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2016.06.04

「日本古代都城における複都制の系譜」刊行、の巻

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書誌︰仁木宏(編)、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義(著)『日本古代・中世都市論』(東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、全336頁。

 仁木宏さんを中心として続けている小さな研究グループ「前近代都市論研究会」の論文集『日本古代・中世都市論』(東京、吉川弘文館、2016年)ができあがってきた。待ち望んだ刊行なので、嬉しい。この研究会を始めたのは1999年、研究会の成果である前の論文集『都市―前近代都市論の射程』(東京、青木書店)を出したのが2002年だから、会の開始から17年、前の本から14年が経ったことになる。仁木さんが「あとがき」で書いておられる通り、「前の本を執筆していた当時は、ほとんどのメンバーは30歳代でしたが(山田補注︰この時、一番若い山村亜希さんはまだ20歳代。そして実は、私だけが40歳を超えていた・・・・)、今は50歳代が大半となりました。この間、大病をした者もいれば(山田補注︰これ、私のこと)、勤務先の激務に翻弄されているメンバー(山田補注︰これは仁木さんご自身のこと)も少なくありません」ということになる。歳月が通り過ぎる早さを感じるばかりである。

 私がここで執筆した論文は「日本古代都城における複都制の系譜」(同書43~82頁)。周知のように私は、古代都城といえば平安京に限って発言をしてきた。なにせ、その前の長岡京、平城京、「藤原京」、難波京、そして飛鳥の都については、コワイ先輩の研究者の皆さん(その筆頭といえば、なんといっても山中章さんだろうな)が睨みをきかせている。そんな中に単身で斬り込んでいく勇気など、なかなか持つことができなかったのである。
 しかし、私ももう、何かを言ったからといって、他からの批判をいちいち気に病まねばならないような年齢ではない。気後れしてばかりで、せっかく学び考えてきた成果を残しておかないというのは、なんとももったいないことである。そう考え直して、このテーマにとりくむことにしたのである。とはいっても、この論文の原型は、私が花園大学を辞する直前の2006年11月の花園大学史学会大会で口頭報告しているから、それから数えても10年間は温め続けていたことになる。「満を持して」とまではいえないにせよ、私としては言いたいことを述べ切った論文となった。
 だいたい、この論文集の執筆にあたっても、編者の仁木さんから、通説にとらわれない刺激的で戦闘的な研究を、と煽られてきた。力不足であっても、私なりに仁木さんの「挑戦」に応えたつもりである。
 
 この論文で言いたかったことは多岐にわたっているが、主要な論点は次のとおり。
 ◎ 平城宮や平安宮(当初は「葛野宮」)のような「単都制」は、日本古代都城史のスタンダードではない。
 ◎ 日本古代都城史は、単都制と複都制の双方を振り子のように揺れ動きながら進展した。単都制に落ち着くのは、最終の長岡宮・平安宮にいたってのことであった。
 ◎ 難波宮こそは日本古代都城史のキー・ワード。特に孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(前期難波宮)こそは画期的な都であった。
 ◎ 聖武天皇の難波宮は「副都(第2首都)」ではなく「正都(第1首都)」。聖武天皇の理想は壮大な複都制。
 ◎ 天武天皇も、難波宮を正都と構想していたか、または飛鳥と難波を対等の首都として考えていた。
 ◎ それに対して、斉明朝の飛鳥の宮と倭京(いわゆる「飛鳥京」)は「偉大なる、異形<いぎょう>にして反動の都城」。
 ◎ だいたい、「遷都」を「京」の移動とするのは間違い。遷都は「宮」が移動すること。
 ◎ 平安京のような、全体を矩形に設計し、その内部に東西南北の直交道路を敷設するという「条坊制・方位プラン都城」は、必ずしも日本古代都城の全てではない。たとえば恭仁京は、「非条坊制・不整形プラン都城」であった(54頁に載せたえらいケッタイな恭仁京の復元案、びっくりしていただければ「成功」である)。

 自分としても、かなり、ケンカを売っているようなことを言っているぞ。その分、この分野の他の研究者の方々からは総スカンを食うかもしれないが、まあいい。とにかく、この論文で、私の考えている日本古代都城史のアウトラインの一端を、なんとか提示することができたと思っている。

【書いたもの】
■京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・高野澄・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・山田邦和(執筆)『第12回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2016年6月10日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級1(問4)」009頁、「3級1(問5)」010頁、「3級1(問6)」011頁、「2級1(問4)」107頁、「2級1(問5)」108頁、「1級1(問3)」203頁)。

【しゃべったこと】
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の中期天皇陵―允恭・雄略天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(2016年4~6月期)、於栄中日文化センター、2016年4月22日)。
□山田邦和(講座)「徳川幕府と京都(2)徳川幕府の成立と二条城の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年5月13日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」2「院政期の白河」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年5月20日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】考古学者とめぐる、愛憎渦巻く法住寺殿・平家物語の世界へ―法皇と愛した女性が眠る、東山の麓に誕生した広大な離宮―」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、於三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原、2016年5月21日)。
□山田邦和(報告)「古代比較都市史試論」(「前近代都市論研究会」例会、於キャンパスプラザ京都、2014年5月22日)。
□山田邦和(講座)「(2)「奈良時代の天皇陵―元正・聖武・称徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(2016年4~6月期)、於栄中日文化センター、2016年5月27日)。

【テレビ出演】
□BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「京都歴史ミステリー 金閣寺の謎〜足利家100年物語」(BS-TBS、2016年5月13日放送)。
□NHK(制作・著作)、NHKエデュケーショナル(制作)、渡辺圭・田畑壮一(制作統括)、横山敏子(プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、近田雄一・市川紗椰・山本博文・ベルナール=デルマス、金坂清則・斉藤敏明・丹沢研二・山田邦和・入澤崇(出演)『先人たちの底力 知恵泉』「明治の旅行家 イザベラ・バード」(NHK Eテレ、2016年5月17日放送〈5月24日再放送〉)

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