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2020.08.26

法律学の学界での「物故者『博士』の原則」について、の巻


 学問分野によってその学界の慣習が異なっているのは当然です。ある学界の常識が他の分野から見ると非常識になってしまうこともよくあるが、一概に非難するのはまちがっています。しかし、これはさすがにあまりにあまり、と思うのは、「物故者『博士』の原則」😳です。


 私たちも、論文を書く時に、その中にでてくる人名につける「敬称」をどうするか、悩むことがあります。歴史学(考古学を含む)の学界では、「氏」に統一するか、または敬称は一律に省いて呼び捨てにするか、ということでほぼ固まっていると思います。ちなみに、私は原則として呼び捨てにします(もちろんそれは本文の中の話で、謝辞のところで呼び捨てはおかしいですから、そこだけには「◎◎先生」「◎◎氏」といった敬称をつけることにしています)。

 ここで、仰天するような慣習を持っているのが、法律学の世界です。論文中で出てくる人名について、呼び捨てでもいいとはされているものの、「やっぱり大先生を呼び捨てにするのは無礼だし、ためらっちゃうよね🤔」ということで、敬称をつけるのが普通だそうです。それなら私たちのように「氏」で統一すると簡単だと思うのですが、そうではないようですね。その世界では、「氏」は企業の法務部といったところに勤めている会社員に対してはいいが、大学の先生とか弁護士とか裁判官の偉い先生には失礼だ、と思われているようなのです(推測です)。


 そうすると、いちいち「◎◎教授」「◎◎准教授」「◎◎講師」「◎◎助教」「◎◎弁護士」「◎◎判事」「◎◎博士」などと呼び分けなければならない。しかしそれでは、准教授だと思っていたらいつのまにか教授に昇進しておられた、ということもあり、その人に対して「◎◎准教授」と書くと問題をおこしてしまう。私たちの感覚でしたら、それならそれでちゃんと調べたらいいじゃん、と思うのですが、法律の学界では「間違うなら大きめに間違ったほうがいい」、つまり「教授を准教授と間違うと大問題だが、准教授を教授にまちがうのは問題が少ない」という思考法になることがあるようなのです。すみません、私にとっては理解不能です。


 さらに驚天動地なのは、亡くなった人にたいしていちいち敬称を考えたり調べたりするのは手間だし、亡くなってあまりに日時がたってしまった先生を今さら「◎◎教授」と呼ぶのは違和感があるので、そういう人に対してはすべて「博士」の敬称をつけることで統一する。つまり、実際に博士号を持っていようが持っていまいが、亡くなっていたらすべて「博士」にしてしまう。これを「物故者『博士』の原則」といい、これでもいいんだ、とされていることです。


 私たちの学界にいる人からは「ウッソ〜!」という叫び声があがるのは必然だと思いますが、実は、法律学の世界ではこれがまかり通っているのですよね。大村敦志・道垣内弘人・森田宏樹・山本敬三『民法研究ハンドブック』(東京、有斐閣、2000年)にちゃんと書いてある。この本はパッチもんでなく、著者は東京大学と京都大学の法学部の教授というその世界では権威とされている研究者。出版社も有斐閣という法律の専門出版社で、この本はいわば民法の世界の事実上の教科書。しかし、私の常識とはあまりに異なっていて信じがたいので何人かの法律学者に聞いてみたら「確かにそういうことはある。ただし私はそんなことはしないが」という答えでした。「5ちゃんねる」を見ても、やはりそういう慣例はあるそうです。


 聞いた話の範囲内ですが、これは法律学の世界の特殊事情もからんでいるようですね。東京大学の法学部では、トップランクの若い人材は大学院に進学させるのではなく、学部を出たらすぐに助手に採用して、そこから講師→助教授→教授と昇進させていく、という慣習が永く続いていたようです。そこでは、大学院に進んで博士号をとるというのはむしろランク落ちとみなされる。ということは、一流大学の先生であればあるほど博士号は持っていない、という逆転現象がおこる、らしいです。そうすると、「自分は博士号を持っていないが、今は現職教授なので『◎◎教授』と書いてもらえる。しかし自分が死んでかなりたつと、『◎◎氏』にされてしまうかもしれず、それは嫌だ。『◎◎博士』ならばまだ許せる範囲なので、死んだあとはそう呼んでもらうことしよう」という事情があるのだ、ということもささやかれているようです。ホントかどうかは知らんけど。


 しかし、やっぱり、いくら亡くなっているからといっても、博士ではない人を◎◎博士と呼ぶのはヘンですよね。「5ちゃんねる」の掲示板でも若手の研究者から「おかしい!」という声があがっていました。「軽犯罪法」第1条には「・・学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称」した者は「拘留又は科料に処」されることになっています。自分で詐称するのではなく他人が呼ぶだけだからこれにはあたらない、というのかもしれませんが、やはり法律の精神には違背しますよね。法律をもっとも守らなくてはならない法律学者がこういうことでホントにいいのかな、という気はしております。

 

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