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2017.08.16

お盆、の巻

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 8月16日(水)
 お盆も終わり。雨やなんやで行けていなかったお墓参り、やっと行く。そのあとは京都国立博物館にお邪魔して、特集展示「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」と、特集展示「京都水族館連携企画 京博すいぞくかん ─どんなおさかないるのかな?」を見学。「瓦版 淀の川瀬」は淀城の水車が堂々たる菊の御紋(天皇)になっており、そこに十文字の井桁(薩摩島津)がぶらさがっており、その横を葵の御紋(徳川)が逃げていくという面白い図像。「瓦版 相撲取組」も、長州毛利の家紋の顔の相撲取りが葵の御紋の相撲取りを投げ飛ばしているという図。新政府による宣伝ビラであるところが面白い。

 夜は、大文字の送り火。犬2匹を連れて自転車で出かけて、しめやかに手をあわせる。写真は、上長者町の西洞院あたりから望んだ大文字。左側の民家のあたりが、安部晴明の邸宅跡にあたる。

2017.08.12

『山田邦和著作目録(暫定版)』をウェブ公開します、の巻

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 ずいぶん前から、自分の「著作目録」をまとめたいな、と思い続けてきました。
 歴史学・考古学の研究を自分の一生の仕事と思い定めてから、かなりの時がたちました。牛歩のような遅さであることは自覚していますが、それでもこれまで曲がりなりにも研究を続けてくることができたのは、本当に幸せだと思っています。研究生活を継続してきますと、多少の著作物がたまってくるようになります。どれもこれも自信という言葉からはほど遠い習作にすぎませんが、研究者としての人生を選んだ私にとっては、著作物とは自分が生きてきた足跡そのものと感じています。たとえて言うならば、自分の著作物とは愛しい「わが子」だという気がしているのです。そうであるならば、私には「わが子」たちを見守り続けてやらねばならない責務があるでしょうし、そのためには「わが子」たちがどこにどういうふうに散らばっているのかを把握しておかなくてはならないでしょう。著作目録が必要とされるゆえんです。研究者としての私にとっては、著作目録こそはまさに自己存在の証明書であるように思っているのです。


 私が教えを受けてきた先生方、お世話になった先輩諸氏、さらに、著書や論文を通じて学恩を受けてきた研究者の中には、立派な著作目録を作っている方がたくさんおられます。角田文衞先生(古代学協会理事長)、森浩一先生(同志社大学名誉教授)、網野善彦先生(神奈川大学特任教授)のものは素晴らしいものです。また、特に梅棹忠夫先生(国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授・京都大学名誉教授)のものは、おそらく研究者の著作目録としては最大のもののひとつでしょう。こうした立派な著作目録に触れるたびに、私もいつかはこういうものを作りたい、という憧れを募らせてきたのです。

 ただ、ひとくちに自分の著作目録を作るといっても、解決しなくてはならない課題が山積みになっており、それはなかなか一筋縄ではいかない大仕事です。そこで、正式の著作目録を作る前段階として『山田邦和著作目録―附・講演目録など―(暫定版)』を作成しました。皆さまのご意見を取り入れながら、いずれ機会を改めて、もっと良い形で正式の著作目録に仕上げていきたいと思っています。

 著作目録(暫定版)は200部を印刷し、出会うたびに先生、先輩、友人の皆さんに押し付けてきました。私の年齢で著作目録を作るというのはちょっと早すぎるように受け止められたようで、中には呆れられた向きもあったようです。しかし、梅棹忠夫先生は著作目録の準備を50歳の誕生日の直前から始められておられましたし、そういう点ではまあいいのではないかと思っています。

 ただ、いろんなところでバラまいた結果、紙媒体のものはそろそろ在庫が尽きてきました。そこでPdf版を作成し、このブログの付属のウェプページでダウンロードできるようにします。ご関心のある方は活用していただけたらと思います。
『著作目録(暫定版)』のダウンロードはこちらから。

 なお、niftyの@homepageが2016年11月10日でサービス提供終了となってしまったため、それ以来、本ブログの「プロフィール」欄が非表示になってしまいました。今回、それもウェブサイトで公開しますので、よろしくお願いします。
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2017.08.09

第3回森浩一先生に学ぶ講演会、の巻

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↑ 泉大津高校考古学資料室と、同校地歴部の勧誘ポスター

 8月6日(日)
 森浩一先生に学恩を受けた有志でつくる「森浩一先生に学ぶ会」の第3回講演会で、泉大津行き。8月6日は、まさに森先生の三年目の命日である。
 大阪府立泉大津高校は、森先生が大学を卒業して最初に教諭として赴任された勤務地というゆかりの場所である。先生は最初は英語担当だったが、のちにはそれに社会科担当が加わったという。さらに、奥様の淑子先生(旧姓蛭川)との出会いの場になったのも、この泉大津高校時代のことであった。

 ただ、恥ずかしながら、これまではご縁がなくて泉大津高校に足を運ぶ機会がなかった。行ってみると、大阪府立弥生文化博物館から10分くらいのところであることにびっくり。ついでに、弥生博物館で開催中の「沖縄の旧石器人と南島文化」を見てから高校に伺う。

 それにしても、暑さ全開で頭がクラクラしそう。こんな暑い中でお客さんが集まるかな、と心配したが、会場は満席に近くなって、ほぼ70人くらいが入場されていて、安堵。

 最初に、泉大津高校の濱本泰治校長先生の挨拶。そして深萱真穂さんが司会、よんどころない事情で欠席された菅谷文則橿原考古学研究所所長の挨拶を代読。最初の講演は泉森皎・元橿原考古学研究所副所長の「森浩一先生と泉大津高校」。私の担当はその次の講演「須恵器の編年と森浩一先生」。森先生が泉大津高校在職時代に情熱を傾けられた須恵器研究を振り返る。さらに、森先生の古くからの協力者であった杉本憲司佛教大学名誉教授、田中英夫橿原考古学研究所共同研究員、宮川徏同研究所共同研究員による鼎談「森考古学と和泉」(司会は天野幸弘元朝日新聞社編集委員)。

 休憩時間に、泉大津高校の地歴部の活動の場となっている「考古学資料室」を見学させてもらう。面積は小さいけれども、和泉の古墳や須恵器窯の重要遺物がぎっしりと詰まっている。これは、森先生が築き上げたものである。のちに森先生が同志社大学で実現した「考古学資料室」および「歴史資料館」の源流はこんなところにあるんだな。地歴部が現在でも活動を続けていて、森先生(さらにはその後任となられたのは石部正志先生)以来の伝統が脈々と受け継がれていることに感動する。高校生の時から真摯に学問にとりくむ姿勢を学ぶことは、彼らの将来に多いに役立つに違いない。


【しゃべったこと】
◯「京都学講座・院政期京都の研究3(4)福原京の復元(1)」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年7月21日)
◯「(1)唐の長安と洛陽」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年7月28日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(1)嵯峨野・太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都朝日カルチャーセンター京都、2017年7月14日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(2)秦氏と広隆寺」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年8月4日)
◯「須恵器の編年と森浩一先生」山田邦和(講演)(森浩一先生に学ぶ会(主催)「第3回 森浩一先生に学ぶ講演会」、泉大津、泉大津高校同窓会館、2017年8月6日)

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