« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019.01.31

小咄ジョーキューノヘン

【Facebookより】
承久の乱についての有名な小咄のコピペがあるので後半を継ぎ足して改作してみました。あんまり本気にとらないでください。
--------------------------------------------------------------
海水浴場の見張りのバイトやってた時、DQNカップルが遊泳禁止の場所で遊んでるんだよ。
そいつらに「危ないぞ、に流されたらどうするんだ!」って注意すると、そのDQN男、「オキに流されるって、ゴトバジョーコーかよwww」、DQN女「マジ受ける〜 ジョーキューノヘン〜」なんてワケわからんこと言うんだよ。

だから俺は「ふざけるな!帰って来れなくなったらどうするんだ!!」つったら、DQN男「は? ゴダイゴさん普通に帰ってるしww」、DQN女「え〜 ケンムノシンセイじゃんww」とか、またヘンなことを口走ってる。

それでも仕事だと思って「事故に遭ってからてて、シマッタと悟っても遅いんだからな!」と言うと、DQN男「阿波ててシマッタ土佐とってもだって〜〜」、DQN女「今度はなんだ~ ツチミカドインだな~」とヘラヘラするんだよ。

俺「お前らみたいなヤツがいるから、周辺住民から苦情はいているんだぞ!」。DQN男「九条るって、チューキョーテンノー!」、DQN女「在位78日で最短記録〜! ホント可哀想〜!」。さっぱりわからんが、コイツらみたいなのの相手をさせられて、可哀想なのはこっちだ!

イラついた俺は「わかった、もういいさ、どんな目にあっても自己責任だからな!」。そしたらDQN男は「おっ、いい佐渡んな目にあっても、と来ましたか!」、DQN女「ヨッ、真打ち! ジュントクインの登場!」とホザく。

俺、もうキレてしまって、「もう知らんから勝手にしろ! 駐車場出入口の機械が閉まったら、その瞬間からお前らもう出られなくなるんだからな!」と言うと、とたんに慌てだして、「キカイガシマったらその俊寛から出られない! そりゃ大変だ、確かに帰れなくなる!」って逃げ出したんだよ。

このDQNども、最初から最後までいったい何言ってんだ、本当に日本語理解できるんか?、って呆れたぜ。

2019.01.27

歴史研究にあたっての一次史料と二次史料について、の巻

【Twitterより抄出】
〔渡邊大門さんから「『日本書紀』を徹底して史料批判して、歴史研究に用いるというのは、ほんとうに優れた技だ。『吾妻鑑』も同じ。古代史の場合は、古い時代になればなるほど、編纂物を史料批判して使わざるを得ない。」との指摘を受けて、ふだん思っていることを書きました。下記はそれをまとめ直したものです。〕

 歴史学の上で一次史料が大事だというのは当然です。でも若い研究者の中には「歴史は一次史料だけで書くべきであり、編纂物のような二次史料は使うべきではない」と信じ込んでいる方がいます。じゃあお前、古事記も日本書紀も使わずに古代史を書いてみろよ、と言いたくなるのですが、グッと我慢してます。もちろん二次史料の利用には充分な史料批判と情勢分析が必要です。しかし、単に二次史料だというだけで問答無用で排除する、というのは誤りなのです。
 例えば、平治の乱について一次史料だけで叙述することは無理があります。承久の乱についてもしかりです。平家物語のなかには、一次史料に出てこない真実が顔を覗かせていることがよくあります。吾妻鏡なしの鎌倉時代史は、おそらく空気の抜けた風船のようなものでしょう。
 一次史料原理主義者が陥いりがちなもうひとつの陥穽は、一次史料に出ているから無条件に真実と考えることです。史料には必ず、書き手のバイアスがかかっています。それを充分に考慮しておかないと、史料の書き手の無知、偏見、嘘などまで、私たちの歴史叙述に取り入れてしまうことになります。

 それではどうしたらよいか。
 (1)一次史料を分析して、マズいと考えるところを取り去り、的確な部分を抽出し、それによって骨格を組み立てる。
 (2)二次史料から、一次史料と矛盾しないところ、自然に接続できるところを抽出し、一次史料の補完に充てる。
 (3)それでもできる空白部分には、状況証拠、時代情勢などを熟考した上で、もっとも妥当な仮説を立てる。
 (4)もちろん、その間には、先行研究を充分に咀嚼しておく。
 (5)そこまでやると、必ず新しい視点が出てきて新しい見方ができてくる。
 (6)(1)に戻って史料を再検討し、以下、その繰り返し。
 (7)以上のようにして詰めて詰めて詰めても、やっぱり不明なところは残ります。その点は正直に「現段階ではこれは私にはわかりません」と認める。
 (8)ただ、そこでも、今は立証できないけれどもこういう可能性は考えられる、とか、将来の研究への方向性はこれだ、という見通しは示しておいたほうが良い。
こういう循環による止揚こそが、私の思っている歴史研究です。

 かつて小林行雄先生(京都大学名誉教授)は「真の考古学とは実証の上に立つ推理の学である」(『古墳時代の研究』)と喝破されました。私見では、これは考古学だけでなく歴史学全部に適用できる名言です。実証の上に立たない推理は単なる空想ないし妄想です。かといって推理なき実証などは、「研究」の名に値しません
 「推理なき実証」ということで思い出されるのは、ある研究者の論文を批判した棚橋光男氏(『後白河法皇』)です。棚橋氏によるとこの方の論文は、史料については博引旁証・行くとして可ならざことなきものでありながら、結論的論定にはまったく乏しく、テーマになっているものについて疑問を呈するものの、かといってまったくこれを否定する確証はないとし、疑問は疑問として置いておいて、これに関する有力な史料が今後出てくることを期待する、というものであったそうです。この研究者は、自分のこうした態度が実証的で誠実なものだと思っていたのでしょう。しかし棚橋氏はこれに対して「要するに、全否定も、全肯定もせず、判断中止をし、ひたすら河清をまってほとんど不可能事の出現を請い求める」ものであると厳しく批判し、「歴史学は、不可知論が支配する闇の領域では決してなく、蓋然性の精度を方法的に高め歴史的真実に一歩でも二歩でも肉迫しようとする人たちの思想の共同体だ」と高らかに宣言しています。

 むしろ、こんなことは歴史研究者の共通認識だと思っているのですが、近年には一次史料原理主義の若い人が目立ちますので、あえて言いました。私ごときがこんなことを言うと、専門の文献史学者からは、何をエラそうに、と怒られてしまうでしょうが、御不快な点についてはなにとぞご寛恕くださいませm(_ _)m

2019.01.24

中学や高校の先生にも研究者を!、の巻

Facebookとtwitter、いままでは敬遠していたのですが、ふと思いついて書き込んでみると、結構面白い。ただ、ブログとFacebookとtwitterをどう使い分けるか、なかなか難しいです。ブログは記録、Facebookは人との繋がり、twitterはすぐ消えてもいいつぶやき、ということなんでしょうが、実際は重なることも多いです。ただ、これから時々、Facebookとtwitterに書いたものを転載しておきたく思います。

【Facebookより抄録】
(「komei」さんが、「こつこつと地域の歴史を明らかにしようという郷土史家が少なくなっているのはある意味危機感があります」ということをおっしゃりました。以下はそれについての私見です。)
                   *
 まさにその通りだと思います。昔は、中学や高校の先生で郷土史の碩学、という方がおられて、その指導を受けた生徒が歴史学の道に入る、ということがよくありました。仄聞するところでは、今は、中学や高校でも業務に追われ、歴史に限らず、高校や中学の先生をやりながら研究を続けていこうとするのはかなりしんどいことらしいですね。しかし、中学や高校で、研究に真剣に取り組んでいる先生の姿を見せることは、生徒に良い影響を与えるはずだと信じます。教育改革が叫ばれ、なんだかんだと教育制度をいじり、上からの締め付けを強化していくような方向ばかりに進んでいますが、これはいかがなものなんでしょう。日本の国力を上げるには、中学や高校にも研究のできる先生を一定程度揃えて行く、そうしたところから始めるほうが、結局は近道なのではないかと思っています。
                   *
野口実先生(京都女子大学名誉教授)も高校教員の御経歴があり、その時には大変ご苦労されたとのことですね。その大変な中でも研究者として姿勢を貫かれていたことには、影響を受けた生徒さんも必ずおられることと思います。
                   *
(永井晋さんから、「地元の事をよく知る旧家の古老的な人が、絶滅危惧種になっています」という指摘がありましたので、それをうけて)
だからこそ、今のうちにきちんと聞き取りをしておかねばなりませんね。こういうところこそ、地元の中学・高校の先生や、学校のクラブ活動の出番だと思うのです。中学生や高校生が年輪を重ねてきたおじいちゃんおばあちゃんの話をじっくりと聞くなんてことはすばらしいです。

論文を載せる媒体、の巻

【Facebookより抄録】
 渡邊大門さんから、「ある研究者が、商業誌に書いた、一般向けで注などもないものを『論文』としていた。これは良いのかどうか」という問題提起があり、それに私見を綴りました。
                             *
 載る媒体が問題なのではなく、ちゃんと「論」を立てている(もちろん註もあり)ならば論文、そうでないならば論文ではない、ということではないでしょうか。『歴史読本』(懐かしいですね)のような商業出版雑誌に掲載されたものにも、優れた論文は数知れずあると存じます。もちろん、査読アリの学術雑誌に掲載された論文がより高位であることはいうまでもありませんが。
                             *
掲載媒体のランク、査読、論文形式などを厳しくいうのは、理系の習慣が持ち込まれたもののような気がします。人文系の場合にはそこまでガチガチにしてしまう必要はないのではないか、と思っています。商業誌、小さな研究会で出している同人雑誌のような媒体であっても、質の高い論文はいっぱい載っており、それを「媒体のランクが低い」ということだけで軽視するようなことはあってはならないと思うのです。ただ、大学の世界でも理系習慣が絶対的正義のように扱われつつあって、「ちゃんとした学会の学術雑誌や大学紀要(これも問題があるのですが)以外に載ったものを『論文』と言ってはならない」というような風潮は確かにあります。さらに、一般向け媒体に書いたことをリライトしてきちんとした論文にまとめなおそうとした場合ですら、理系に染まっている方々からは「二重投稿だ! 業績の水増しだ!」と言われてしまいかねないという危惧があり、いささか戦々恐々としてしまいます。せちがらいですね😖
                             *
学問分野によって習慣はいろいろなのは確かですね。要するに、ある分野の習慣を別の分野にまで押し付けないでほしいな、と思っています。論文は「総説」「原著論文」等に分けなければならない、などというのは、歴史学の分野においてはまったくなじまないと思っております。
                             *
学史を重視する姿勢、私も、若い人たちに伝えていきたいものだと思っています。この場合の学史は、単なる先行研究の羅列ではなく、先学の生き様なども含めた、それ自体がひとつの歴史叙述になるといいな、と思っています。
                             *
時々、「なんでこんなテーマの依頼を私に? そんなこと、今まで書いたことがないのに・・」と首をかしげるようなものがあって、それが断れない先生や先輩の推薦によるものだったりして、しかたないので一生懸命書いたら、その結果、自分でも驚くほどに良いものが書けて、「よし、新境地を開いたぞ」と自分自身でも感激するような結果になることもあるし、その一方ではやっばりうまくいかず、「引き受けるんじゃなかった」と自己嫌悪に陥ることもあったりするので、なかなか難しいものだと実感します。呑みながらの雑談なんかの中で研究者本人すら気づいていないような「芽」を見つけて、それをうまく育てていくというのが一流の編集者なんでしょうね。
                             *
私の師匠の森浩一先生は、今から思っても、教え子に色々書かせることに関して、サジ加減の名人でした。

2019.01.15

まち猫ミケが旅立つ、の巻

49270370_2071168556295528_403440372
 1月15日(火)
 先日からウチでめんどうを見ていた「まち猫」ミケが旅立ちました。推定7歳。
 もともとウチの町内のあたりで生まれた野良猫で、以前は近所の家の人が餌をやったりして可愛がっていましたが、その家が引っ越されて、また別の家で世話してもらっていた。避妊手術もしてもらっていました。ところが3年くらい前から我が家に来るようになり、ご飯をやるようになりました。発泡スチロールの箱を置いておくと冬の寝ぐらにしたり、夏の暑い時には我が家の玄関前で涼んでいたりします。
 こういう野良猫の世話をすることには批判もあることは承知していますが、町内には可愛がってくれる人も多かったので、正式な手続きはできてはいないものの「まち猫」に準ずるような状態だったとは思っています。けっこう警戒心は強いので、ほとんど身体を触らせてはくれないし、どこかの家に閉じ込めて飼われるのは猫にとっても不本意であり、「まち猫」という生活スタイルが会っていたように思います。時々、あげた餌をカラスに横取りされたりしたりしてはいましたが・・・

 ところが、昨年の年末に、しばらく姿が見えなくなりました。どうしたのかな、と思っていたら、路上で衰弱した姿で発見。猫好きの近所の方が救助して病院に連れて行くと、獣医の先生が生きているのが不思議だというほどに腎臓が弱っており、脱水状態と貧血でしばらく入院。ただ、大がかりな治療と毎日の病院通いをやればしばらくの延命はできるかもしれないが、それも余命いくばくというような予想。かといって外に戻すとすぐに死ぬのは確実。病院で安楽死、という手段も提案されたのだが、けっきょく、積極的な延命治療はせずにやすらかに最期を迎えさせてやろうということになり、わが家で引き取ることにしたのです。

 これもご近所さんのご協力でケージを提供していただき、そこに寝床とトイレをしつらえます。そばにオイルファンヒーターを備え付けたので、少なくとも寒さに凍えるということはないはずだし、水とご飯はいつでも食べられるようにしておきます。そうすると、素人目で見る限りではどんどん元気になったようで、食欲も旺盛。一両日で看取るつもりが、この分ではまだまだ生きるような気がしてきました。しかし、やはりそうではないのですね。数日前から次第に動きが鈍くなり、餌も食べなくなってきました。昨晩の真夜中に少しだけ水をやったら飲んでくれたのですが、朝、私たちが目覚めると息をひきとっていました。「家飼い」をしたのはわずか三週間ですが、やはり情が移っているのか、悲しいものでした。ただ、寒風の中の孤独な死ではなく、暖かく、ご飯と水もある環境で送り出せたことは、自己満足かもしれないながら、お互いに良かったと思うことにしております。

2019.01.02

2019年、謹賀新年、の巻

Img_8379
〈イノシシ年といえば、やっぱり護王神社!〉

 2019年正月
 みなさま、あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお世話になりました。イノシシ年生まれの私としては、本年は「年男」となります。今年もお世話になると思いますが、なにとぞよろしくお引き回しくださいませm(_ _)m。

Img_8083
〈福井県小浜市の岡津製塩遺跡から、小浜湾を隔てて、若狭富士(中央)と大島半島(右側)を望む〉

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »