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2017.01.15

遅ればせながら謹賀新年、の巻

Img_6212_2(←京都駅前に改めて設置された平安京羅城門1/10復元模型と、背景の京都タワー)

 遅ればせながら、皆様、あけましておめでとうございます。

 先日も書きましたが、とにかく散々の年末年始でした。今は、やっと机に向かうことや歩くことは可能になったのですが、まだ右脚は90度までは曲がらず、歩くのも杖を頼りのヨチヨチ歩きということになります。普通ならば5分で歩けるところが15分かかってしまうという体たらくですので、行動範囲は最低限ということになってしまいます。まったく情けないことです。

 昨年の「やったこと」はデータだけ提示したため、ちょっと補足しておきましょう。

 森浩一先生の『著作集』全5巻が完結いたしました。私も編集委員のひとりでしたので、完結はとっても嬉しいことです。生前の森先生から受けた学恩に対して、万分の一かもしれませんがご恩返しができたのでは、と思っています。年末には森先生の奥様の森淑子先生をお招きして、編集委員で「打ち上げ」をさせていただきました。
 森先生は後年になればなるほど、自らの学説を一般向けの著書やシンポジウムで発表されることが多くなりました。そうした書物は現在でも入手可能なことが多い。編集委員会で議論を重ねた結果、今回の著作集では、森先生が初期に書かれて、現在では入手困難となっている論文を主として編纂することにしました。私が主担当しました第3巻「渡来文化と生産」を例にあげますと、「古墳出土の鉄鋌について」(1959)、「和泉河内窯の須恵器編年」(1958)、「古代産業―漁業」(1964)といった論文は、専門の研究者であっても見ておられない方が多いのではないでしょうか。そうしたところに改めて光をあてることができたことは、「森古代学」の再評価につながると確信しています。

 仁木宏・山田邦和(編)『歴史家の案内する京都』と、桃崎有一郎・山田邦和(編)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』「日本古代都城における複都制の系譜」「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」については以前に触れましたので、そちらを参照してください。

 「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」は、三条通(寺町通~新町通の間)の地域振興に力をつくしておられる京の三条まちづくり協議会の20周年の記念出版に際して依頼されたもの。この協議会には、私の「古巣」である京都文化博物館も多いに協力されているので、その御縁からだと思います。

 「クルマについての研究メモ」は、2012年から2015年まで継続した京樂真帆子さんを代表とする科研『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』の報告書に書いたもの。私は連携研究者として参加させていただいたのだが、2012年に病気をしてから2年くらいは活動が制限されたため、あんまり成果があげられなかったことは悔まれる。ただ、報告書になんにも書かないのは悲しいので、この研究会で勉強させていただいたことの覚書だけを作っておいた。

 「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」は、私としてはとっても変わったテーマ。2008年に、山中章さんの科研のプロジェクトで2週間だけ、ヴェトナム・タンロン皇城跡の一部の発掘調査にたずさわることができました。その時のささやかな成果がこれ。もちろん私はヴェトナム考古学の専門家ではないし、ほんのわずかな時間だけ現地にたったにすぎないから、私がヴェトナムについて語るのは僭越の誹りを免れないことは承知しています。その当時にはヴェトナムを再訪して研究を深めるつもりだったのですが、いろんな事情でそれはかなわないことになってしまいました。逆に、それだからこそ、たとえささやかであっても学んだことをきちんと書き残しておきたいと思っていました。たまたま、佐々木達夫先生が『中近世陶磁器の考古学』というシリーズ論集を編集されるということで、私も誘っていただきましたので、佐々木先生にお願いしてこのテーマでまとめさせていただくことにしたのです。

 「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」は、2015年11月8日の「日本史研究会創立70周年記念講演会」でやらせていただいた記念講演の記録です。ここに掲載した「近畿地方中央部の大型古墳と陵墓比定」の表は、お役にたてていただけるのではないかと思ってます。

 「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」は、東海学シンポジウムの講演。去年は保元・平治・治承=文治・承久の乱という中世初期でやって、今回は中世末期。ハチャメチャに見えるが、テーマの設定はシンポジウム事務局からの御指名なので、私の責任ではありません。ただ、信長について考えてきたことをまとめる機会となったのは私としては有意義でした。ちょっと変わったことも言わねば、ということではありませんが、学界で議論の的となっている信長の「三職推任」問題に関して私見を述べました。信長が最終的に何になろうと思っていたか、という問題ですが、学界ではこれは征夷大将軍とする説が多い。あえてそれに異を唱えるというわけではありませんが、「信長の望んだ職は関白だった」という仮説を考えてみました。これ、今まで誰もこんなことは言っていないので突飛に聞こえるとは思うのですが、十分に成立の余地はあると思っています。

 あと、学会報告では、三月の条里制・古代都市研究会大会で「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」をやらせてもらいました。これは、今年の三月に出版される『条里制・古代都市研究』に論文化できるはずです。

 2016年には、共編著、論文、そのほかの著作、学会報告を含めると、数量だけはなかなかのものになりました。もちろん、たまっていたものが偶々まとまって出版されたというだけですし、内容は正直いって玉石混交ですのであまり自慢にはなりませんけれども、これだけの数を出せたということはとにかく嬉しいことです。さて、今年もこういうペースが続けられますかどうか・・・・

 ともあれ、皆様、今年もよしなにお願い申し上げます。


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