんはこの遺跡は長岡宮の「嶋院」に比定し、第1次内裏はやはり朝堂院の北方であるというのである。従来から私も酒宴の場でそういう話は聞いていたし、「ぜひ早くそれを論文化してくださいよ!」と督促もしてきたのであるが、なかなか体系的にその根拠を理解することはできていなかった。今回の発表は、ご本人の口からまとまってこのことを聞く、という得難い機会を得ることができた。あとは、山中さんがこれを早く論文にしてくれて、それでさまざな議論が活発化することを待つばかりである。


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