今城塚古墳ほか、の巻
5月5日(土)
この連休は、めずらしく、予定が詰まっているということにはならなかった。まあ、たまには骨休めの時間があってもよい。
ただ、行っておかねばならないところはある。ということで、大阪府高槻市行き。
高槻市駅で降りたが、バスの時刻まではかなり時間があるので、反対側に歩いて、普門寺を訪ねることにする。いうまでもなく、足利義栄が陣所とし、ここで征夷大将軍の宣下を受けて室町幕府の15代(14人目)将軍となったものの、ついに上洛を果たせずに終わったという史跡である。どういうわけか、いままで行ったことがなかった。ただ、拝観は予約制で午後限定ということで、門がしまっていたのは残念。
そのまま今城塚に向かおうと駅に向かうと、途中に酒蔵の販売店があって、地酒の試飲ができるという。ついフラフラと誘いにのってしまう。濃厚で、なかなかの銘酒。帰りに求めることにする。
バスに乗って、おめあての今城塚古代歴史館の特別展「古代の日本海文化‐太邇波の古墳時代‐」。5月13日までなので、今、行っておかねば、絶対に見逃すことになる。京都府北部の最新の古墳時代研究の精華を学ばせてもらう。そのあとは、今城塚古墳を散策。
知らなかったのだが、お隣の茨木市文化財資料館では、企画展として「太田茶臼山古墳と古市古墳群」をやっているという。やはりこの機会を逃さない方がよいだろう。阪急で南茨木駅まで行って、文化財資料館を訪れる。展示は小さいが、これも古市古墳群の新しい情報を得ることができる。さらに、受付で、茨木の「隠れキリシタン」関係の図録などを買い込む。
高槻に戻って、今度は高槻市立しろあと歴史館。これも5月13日までで、「樫田―丹波の山村と仏像・信仰―」展。樫田は高槻市最北端の山間部の村だが、実はここは摂津国ではなく丹波国。江戸時代には丹波の亀山藩領で、昭和33年までは京都府だった。ただ、京都府亀岡市まではかなり遠く、住民の生活は高槻とのつながりが深かった。ということで、当時としては珍しい府境を超えた合併がおこなわれ、京都府から切り離されて大阪府高槻市に編入されたところである。平安前期の仏像などが大切に守り続けられていたことを知る。