若狭・大島半島でニソの杜を訪ねる、の巻
時間軸はさかのぼるが、備忘録として。
11月24日(土)・25日(日)
福井県、若狭のおおい町でおこなわれる「ニソの杜と先祖祭り」のシンポジウムを聞きに行く。私も興味はあったのだが、妻(大学生の時代に、民俗学研究会の会員だった)の強い希望である。ニソの杜といってもなんのこっちゃわからない方もおられるだろうが、民俗学の学界ではむかしからよく知られていた。福井県・若狭の大島半島に固有の信仰で、村落の各所に聖地があり、そこを家ごとまたは複数の家集団で11月22日または23日に祀る。ただ、かつては32ヶ所があったが、今も祭祀が継続しているのは10ヶ所くらいだという。今回、『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』というすばらしい調査報告が刊行され、その記念のシンポジウムである。なおこの報告書、妻が早速に注文したのだが、その代金は福井銀行の口座に銀行振込をせよという指示。福井銀行の支店って京都にあるんかいな、と思って調べてみると、小さいながら、四条烏丸にちゃんとあったのにびっくり。
若狭に着いて、まだ少しばかり時間があるので、まずはおおい町の郷土資料館に立ち寄る。すばらしく立派な博物館。建物の側が、1958~61年頃に同志社大学考古学研究室が発掘調査した船岡製塩遺跡があり、その製塩作業の様子が再現されているのにびっくり。この遺跡、奈良時代の若狭製塩土器の標識遺跡で、大きなバケツのような形の奇妙な製塩土器で知られている。報告書では人里離れたところと書かれていたのだが、今は行きやすいところである。なお、「船岡」、説明板では普通に「ふなおか」とふりがなが振ってあるのだが、報告書では「ふのか」になっている。おそらくもともとは「ふのか」だったんだろうな。
会場に滑り込んで、まずはシンポジウムのパネラーの八木透・佛教大学教授にご挨拶。八木さん、今回のニソの杜の調査にも大きな役割を果たされたとのこと。尊敬する先輩の話を聞くことができて嬉しい。
シンポジウムが終わったあとは、すぐに帰洛するのももったいないので、小浜に宿泊してカニ料理を楽しむことにする。ホテルの窓の下が岡津製塩遺跡、さらにそこから小浜湾を隔てて、「若狭富士」の別称で知られる青葉山が正面に望めたことも儲けもの。
翌日は、いろいろと探訪。小浜市内では、若狭武田氏の守護館跡・空印寺(八百比丘尼伝説あり)、小浜城跡(本丸石垣だけが神社境内として残る、可愛らしいお城)、船に乗っての小浜湾巡り、海産物市場での海鮮丼、若狭歴史博物館と若狭国分寺を楽しむ。
本命のニソの杜は、全て巡る時間はないので、報告書を見ながら場所を限定。それぞれのニソの杜は、かつては祭祀の時以外は立ち入り禁止だったというのだが、今はそこまでのタヴーはないようで、敬虔な気持ちさえ忘れないならば良いということで、浜禰の杜、瓜生の杜、浦底の杜を拝ませていただく。なお、浜禰の杜の隣接地が、これもかつて同志社大学考古学研究室が発掘した浜禰製塩遺跡なのだが、これはまったく薮になっていてよく確認できなかったのは残念。
しかし、ニソの杜、本当に、大木を中心とした小さな「森」である。小さな祠が設けられているところもあるが、それもそんなに頑丈なものではない。供物も質素そのもの。こういうのは、時間がたつと考古学的な遺構として確認することは難しいだろうな。