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2018.10.07

ルークありがとう、安らかに、の巻

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 10月1日(月)
 わが家にとって、本当に辛い日になりました。愛犬ルーク、黒いペキニーズが私たちのもとから旅立っていったのです。2007年10月8日生まれですから、あと一週間で11歳になるところでした。
  そもそもペキニーズという犬種はフォーンやホワイトが多く、ルークのような真っ黒というのは珍しい。ただ、もう40年以上前、私のウチでは黒いペキニーズを飼っていて大変可愛がっていた。その思い出があるものですから、私としては黒ペキには大変愛着があったのです。2008年の新年、いつも犬のゴハンを買いに行くペットショップで、妻が、生まれたばかりの黒ペキがいるのに気がつきました。いい飼い主に恵まれるように、と願っていたのですが、なかなか引き取り手が見つからなかったようで、いつまでたってもそこにいます。そのうち妻が「ウチで飼おう!」といいだしたのですが、すでにウチにはマックとクイールという2匹のペキニーズがいるので、私としてはもう1匹増えると世話しきれるかな、と不安で、なかなか決断できませんでした。しかも、悪性のカゼにやられて難儀したり、またヴェトナムの調査行きが迫っていてその準備に追われていたので、とても新しい犬のことまで頭が回りません。それでも妻があまりにヤイヤイ言うので、「僕がヴェトナムから帰ってきて、それでもまだ飼い主が見つかっていたかったならば、ウチに迎えよう」と言いました。内心ではその間にどこか良い飼い主が現れることを願っていたのですが、実際に帰国してみると、相変わらずそこにいたのです。これはもう「縁」かなぁと思って、やっと私も決断し、2008年3月11日にわが家に迎えたのです
 「末っ子」となったルークは、どうも躾がうまくいかなかったのか、とうとうオシッコの場所を覚えることができません(長男のマックはなんとか覚えた。次男のクイールは不思議なことに生まれつきオシッコ場所を感知して躾すらいらなかった)。ちょっと油断すると家の中に水たまりができていて、そのたびごとに怒ったり慌てたりしてのバタバタが続きました。そういう難儀なことはありましたし、私たちも犬の世話に追われながらも、賑やかな三匹のペキニーズたちがじゃれあう姿に和み、心穏やかな日々を送ることができました。犬たちに感謝してもしきれません。

 しかし、 2014年5月18日にマックが昨年9月4日にクイールが虹の橋をわたっていきました。ルークも10歳ともなりますと真っ黒の顔の中に白いものが目立ってき、お兄ちゃんたちの姿が見えなくなったことに寂しそうでしたが、まだまだ元気で走り回っていました。

 ルークの様子が急変したのが9月30日(日)です。朝に呼吸がゲホゲホし、ゴハンもまったく食べなかったので心配になったのですが、あいにく日曜日でお医者さんは休み。明日にはお医者さんに連れて行こう、と思ったのですが、夜にはいる頃からどんどん呼吸がおかしくなります。これは待てないと判断して、看てくれる動物病院を探したのですが、ようやく見つけたひとつは予約でいっぱい、上鳥羽にある京都夜間動物救急センターは運の悪いことに台風で臨時休業。さらに大荒れの台風で、外に出ると不意の落下物で二次被害を受けそうな状況です。
 深夜、やっと風が下火になったので、最後の頼みの綱である京都夜間動物診療所(旧称:南京都夜間動物診療所)に行くことにしました。ただ、この病院は久御山なので、私の家からは車で約1時間かかります。祈るような気持ちでやっと着いたのですが、検査の結果の診断は急性肺炎。それから薬の注射と点滴、そして高濃度の酸素を供給できるICUに入院ということなったのですが、ここは夜間の救急が専門(夜間の緊急疾患に対応し翌日に主治医の先生のところに移すまでの繋ぎのための診療所)でそれ以上の入院はできないため、翌朝に主治医のもとに移すという段取りになりました。ただ、酸素室に入れると、それまではうって変わったように呼吸が楽になり、いつものキョトンとした表情を見せるようになったので、私たちも安堵して一旦帰宅します。翌朝、私は自分の病院の定期検査の受診があるので迎えにいくことができず、妻が久御山に向かいました。しかし、病院の話では深夜にまたルークは容体は悪くなったとのことで、急いで主治医の先生の病院に運ぼうとしたのですが、帰路の車中でルークは息をひきとってしまいました。泣きながら電話をかけてきた妻に、私は掛ける言葉がありませんでした。

 上の2匹が14歳まで生きてくれましたので、私はなんとなく、あと数年はルークと一緒に暮らせると信じ込んでいました。また、上の2匹と同様に最後の半年くらいは「介護」の日々になるのだろうが充分に世話をしてやろうと決めていました。しかし、そうした心づもりはまったく外れてしまいました。こんなに早く別れがくるとは思いませんでした。ただ、ルークとしては、旅立ちの時に大好きなママが側にいてくれたというのは、慰めだったのではないかと思っています。
 この18年間、私たちの生活は常に犬たちと一緒でした。それが終わってしまい、いまは茫然自失、わが家は火が消えたような状態の日が続いています。今でも、扉の向こうから犬たちが人懐っこい顔を見せるような気がします。夜、そろそろ犬の散歩に行かなくちゃならないな、と思って腰を上げかけたものの、あ、もうそれはないんだと気がついてヘタリ込むということも続いてます。私たちも、自分の歳を考えると、幼犬を引き取ってきて最期まで看取るということは、もうないでしょう。
 ルーク、ありがとう。私たちはお前がいてくれたので幸せな日々を送ることができました。天国では2匹のお兄ちゃん犬と再会して、また遊んでもらってください。私たちもお前のことを忘れません。ルーク、本当にありがとう。

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