日本人の名前について、の巻
前近代の日本ではやはり実名は正式には訓読みが原則だと存じます(音読みは僧侶、それに準ずる者、あとは若干の例外に限る)。音読みの「有職読み」(藤原定家サダイエをテイカという)は、ちょっと気取った、いわばアダ名のようなものだと思っております。拙著『日本中世の首都と王権都市』でもちょっとだけ述べたことがありますが、安倍晴明は「セイメイ」は俗称で、『宇治拾遺物語』巻11がいう「ハレアキラ」が正式のはずです。
角田文衞先生はここを重視され、「日本女性の名前を音読みはおかしい、訓読みでなくてはならない」と長年主張し続けられました。確かにこれは正当です。『平安時代史事典』はその原則が貫かれています。藤原彰子は×ショウシ→○アキコ、藤原定子は×テイシ→○サダコ。(ただ、平安時代の貴族の女性は実名があってもそれで呼ばれることはほとんどなく、実名が形骸化していたのも事実ですが、それはまた別問題)。
「訓読みはいろんな読み方ができるので正確な発音がわからない。だから音読みにするのである」と言う方もおられますし、それは理解できないではないのですが、しかしこれを女性名だけに限定して適用するのはいかがなものでしょうか。応仁の乱の元凶の畠山義就、従来はヨシナリだったのが最近ではヨシヒロが多くなってきましたが、これはどちらも一応は史料的根拠があります。ただ、どちらかわからない者は音読みにするという原則を貫かれるのでしたら、これはハタケヤマギシュウにしなければならないはずですが、日本中世史の研究者でそう発音されている方は寡聞にして知りません。
ただ、訓読みという原則さえ押さえておいていただけるならば、音読みのアダ名までも全面否定するものではありません。漫画とか映画で安倍晴明を「セイメイ」と発音しているのにいちいち腹をたてていては身がもたないでしょうね。私自身も会話の中では、「藤原道長の娘の中宮アキコ、ショウシともいいますが」と言うことがあります。
日本中世史の大家・神戸大学名誉教授の高橋昌明先生、正式には「マサアキ」ですが、みなさん会話の中では「ショーメイ」と呼んでおられますよね。ご本人が書かれた『中世都市京都の研究(黒田紘一郎著)』の後書きにも、黒田先生が「ショーメイ」と語りかけている場面が登場します(ここ、黒田先生が力尽きて亡くなられる直前で、涙なくしては読めないシーンです)。
明治維新後はこの原則は無くなります。西郷隆盛の弟の西郷従道(元帥海軍大将)、おおらかな性格で、自分の名を「隆道リュウドウ」に決めてそれで登録しようとしたら、役人が聞き間違って「従道ジュウドウ」にされてしまい、さらに世間では「従道ツグミチ」と呼ばれるようになったが、本人は、ま、いいか、という感じで全然気にしてなかったらしいです。最後の将軍徳川慶喜も、ヨシノブが一般的ですが、ヨシヒサという史料も残っているようで、また、有職読みのケイキもよく使われており、ご本人もケイキが気に入っていたらしいです。
とにかく日本人の名前の読み方は難しいですね。正確な発音はご本人でしかわからない。姓では、友人に何人か河内さんがいるが、カワチ、カワウチ、コウチと全部発音が違う。中島さんにナカジマさんというと、いえ、僕はナカシマです、と返されて恐縮する。花房さんにハナブサなのハナフサなのと聞くと、ご本人も、えっ、どっちが本当だったかな、と首をかしげられてしまう。 外国ですが、世界最高のピアニストのひとりであるマルタ・アルゲリッチ Martha Argerich。この方、出身地がアルゼンチンで、アルゼンチンの公用語はスペイン語だから「アルヘリッチ」が正しいんだ、という人がおられます。だがご本人は、私の先祖はカタルーニャ出身で、カタルーニャ語ではこれはアルジェリークと発音するのよ、でも私自身は「アルゲリッチ」が気に入っているのでこれに決めているのよ、とのこと。ご本人がそうおっしゃってるので、やはりこれはアルゲリッチですよね。
『平安時代史事典』の話に戻りまして、確かに訓読み原則は正しいと思うのですが、音読みに慣れた人からは「引きにくい」と悲鳴が続出しています。難しいものです。それを補うものとして、平安時代史事典には漢字索引が付いているのですが、これは漢字の画数によるもので、正直いってかなり引きにくいものです。実は、打開策として「平安時代史事典音読み索引」というのを作ろうかと夢想したこともあるのですが、めんどくさくて実行していません。すみません。