安土城天守復元構想について、の巻
【Facebookより】
安土城天守復元を滋賀県が検討中というニュース が飛び込んできた。正直言って、バカげていると思う。
安土城天守復元案、図に示したように、新旧とりまぜるといろいろある(もちろん、かなり以前の説であって今となっては研究史上の意味しか持たないものもある)。本命とされているのは内藤昌説だが、実はこれにも問題が山積している。対抗馬といえるのは宮上茂隆説だが、これも確定、と自信を持って言うにはなかなか難しい。最近では、佐藤大規説もユニークな復元をして注目株ではある。
たしか、滋賀県立安土城考古博物館の常設展示では、以前には安土城天守の復元図は内藤説、宮上説などが併記されていてなかなか公平だったように記憶するが、近年では内藤説だけしか紹介されなくなったようで、かなり危惧を感じる。
そもそも、安土城天守・城門について、いちおうは信頼できる絵図は、信長がローマに送らせた「安土山図屏風」を画家フィリップス・ファン・ウィングが見て描いたという、この図だけ。ただ、とてもこれだけに基づいては正確な復元は不可能。
つまり、安土城天守を学問的に完璧に復元するというのは、現段階ではちょっと無理筋なのである。それを建ててしまうとなると、どうしてもそれは「偽物」ということにならざるをえないのである。あれほど重要な史跡にわざわざ偽物を造ることはないと思っている。
ただ、その一方では、それじゃ平城宮大極殿・朱雀門の復元や、吉野ヶ里遺跡の復元はどこまで正確なの?、城の復元については悪口を言いながら、そうした遺跡の復元は批判しないの?と言われてしまうと、我ながらグッと詰まってしまう。復元というのはどの程度までが許容範囲で、どこを超えると歴史の捏造になってしまうのだろうか? 難しい問題である。