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2017.12.24

細見美術館「末法 / Apocalypse」展、の巻

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12月24日(日) 
 京都にある細見美術館は、私の大好きな博物館のひとつである。日本美術品の収集家として知られる細見古香庵からの細見家三代のコレクションを中核として設立された私立美術館で、他ではみられないようなユニークかつコンセプトのはっきりした展覧会を毎回おこなっている。建物も小規模ながらの瀟洒で、私は大学の博物館学の授業の際、「未来指向の博物館」の実例のひとつとして必ずこの細見美術館をとりあげてきている。
 その細見美術館が「末法 / Apocalypse─失われた夢石庵コレクションを求めて─」という魅力的なテーマの展覧会をおこなっていたのだが、気付いてみると今日が最終日。これはぜひ見とかなくてはいけない、ということで、雨が降りそうななか、美術館に駆けつける。

 この展覧会、説明によると
「釈迦の死より1,500年後、仏法が廃れ、争い、憎しみがはびこる暗黒時代が一万年続くといわれた「末法」の世。その恐怖におののいたのは、摂関政治で栄華を極めた貴族たちであった。ある者は美麗の上にも美麗を尽くして荘厳した阿弥陀堂を建て、またある者は装飾を凝らした料紙に経典を書写して、極楽浄土への往生を願うことで末法から逃れようとしたのである。そんな時代精神の中から生み出された美術作品を愛し、蒐集したコレクターの一人に、夢石庵と号する人物がいる。抜群の鑑識眼と内外の人脈を通じて、戦後60年代まで驚くほど質の高い美術作品を精力的に蒐集した。彼の死後散逸したコレクションの中から、白眉といえる平安時代の仏教美術を中心に、長く秘されてきたその全貌を、初めて紹介する」。夢石庵というコレクター、いまから50年前に亡くなっており、生前にはほとんど表舞台に立たなかったために忘れられているが、美術品収集にとりつかれ、すばらしいコレクションを築き上げたのだという。

 しかし、期待に胸をふくらませながら展示室に入ったのであるが、この展覧会、どうも奇妙なのである。確かに、展示品自体は悪くない。『平治物語絵巻』の「六波羅合戦巻断簡」とか、伝金峯山伝来の『紺紙金字弥勒上生経残闕(藤原道長願経)』(寛弘4年〈1007〉)・『紺紙金字法華経~無量義経残巻(藤原師通願経)』(寛治2年〈1088〉)・『紺紙金字法華経(平基親願経)』(治承4年〈1180〉)とか、平安時代の経筒など、へぇ~と思う作品も並んでいる。しかし、キッチリとしたコンセプトというか、強固な骨組みというか、筋の通った構成力が伝わってこないのである。普通の展覧会では、こうした砂を噛むような味気なさを味わうことはめったにない。
 ただ、こうした欠点は単に収集品を並べただけだと、確かにあり得ることである。だからこれも、この「夢石庵」というコレクターの資質によるものなのかな、と思ったのであるが、ただ、この展覧会の唄い文句では夢石庵は「抜群の鑑識眼と内外の人脈を通じて、驚くほど質の高い美術作品を精力的に蒐集した」人だというのだから、頭の中をクエッションマークがいっぱいになっていくのである。それに、個人コレクターのコレクションを主体とする展覧会では、良くも悪くもそのコレクターの強烈な「思い」というか「体臭」というか、そんな「こだわり」が会場から漂ってくるものなのであるが、それも感じられない。不思議な無臭さなのである。
 そもそも、コレクターのコレクションが多少一貫性を欠いていても、展覧会の担当学芸員がそうした欠点をカヴァーするのが普通である。そうすると、この展覧会のこうした奇妙さは学芸担当者の力不足によるものなのかな、と思いながら見学を終えた。

 会場の出口で、一枚の紙が配られていた。「種明かし」と題されて、「会期終了まで皆様の胸の内におさめておいてください」などと書かれている物々しさである。ただ、もう会期は終わったので、公表しても良いのであろう。
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つまり、この展覧会が「夢石庵」というコレクターのコレクションから構成されているというのはまったくのウソ。そんなコレクターはこの展覧会の担当者たちが作り上げた架空の存在であって、まったく実在しなかった。これは通常の展覧会でなく「アートプロジェクト」であり、定量的な指標によってのみ美術が語れられる現在の状況への挑戦なのである、ということなのである。

 私はこれを見て、幻滅してしまった。アートだからなんでもありというわけではないだろう。担当者だけが悦に入っているひとりよがりではどうしようもないし、少なくとも私は、アートのためなら観客を騙くらかしてもかまわないという奇妙な倫理観はもちあわせていない。それに、そうした能書きを云々する以前に、展覧会自体が薄っぺらでは話にもならないのである。
 せっかくの良い品物を集めたというのに、学芸担当者の自己満足がそれを台無しにしてしまうという、世にも稀な、そして本当に残念な展覧会だった。

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