« 沖縄旅行、の巻 | トップページ | まもなく新年度、の巻 »

2018.02.25

四条塚山古墳(治定綏靖天皇陵)、の巻

 Img_0772←山田蔵本『文化山陵図』にみる四条塚山古墳(現在の治定神武天皇陵)

 2月23日(金)
 「陵墓関係16学・協会」による、「陵墓立ち入り調査」。今年度の対象は奈良県橿原市の四条塚山古墳(宮内庁治定の綏靖天皇桃花鳥田丘上陵<つきだのおかのえのみささぎ>)。

 整理しておくと、初代天皇である神武天皇の陵については、洞の丸山、四条塚山、山本ミサンザイの三説が拮抗していた。元禄の修陵で神武天皇陵とされたのは四条塚山であったが、その後には本居宣長らによる洞丸山説が勃興、そちらに決まりかけたかと思ったのであるが、幕末に谷森善臣による山本ミサンザイ説が急迫する。結局、孝明天皇の勅裁を得て山本ミサンザイに決定、宇都宮藩の「文久の修陵」によってそれを整備したのが現在の神武天皇陵なのである。そして、神武天皇陵争いに敗れた(?)四条塚山は第2代の綏靖天皇陵に治定替え、また洞丸山は神武天皇陵の付属地に編入され、さらには洞丸山の麓に広がっていた洞村は紆余曲折のあげくに村ごと移転した、ということになる。つまり、今回の四条塚山古墳は、もとの「神武天皇陵」だということになるのである。

 本体の四条塚山の見学に先立って、10時に近鉄畝傍御陵前駅に集合し、大正時代まで存在していた洞村<ほらむら>の跡の見学。この場所は宮内庁治定の神武天皇陵の陵域(畝傍御陵地)に含まれていて立ち入りには宮内庁の許可が必要なため、私も入ったことがなかった。ただ、宮内庁の方針により、今回は洞丸山のところまでの見学は許可外となったのはいささか残念。

 昼休みを利用して、橿原市の「大久保まちづくり館」を見学。来たい来たいと思っていたのだが、今までその機会を逃していた。大正の姿を残す大規模な住宅建築を保存しており、内部には模型やパネルによって洞村の移転とそれによって成立した(新)大久保村の歴史がわかりやすく展示されている。ちょっと嬉しいのは、この展示の中でパネルに使われている神武天皇陵の絵図の写真のうち、2枚は私の所蔵品であること。お役にたてて何よりである。
 まちづくり館で教えてもらって、昼食はその近くの大衆食堂「ほていや」。小さな店であるがメニューが豊富で、昼のお弁当定食はいずれも550円というリーズナブルさ。

 午後、いよいよ本番の四条塚山古墳の立ち入り。まずは拝所にたっている石灯籠(福尾正彦「綏靖天皇陵前東側所在の石灯籠について」〈高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』所収、京都、思文閣出版、2010年〉、参照)の観察。そして墳丘のところによっていく。ただ、今回はどういうわけか墳丘の間近まで寄ることが許されなかったので細部の観察ができなかったのは遺憾であるが、古墳であることは間違いない。ただ、従来、測量図から測定していたよりもかなり規模は小さくなると思う。このあたりは、見学終了後に橿原市万葉ホールの講座室をお借りしておこなった検討会でも議論となった。

 最後は、例によっての有志で八木駅前に移動しての呑み会。ここでも濃い議論が続く。

« 沖縄旅行、の巻 | トップページ | まもなく新年度、の巻 »