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2017.11.29

筑後国を巡る、の巻

Img_1778←石人山古墳の祠と、そこに祀られた石人

Img_1865←権現塚古墳

Img_1914←久留米城(篠山城)

11月23日(木・祝)・23日(金)
 全国大学博物館学講座協議会西日本部会大会(全博協西日本部会)のため、福岡県久留米市行き。本当は金・土の日程なのだが、あいにく25日土曜日に大阪の高槻市での講演と京都の史跡案内の予定を入れてしまったため、金曜日でトンボ帰り(九州からの最終電車)とあいなった。でも、せっかく筑後国まで行くのだからということで、木曜日から前泊して、少しばかり歩いてみることにした。

 23日は京都―(新幹線)→JR久留米駅。そこから歩いて日輪寺古墳、水天宮、駅に戻って駅前で久留米ラーメンで昼食。バスで西鉄久留米駅に出て、そこからまたバスに揺られて八女古墳群の岩戸山古墳あたり(乗場古墳、善蔵塚古墳、岩戸山歴史文化交流館、岩戸山古墳、岩戸山4号墳)。八女古墳群では石人山<せきじんさん>古墳もぜひ行きたいのだが、岩戸山から石人山までは歩くとかなりあってこれは勘弁してほしい。かといってバスだと一度久留米市内に戻ってからV字ターンとなって、これも現実的ではないというので、岩戸山資料館でタクシーを呼んでもらう。そして、広川町古墳公園資料館とその横の石人山古墳・弘化谷古墳。またタクシーに来てもらって、秀吉の時の羽根の生えた犬の伝説がある羽犬塚駅に到着。そこから西鉄久留米駅に戻り、駅前のエンナンホテルに宿泊。やや古びたホテルであるし、私の部屋にエアコンが効かなかったは減点だが、そのほかのところは良かったし、またびっくりするほど安かった。夜は久留米の繁華街で店を物色していたら、なかなか綺麗なお姉さんが客引きをやっている居酒屋がある(いかがわしい店ではありません。念のため)のでそこに飛び込んだが、こちらはあんまり良くなかった。残念。

 24日は西鉄久留米駅から西鉄に乗って大善寺駅で下車。玉垂宮(大善寺)を通り抜けて徒歩で御塚<おんつか>古墳と権現塚古墳。バスの時間を合わせて久留米市内に戻り、バスを乗り換えて久留米城(篠山城)。またバスに乗って、久留米市埋蔵文化財センター。

 筑後の古墳、特に筑紫君磐井の墓として造られた岩戸山古墳は、行きたい行きたいと思っていたのがどういうわけか今まで機会を逃していた。今回、やっと念願がかなう。岩戸山古墳の「別区」は、いままでなんとなく、墳丘にくっついているように思っていたのだが、実はこの古墳には狭く浅い堀があり、その外堤が拡大されて別区になっていることを知る。私の勉強不足による錯覚とはいえ、やっぱり行ってみなくちゃわからないな。ということは、磐井の敵役である継体天皇の真陵と推定される大阪府高槻市今城塚古墳の堤の一部が拡張されてそこに埴輪群が並べられているところと共通するんだな。

 磐井の息子の葛子の墓という説もある乗場古墳も、前方部が開いたなかなか綺麗な後期型の前方後円墳。ただ、装飾で飾られた石室は非公開なのが残念(というよりも、保護施設の扉の把手は明らかにひん曲がっていたぞ。たとえ鍵を持っていても、果たして開くのだろうか?)
 乗場古墳からえっちらおっちらと20分くらい歩いたところにある善蔵塚古墳は、そもそも存在を知らなかった。しかし行ってみると、乗場古墳よりも大きな前方後円墳である。こんなのもあるんだな。ただ、家に帰ってから『前方後円墳集成』の九州の巻を開いてみても、善蔵塚古墳については測量図が載せられていない(最近は地元教育委員会が詳細な測量をしたらしい)から、あながち私の勉強不足だけということもあるまい。

 石人山古墳、「せきじんやま」ではなく「せきじんさん」と読むらしい。隣に、広川町古墳公園資料館という小さいけれどもなかなかに充実した博物館があるのが嬉しい。石人山の初期須恵器が並べられているのもありがたい。古墳の上には「石人社」という祠があって石人は御神体になっている。ついでに、石室と石棺もコンクリート製の祠の中にある。

 弘化谷古墳・権現塚古墳は、大型の円墳で、しかも巨大な堀と周堤を持っていることにびっくり。権現塚はなんと二重の水濠と幅広い周堤で囲まれている。御塚古墳にいたっては、帆立貝形前方後円墳と呼ぶべきか造り出し付き円墳と呼ぶべきか迷うが、三重の堀(現状では一重目だけが水濠)という破天荒なもの。近畿地方の大型円墳では水濠を持つものは本当に少ないから、これはなかなかの見ものなのである。

 日輪寺古墳はJR久留米駅からすぐなのがありがたい。石室には覆屋がかかっていて見学は事前予約が必要と聞いていたので中をみることは諦めていたのだが、行ってみると扉が開かれていてすぐに見学できるようになっていたことはありがたい。文様を彫り込んだ石障を持つ九州型の初期の石室に見とれる。

 久留米城は別名が篠山城だという。丹波国福知山城主だった有馬氏が転封されて築いたというから、京都府とも関係がないわけではない。本丸はそんなに大きくはないのだが、石垣の見事さに感銘を受ける。ほとんど90度といってよいほどにそそり立っていて、石垣というよりも石壁のようである。

 これで遺跡見学は時間切れ。でも、なかなかに廻ったぞ。そこから、久留米市中心部の巨大複合文化施設の久留米シティプラザにとって返し、全博協西日本部会の役員会と大会に出席。大会では、長らく西日本部会長をつとめてこられた花園大学の芳井敬郎先生が今年度で定年により大学を去られ、それとともに部会長も退任されるということで、基調講演をされる。いつもながらの「芳井節」の名調子を堪能。

2017.11.17

第5回東海学シンポジウム「森浩一古代学を読み解くⅠ」、の巻

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 11月12日(日)
 「第5回東海学シンポジウム2017」に参加。このシンポジウム、森浩一先生が主導して20年にもわたって続けられてきた「春日井シンポジウム」の後継であり、今回で5回目。
 11日まで沖縄にいて、那覇空港発18時5分の飛行機で19時55分に伊丹空港着。ホントは、なんとか那覇から名古屋の空港に直行できればいいなと思っていろいろ算段してみたのだが、予算執行上の都合からはこれはムリとなってしまい、伊丹空港から新大阪駅に急ぎ、そこから新幹線で名古屋入り。ホテルにはいったら、お風呂を浴びただけですぐに就寝。

 今回のテーマは「森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―」。今年と来年の2回にわたり、森先生の学問をふりかえってみようという意欲的な企画である。内容は次の通り。

《報告》
川崎 保(長野県埋蔵文化財センター調査第二課長) 「森先生の『縄文文化見直し論』」
松田 度(奈良県大淀町教育委員会) 「森先生の『熊襲・クナ国論』」
辰巳和弘(古代学研究者)「水の王権~井伊谷から拡がる古代~」
深萱真穂(フリーライター)「森先生と文学~清張との交流を中心に~」
今尾文昭(関西大学文学部非常勤講師)「森先生と天皇陵古墳」
前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)「藤ノ木古墳の発掘 ~森先生の被葬者論~」
小泉武夫(東京農業大学名誉教授・東海学シンポ実行委員会副委員長) 「森先生と『日本の食文化』」

《座談会》「『森浩一古代学』を語る」司会:山田邦和(同志社女子大学教授)

《資料集への誌上参加》
 ◆山田邦和(同志社女子大学教授)「森浩一の須恵器研究」
 ◆佐野允彦(歴史ジャーナリスト・元朝日新聞記者)「森先生とマスコミ―教え子・元記者から見た―」
 ◆穂積裕昌(斎宮歴史博物館主幹)「森先生と神仏の考古学」
 ◆兼康保明(東海学センター理事)「邪馬台国論争と森先生―『銅鏡百枚』と『卑弥呼以死』を中心に―」

 今回は私は座談会の司会ということで、報告ではなく誌上参加の論文に回る。この論文は、かつて書いた「森浩一 学の稜線〜須恵器の編年」(深萱真穂・『歴史読本』編集部(編)『森浩一の古代史・考古学』、東京、KADOKAWA、2014年)を大幅に増補改訂したもの。前稿と比べると内容はかなり詳しくなっているので、ご興味ある方はぜひお読みください(この資料集は本屋さんには出回らない本だし、図書館にもあまり入らないものなので、購入希望は東海学センターにお問い合わせのほどを)。

 座談会の司会は、正直、疲労困憊。7人の報告者は時代的にも内容的にも多岐にわたるので、発言者のひとことひとことに耳を澄ましながらも、脳の半分は次の展開を考え、さらにはそれをひとつにまとめようとするのはかなりの力技なのである。さらに、討論に与えられた時間はわずか一時間。時間厳守を誓ってはいたが、こればかりは発言者の発言の長さに影響されるので、うまくいくかどうかは大げさに言えば神のみぞ知る、なのである。結果としては、予定時間を1分超過しただけとなったから、これはまあ許容誤差と認めていただけるであろう。私としても大変いい経験になったシンポジウムであった。

【書いたもの】
■「森浩一の須恵器研究」山田邦和(著)
(『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2017年10月26日)、107~133頁

【しゃべったこと】
◯「《座談会》『森浩一古代学』を語る」山田邦和(司会)
川崎保・松田度・辰巳和宏・深萱真穂・今尾文昭・前園実知雄・小泉武夫(パネラー)(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』、春日井、春日井市民会館、2017年11月12日)


2017.11.15

沖縄調査旅行、の巻

Img_0987_3←(「浦添ようどれ館」で、浦添ようどれの復元墓室および石棺〈レプリカ〉の観察)

 11月9日(木)~11日(土)
 今年は、高橋康夫先生(京都大学名誉教授・元花園大学教授、都市史・建築史)の科研費の分担に入れていただいているので、しばしばいろんなところに出かけることができる。この日は沖縄行き。同行者は冨島義幸京都大学准教授と伊ヶ崎鷹彦花園大学助手。沖縄は京都とともに高橋先生のメイン・フィールドであるので、安心して回ることができる。日程は次の通り。

 9日:浦添ようどれ館→沖縄ワールド→ガンガラーの谷

 10日:古座島→運天(崖墓・百按司墓・大北墓)→今帰仁村仲馬場→諸志の散策道と赤墓→今泊(集落・津屋口墓)→クバの御嶽→今帰仁城城下町→備瀬集落フクギ並木道→海洋博記念公園おきなわ郷土村→瀬底土帝君→塩川

 11日:久高島→垣花樋川→具志川城→真壁ちなー(金城増治住宅)→南山城(大里城)

 ご覧のように、結構な強行軍である。浦添ようどれ館は何度も訪れたことがあるが、今回は仏教儀礼の専門家である冨島さんと同道であるから、まことに学ばせていただくこと大。沖縄ワールドや海洋博記念公園おきなわ郷土村はいわば民家の野外博物館。ガンガラーの谷では、旧石器時代からグスク時代にかけての洞窟遺跡の調査が綿々とおこなわれており、調査担当の沖縄県立博物館・美術館の山崎真治博士から詳しい説明をいただくことができる。

 久高島ははじめての訪問。沖縄最高の聖地である斎場御嶽から拝められてきた、創生神アマミキヨの霊地である。島内の主要交通機関はレンタル自転車なのだが、「歩こう」ということになって、細長い島を東西に往復することになる。小さな島とはいえ歩くとやはり結構くたびれるのであるが、その分、島のあちこちをじっくりと観察することができる。それに、島の北端の岩海岸と海はやはり絶景。

Img_1163_3(←運天の崖墓)
 なかでも異様な感動を受けたのは、運天(国頭郡今帰仁村)の港の周囲にある崖墓群(百按司墓・大北墓を含む)。海に臨む崖の洞窟を墓としているのだが、中には厨子甕や木製厨子がぎっしりと収められており、それが破損して中の白骨が大量に露出している。時間も忘れて見入ってしまった。

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