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2019.03.28

NHK「事件の涙『そして、研究棟の一室で~九州大学 ある研究者の死~』」を見る、の巻

 話題になっていたが本編を見逃したNHK「事件の涙『そして、研究棟の一室で~九州大学 ある研究者の死~』」、昨日再放送があったので見ることができた。内容については同一テーマの「九州大学 ある“研究者”の死を追って」をご覧いだたきたい。研究者を目指したが、才能はありながらも思うようにはいかず、経済的に追い詰められて最後は自死を選んだひとりの人物の悲劇。本当に、胸を突かれる思いで見ていた。

 多くの意見が寄せられているらしいが、研究者の中でほぼ異口同音なのは、「ひとごとではない。明日は我が身」。もちろん大学に放火するというのはマズいのは確かなのだが、追い詰められたその心情は理解できる。この方を、研究者を目指しているクセに博士論文すら書けなかったのは失格だとか、経済的に追い詰められたというならば転身して他の職を探せばいいだけじゃないか、所詮は自己責任だと、上から目線で突き放すのは容易い。しかし、私にはそれだけでいいとは到底思えない。
 我が身をかえりみても、若い時に学問に憑かれてその道に進みたいと思ったが、それで本当に身を立てられるかどうかなんかは全然わからなかった。しかし、いわゆる「コケの一念」で、結局は食っていけるかどうかわからない道に踏み込んでしまった。学窓を出る時にも進路が決まっていなくて不安ばかりであったが、幸いなことになんとか研究を続けることができる職を得ることができた。ただ、これは私の才能と努力の結実というよりも、偶然の機会をとらえることができた、という幸運が大きかったのだと思っている。
 ただし、考古学という学問は他に比べるとまだ恵まれたほうである。考古学の技能と知識を活かせる専門職としては、大学教員や博物館学芸員だけではなく、役所の文化財担当や埋蔵文化財センターなどがあり、そうした職に就くことができる可能性は高い。要は「裾野が広い」のである。しかし、他の分野は、研究しようと思うと限られた大学教員のポストしかなく、そこから外れると研究自体をあきらめねばならなくなる、ということも多い。せっかく高等教育を受けて高度な専門性を持った人材を活かせないのは国家的な損失だと思うし、それぞれの学問分野でもっともっと「裾野」を広げ、いろんな人が研究にかかわる夢を実現できるようになればいいのだが、さて、どうしたらよいのか。日本でそれが実現できるのか・・・・

 研究者になりたい若い人々を追い立てて追い立てて競争させて競争させて、そこで負けた連中は容赦なく切り捨てて、その死屍累々の中を勝ち残った少数の天才だけが研究者として生き残れる、というのは、結局は学問の自殺行為だと思うのですよ。一流の天才はたしかにいますし、そういう方を大切にするのは当然です。しかし少数の天才さえいたら学問は進展すると思ったら大間違い。もっともっと幅を広げて、たくさんの人が学問を支え合うような構造こそが重要だと思っております。

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