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2019.01.27

歴史研究にあたっての一次史料と二次史料について、の巻

【Twitterより抄出】
〔渡邊大門さんから「『日本書紀』を徹底して史料批判して、歴史研究に用いるというのは、ほんとうに優れた技だ。『吾妻鑑』も同じ。古代史の場合は、古い時代になればなるほど、編纂物を史料批判して使わざるを得ない。」との指摘を受けて、ふだん思っていることを書きました。下記はそれをまとめ直したものです。〕

 歴史学の上で一次史料が大事だというのは当然です。でも若い研究者の中には「歴史は一次史料だけで書くべきであり、編纂物のような二次史料は使うべきではない」と信じ込んでいる方がいます。じゃあお前、古事記も日本書紀も使わずに古代史を書いてみろよ、と言いたくなるのですが、グッと我慢してます。もちろん二次史料の利用には充分な史料批判と情勢分析が必要です。しかし、単に二次史料だというだけで問答無用で排除する、というのは誤りなのです。
 例えば、平治の乱について一次史料だけで叙述することは無理があります。承久の乱についてもしかりです。平家物語のなかには、一次史料に出てこない真実が顔を覗かせていることがよくあります。吾妻鏡なしの鎌倉時代史は、おそらく空気の抜けた風船のようなものでしょう。
 一次史料原理主義者が陥いりがちなもうひとつの陥穽は、一次史料に出ているから無条件に真実と考えることです。史料には必ず、書き手のバイアスがかかっています。それを充分に考慮しておかないと、史料の書き手の無知、偏見、嘘などまで、私たちの歴史叙述に取り入れてしまうことになります。

 それではどうしたらよいか。
 (1)一次史料を分析して、マズいと考えるところを取り去り、的確な部分を抽出し、それによって骨格を組み立てる。
 (2)二次史料から、一次史料と矛盾しないところ、自然に接続できるところを抽出し、一次史料の補完に充てる。
 (3)それでもできる空白部分には、状況証拠、時代情勢などを熟考した上で、もっとも妥当な仮説を立てる。
 (4)もちろん、その間には、先行研究を充分に咀嚼しておく。
 (5)そこまでやると、必ず新しい視点が出てきて新しい見方ができてくる。
 (6)(1)に戻って史料を再検討し、以下、その繰り返し。
 (7)以上のようにして詰めて詰めて詰めても、やっぱり不明なところは残ります。その点は正直に「現段階ではこれは私にはわかりません」と認める。
 (8)ただ、そこでも、今は立証できないけれどもこういう可能性は考えられる、とか、将来の研究への方向性はこれだ、という見通しは示しておいたほうが良い。
こういう循環による止揚こそが、私の思っている歴史研究です。

 かつて小林行雄先生(京都大学名誉教授)は「真の考古学とは実証の上に立つ推理の学である」(『古墳時代の研究』)と喝破されました。私見では、これは考古学だけでなく歴史学全部に適用できる名言です。実証の上に立たない推理は単なる空想ないし妄想です。かといって推理なき実証などは、「研究」の名に値しません
 「推理なき実証」ということで思い出されるのは、ある研究者の論文を批判した棚橋光男氏(『後白河法皇』)です。棚橋氏によるとこの方の論文は、史料については博引旁証・行くとして可ならざことなきものでありながら、結論的論定にはまったく乏しく、テーマになっているものについて疑問を呈するものの、かといってまったくこれを否定する確証はないとし、疑問は疑問として置いておいて、これに関する有力な史料が今後出てくることを期待する、というものであったそうです。この研究者は、自分のこうした態度が実証的で誠実なものだと思っていたのでしょう。しかし棚橋氏はこれに対して「要するに、全否定も、全肯定もせず、判断中止をし、ひたすら河清をまってほとんど不可能事の出現を請い求める」ものであると厳しく批判し、「歴史学は、不可知論が支配する闇の領域では決してなく、蓋然性の精度を方法的に高め歴史的真実に一歩でも二歩でも肉迫しようとする人たちの思想の共同体だ」と高らかに宣言しています。

 むしろ、こんなことは歴史研究者の共通認識だと思っているのですが、近年には一次史料原理主義の若い人が目立ちますので、あえて言いました。私ごときがこんなことを言うと、専門の文献史学者からは、何をエラそうに、と怒られてしまうでしょうが、御不快な点についてはなにとぞご寛恕くださいませm(_ _)m

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