« まち猫ミケが旅立つ、の巻 | トップページ | 中学や高校の先生にも研究者を!、の巻 »

2019.01.24

論文を載せる媒体、の巻

【Facebookより抄録】
 渡邊大門さんから、「ある研究者が、商業誌に書いた、一般向けで注などもないものを『論文』としていた。これは良いのかどうか」という問題提起があり、それに私見を綴りました。
                             *
 載る媒体が問題なのではなく、ちゃんと「論」を立てている(もちろん註もあり)ならば論文、そうでないならば論文ではない、ということではないでしょうか。『歴史読本』(懐かしいですね)のような商業出版雑誌に掲載されたものにも、優れた論文は数知れずあると存じます。もちろん、査読アリの学術雑誌に掲載された論文がより高位であることはいうまでもありませんが。
                             *
掲載媒体のランク、査読、論文形式などを厳しくいうのは、理系の習慣が持ち込まれたもののような気がします。人文系の場合にはそこまでガチガチにしてしまう必要はないのではないか、と思っています。商業誌、小さな研究会で出している同人雑誌のような媒体であっても、質の高い論文はいっぱい載っており、それを「媒体のランクが低い」ということだけで軽視するようなことはあってはならないと思うのです。ただ、大学の世界でも理系習慣が絶対的正義のように扱われつつあって、「ちゃんとした学会の学術雑誌や大学紀要(これも問題があるのですが)以外に載ったものを『論文』と言ってはならない」というような風潮は確かにあります。さらに、一般向け媒体に書いたことをリライトしてきちんとした論文にまとめなおそうとした場合ですら、理系に染まっている方々からは「二重投稿だ! 業績の水増しだ!」と言われてしまいかねないという危惧があり、いささか戦々恐々としてしまいます。せちがらいですね😖
                             *
学問分野によって習慣はいろいろなのは確かですね。要するに、ある分野の習慣を別の分野にまで押し付けないでほしいな、と思っています。論文は「総説」「原著論文」等に分けなければならない、などというのは、歴史学の分野においてはまったくなじまないと思っております。
                             *
学史を重視する姿勢、私も、若い人たちに伝えていきたいものだと思っています。この場合の学史は、単なる先行研究の羅列ではなく、先学の生き様なども含めた、それ自体がひとつの歴史叙述になるといいな、と思っています。
                             *
時々、「なんでこんなテーマの依頼を私に? そんなこと、今まで書いたことがないのに・・」と首をかしげるようなものがあって、それが断れない先生や先輩の推薦によるものだったりして、しかたないので一生懸命書いたら、その結果、自分でも驚くほどに良いものが書けて、「よし、新境地を開いたぞ」と自分自身でも感激するような結果になることもあるし、その一方ではやっばりうまくいかず、「引き受けるんじゃなかった」と自己嫌悪に陥ることもあったりするので、なかなか難しいものだと実感します。呑みながらの雑談なんかの中で研究者本人すら気づいていないような「芽」を見つけて、それをうまく育てていくというのが一流の編集者なんでしょうね。
                             *
私の師匠の森浩一先生は、今から思っても、教え子に色々書かせることに関して、サジ加減の名人でした。

« まち猫ミケが旅立つ、の巻 | トップページ | 中学や高校の先生にも研究者を!、の巻 »