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2019.02.27

『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』の宣伝、の巻

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 歴史上の人物の子孫と称する人が、その歴史的人物についての本を出されることがよくあります。ただ、一般論としては、子孫というだけでその歴史的人物について余人にはわからない真実を見抜くことができる、ということは必然ではありませんし、子孫は先祖の賛美に走ってむしろ真実から遠ざかる、ということもありえますので、こうした傾向はいささかマズイことにもなりかねません😡。
 ただ、もし仮に歴史的人物の子孫がおこなうご先祖さまの研究がすばらしいものであるとした場合、ワタクシ個人の愚考ではありますが、まことに申し上げるのも畏れ多いことではございますが、歴史学研究者であるとともに今年に大御位を継承して第126代天皇となられます皇太子殿下におかれましては、父君の今上陛下およびご自身が紫式部の子孫であるということを踏まえられ、紫式部の研究🧐を始められますことを切に期待しているのでゴザイます😀。

 今上陛下そして皇太子殿下が紫式部の子孫といいだしますと、またトンデモと非難されることは必定ではありますが、これは角田文衞先生が立証されておられ、まったく疑いのない事実なのでございます。詳しくは角田先生の小文を読んでいただきたいのですが、これが収められた『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』は吉川弘文館から少部数のみ限定発売されており、売り切れますと重版はありませんので、ぜひ買っていたたきたいのであります🙏。
(註)角田文衞「現在に続く血脈 紫式部」(角田文衞著、古代学協会編、吉川真司・山田邦和責任編集『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』〈京都、古代学協会〔発売:吉川弘文館〕、2018年〉所収。初出は1993年)

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 ごくごくかいつまんで簡単に説明してみたく存じます。まず、いうまでもないことでありますが、今上陛下や皇太子殿下をはじめとする現在の皇室は南北朝時代の北朝の子孫であり、それは遡ると鎌倉時代の後深草天皇に始まる「持明院統」に連なっていきます。
 紫式部のたったひとりの子が、筑前守藤原宣孝との間に生まれた藤原賢子すなわち大弐三位であることはどなたもご承知と思います。この賢子は藤原定頼や中納言藤原兼隆とも愛をはぐくんだのでありますが、その後には大宰大弐高階成章の妻となりました。賢子と成章の間に生まれた備中守高階為家がこの話のキー・パーソンなのであります。この為家の子として高階為賢がいます。その娘が式部少輔藤原能兼と結ばれて生まれたのが刑部卿藤原範兼。その娘が尊勝寺執行の能圓と結婚し、生まれた娘の在子が後鳥羽上皇の後宮に入って土御門天皇を産んで承明門院の女院号を贈られる。そして土御門天皇の孫が後深草天皇なのでありますから、同天皇そして現在の皇室が紫式部の子孫であることは明らかなのであります。
 そして、キー・パーソン為家のもうひとりの子は丹後守高階為章で、その孫の女性が中納言藤原家成とむすばれ、その孫が権大納言藤原隆房であり、その子は権大納言藤原隆衡、その娘の貞子が太政大臣藤原(西園寺)実氏の妻となって大宮院藤原(西園寺)姞子〈姞は女へんに吉〉を産み、彼女が後嵯峨天皇との間に産んだ息子が後深草天皇であるから、同天皇には重ねて紫式部の血脈が受け継がれていることになります。
 さらにいうと、キー・パーソン為家のもうひとりの娘は但馬守源家実の妻となって高階基章を産んだのであるが、この基章の娘は平清盛の最初の妻となっており、2012年の大河ドラマ『平清盛』ではこの女性を女優の😍加藤あい様😻が清楚可憐に演じておられたことも記憶に新しいことであります。そして清盛の嫡男の重盛はこの高階氏女の子であるから、重盛もまた紫式部の子孫だということになります。また重盛の同母妹が前述の権大納言藤原隆房と結ばれて権大納言藤原隆衡の母となり、その曽孫が後深草天皇であるから、同天皇の身体にはさらに重ねて紫式部の血が流れているのであります。
 また、後深草天皇の曽孫である北朝崇光天皇が源(綾小路)資子との間に伏見宮栄仁親王を儲け、その子が後崇光院太上天皇(貞成親王)、その皇子がはからずも皇位を継承して後花園天皇となって、それが現在の皇室につながっているのであるが、この資子もまた、キー・パーソン為家の娘のひとりが宮内卿源有賢との間に産んだ権大納言源資賢の子の右近衛中将源(綾小路)時賢の五代の後裔にあたっているから、ここでも紫式部の血は受け継がれているのです。
 さて、後崇光院の妃であって後花園天皇の母は敷政門院源(綾小路)幸子であるが、彼女は栄仁親王妃の資子の兄弟で庭田家を起こした右近衛少将源経有(資子と同じく、キー・パーソン為家の後裔)の娘であるから、彼女もまた紫式部の子孫であることになります。
 それから、後花園天皇の子である後土御門天皇が贈皇太后源(庭田)朝子との間に後柏原天皇を儲けたのであるが、この朝子はキー・パーソン為家の子孫であって庭田家初代の源経有の曽孫にあたっているから、ここでもまた紫式部の血脈が登場しております。
 これだけ簡潔に説明させていただくならば、今上陛下と皇太子殿下には紫式部の血が何重にも受け継がれていることは誰しも疑いのない事実として受け入れていただけるものと存じます。
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 なお、いうまでもないことですが、最初に書いた、皇太子殿下に紫式部の研究をやっていただくことを期待する、というのはあくまでワタクシなりの屈折した冗談でありますので、どうか本気に取らないでくださいませ😅。

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