新型コロナウイルスに怯えるこんなご時世。ふっと思い出しましたので、 役にたつのではないかと思い、写真のフィルムのファイルから引っ張り出してきましたので、皆さんに紹介します。もう30年ほど前になるかな、高橋昌明先生の名著『酒呑童子の誕生』に触発されて、疫神と疫神祭祀の史料を集めていました。その時に京都市歴史資料館の写真帳から複写させていただいたもの。
これ、京都市伏見区の「荒木家文書」にふくまれている「疫病神の詫び証文」。伝染病を流行らせた疫神(疱瘡神)たちが前非を悔いて、もう二度と悪さはしませんと誓った証文。一条天皇の長徳3年(997)ということになっています。「疫病神の詫び証文」自体は各地で時々見ますが、京都市内ではこれが唯一だと思います。ただし現物は今はどこにあるかよくわからないみたいです。
疫神の名前が人をくってますね。丈七尺の山伏の「黒味筋悪」、才浄成坊?の「脚品荷軽」、五十才喰姫?の「松波掻姫」、「邪人寛味」、「亦大般姫」。また、単にマジナイだけではなく、疱瘡の治療法らしきことが書いてあることも面白いです。
この証文の宛先は若狭国小浜の紺屋六郎左エ門。この人の名と「千早振神の子孫の家なれは邪魔モ悪魔も寄にきられす」という和歌を貼っておけば疫神には利くみたいです。これをプリントして戸口に貼っておけば、きっと新型コロナウイルスも侵入してこないと思いますのでお試しくださいませ。
大島建彦『疫神とその周辺』(東京、岩崎美術社、1985年)によって、翻刻を掲げておきます。
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疱瘡神五人相渡申誤證文御事
我ら共儀、往古ヨリ世上一統為時行候処、有志大酒□酔、又者軽可致疱瘡候処重為致候儀、我ら共心得違、且又笹湯等相済候後、七十五日之内、食餌に相障腹中瀉、一且相済候処疱瘡再発為致、不届之段奉畏候事。
一 外松波之類自今以後急度相止メ、蜀黍一通ニ仕、富士山之様山を上ケ可申候事。
一 序病本復之内、笹湯等相済成候迄、種々の隘+やく躰もなき誤言申間+候事。
一 疱瘡二付就キ仕舞不申内、何ケ様病気有之候共、猥リニ掻キ申間候。尤+虱ニ被喰候共、堪忍可申候。若無拠病気有之候ハハ、兎之手足ニ而+之撫置可申候事。
一 貴殿名前書附門口張置、悪キ者ニは見せ呵覗せも仕間+候事。
右之趣、以来急度相守可申候。自今以後何国之子供成り共、未弱之やく者不申ニ、成人後寄跡も出来候者、其節者何様之御咎メ被仰付候共、其+、一言之儀申間+候。為後日證文仍而如件
人皇六十六代一條院御代 長徳三 酉五月
千早振神の子孫の家なれは邪魔モ悪魔も寄にきられす
〈丈七尺山伏〉黒味筋悪
〈才浄成坊〉脚品荷軽
〈五十才喰姫〉松波掻姫
〈□□〉邪人寛味
亦大般姫
〈若州小浜〉紺屋六郎左エ門殿