北近畿型最古式群集墳について、の巻
【Facebookより】
神奈川在住の古墳マニア「ぺん@古墳巡り」さんという方のツイッターを見ていると、前方後円墳総数の都府県別ランキングというのを作られていました。
この表で興味を惹かれるのは、前方後円墳の数以外に、古墳の総数では兵庫と京都が上位に入ってること。これは恐らく、但馬と丹後に特有の、前期から中期前半の小規模古墳の群集がやたらにあるからです。私はこれを「北近畿型最古式群集墳」と名づけた。その評価はこれからの課題ではありますが、ウソだと思うのでしたら、丹後や但馬の山の尾根を歩いてみてください。気づかないほど小さな小さな古墳が数珠つなぎに連なってます。その様子は、たとえば「兵庫県遺跡地図」の豊岡市の部分を参照してみていただければよくわかります。中には、弥生の方形台状墓群と区別つかなかったり、それに接続するものもある。大和や河内ではこんなのは見られません。
添付の図で、左が北近畿型最古式群集墳(尾根の上に数珠つなぎ、円墳または方墳、埋葬主体は木棺直葬、時期は4世紀~5世紀前半)、中が古式群集墳(初期群集墳とも呼ばれる。丘陵上、円墳が主体、埋葬主体は木棺直葬、時期は5世紀~6世紀前半)、右が一般的な群集墳(後期群集墳とも呼ばれる。丘陵裾や、谷間に立地することが多い。円墳がほとんど。埋葬主体は横穴式石室、時期は6世紀後半~7世紀中葉)。これを比較していただければ、北近畿型最古式群集墳の特異性がお分かりになっていただけると思います。
「北近畿型最古式群集墳」なんて聞いたことがない、という方もおられると思いますが、勝田至編『日本葬制史』(東京、吉川弘文館、2012年)所収の拙稿「古墳時代」の項でまとめておきましたので、ご興味ある方はそちらをご覧下さい。ただ、この論考、自分なりの古墳時代像を通史的に確立しようとして一生懸命書いたのに、あんまりどなたも参照してくれない😖。それから、この書物が仕上がってきたのは、ちょうど私が大病で生死の境をさまよっている時。熱にうなされながら私は、病床でのうわ言に「北近畿型最古式群集墳が・・・」などと叫んでいた覚えがかすかにあります。
かなり以前のことですが、私は、現在の京都府京丹後市大宮町の小池古墳群の発掘調査に参加しました。弥生時代の方形台状墓群だと聞かされていたのですが、掘り下げていくと五世紀中葉の須恵器のハソウが出てきて仰天、古墳時代の古墳だということが判明。丹後にはこういうのがたくさんあることがわかってきました。一方、南山城地域の京都府精華町の「精華ニュータウン(関西文化学術研究都市精華地区)」建設予定地の広域発掘では、丘陵の尾根の上に小さな隆起がポコポコしていて、当然これは古墳が並んでいると思われたのですが、掘ってみるとこれが全部自然の高まり。その地区を担当された川西宏幸さんが「今日のもダメだったよ」とボヤきながら宿舎に帰ってこられたのが印象に残っています。どうも、丹後と南山城ではこうした尾根の小古墳群のありかたがまったく違っている。このことが、「北近畿型最古式群集墳」の発想に繋がりました。