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2020.09.17

日本における前期旧石器存否問題への感想、の巻

 9月15日のNHKのBSプレミアム放送「アナザーストーリーズ 偽りの"神の手"―旧石器発掘ねつ造事件」、大変興味深く見た。「前期旧石器遺跡捏造事件」。2000年11月5日(日)の毎日新聞朝刊にスクープされた時はやはり衝撃だった。大学の研究室で外池昇さん(現・成城大学教授、近世・近代史)を待っていたら、飛び込んできた外池さん、興奮しながら「山田さん、見ましたか?!」。毎日新聞をとっていなかった私はなんのことかわからなくて目を白黒。新聞を見せてもらって、今度は目の玉が飛び出しかけた。あれからもう20年もたつんだな。

 確か、ちょっと前にも、この事件を検証したドキュメントがテレビ放映されてましたよね? そこにはちらっと現在の藤村新一氏が写っていて、行方不明と聞いていたのだがそうではないんだ、と驚きました。また、岡村道雄氏も登場されていましたが、氏の回顧は今回の番組のほうが率直かつ反省のにじみ出ているものになったように思います。

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「前期旧石器問題」、私は石器はまったくの専門外ですので、ド素人の独り言として聞いてくださいませ。

 要するに、相沢忠洋氏による「岩宿の発見」によって、日本列島にも1万数千年前より以前のいわゆる「旧石器時代」が存在したことは誰の目にも明らかとなった。しかしそれは世界的にみると「後期旧石器時代」であって、3万年前より以前の「前期旧石器時代(中期旧石器時代を含む)」の存否はずっと議論になってきた。可能性がある遺跡・遺物はいくつも存在した(そのひとつがいわゆる「明石原人」)が、いずれもなかなか確証がつかめなかった。そこに登場したのがこの「藤村『前期旧石器』」。3万年の壁をやすやすと突破し、4万年、7万年、10万年、40万年、70万年と、次々と「記録」を更新していった。しかし捏造発覚でそれは全てチャラになり、今、問題はまた「3万年の壁」に戻った。そして、近年の調査では、やっとその壁を突破して4万年くらい前の前期旧石器遺跡ならばあるうるような感になってきたし、5万年、7万年、10万年といった遺跡の存在も賛否の議論になっている。
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 しかし、私の個人的な身びいきと思われると困るのですが、ここで再評価しなくてはならない資料があると思うのです。それは、かつて前期旧石器論争の台風の目になりながら、不完全燃焼のうちに消え去ってしまった大分市の「丹生遺跡問題」。昭和30年代に地元の新聞記者と文献史学の古代史研究者によって確認され、前期旧石器時代の遺跡ではないかといって話題を呼んだ。山内清男氏と角田文衞先生が別個に予備調査をして、日本考古学協会の総会でぜんぜん別個に研究報告をして荒れに荒れたことでも知られている。その後、角田先生が中心になって古代学協会が大規模な発掘調査をおこなったのですが、誰もが納得できる前期旧石器ということにはならなかった。しかしその後も角田先生はずっとこれに執念を燃やし、平安博物館でも古代学研究所でも「丹生問題の解決」をテーマに課せられていた。ただ、調査後30年を経てまとめられた最終報告書の鈴木忠司編『大分県丹生遺跡群の研究』(「古代学研究所研究報告」第3輯、京都、古代学協会、1992年)では、現代の学界の水準からみて、丹生遺跡出土の旧石器のほとんどは後期旧石器時代の所産であるとされたのです。

 しかし、この丹生遺跡出土旧石器のなかで、たった1点だけですが、40万年前の前期旧石器である可能性が濃厚な遺物があるのですね。4万年ではないですよ、40万年(!)です! 藤村捏造でチャラになったと思われている、まさに日本列島における数十万年前の「前期旧石器」ということになります。しかもそれを言っているのは、あの竹岡俊樹氏。昨日のテレビにも出ておられましたが、フランスでド=リュムレイ博士の下で徹底的に旧石器の研究にたずさわり、藤村石器のおかしさに気づいてその捏造が発覚するきっかけを作った人です。学界でも、この方の石器の観察眼の確かさを疑う人はいないと聞いています。

 問題の石器は、この遺跡の発見者の新聞記者・中村俊一氏が遺跡の崖面(「丹生遺跡第10地区A地点」)から採集した打器。竹岡氏によると、これは人工の石器であることに疑う余地はなく、かつ、出土層位も明確で、それは40万年前だというのです。角田先生はこの遺物を「わずかであっても動かしがたい事実を無視してはならない」と声高に主張されたのですが、「この資料はなぜか無視され続け」「丹生遺跡は消えていった」(竹岡氏)のです。また、この石器は古代学協会ではなく地元で保管されており、最終報告書の共同研究グループも現物の実見をすることができなかったために、最終報告書ではほんの数行しか触れられていないのです。

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驚くべきことに、この丹生遺跡10-A 地点の打器出土の崖面は、現在でも当時のままに残されているらしいです。角田先生は最後までこれにこだわっておられ、最晩年にこの地点の再調査をしようとされました。しかし、現在はここは銀杏畑になっていて、土地所有者がせっかく育ててきたイチョウの木を切ることを承諾されなかったため、ついに再調査は実現できませんでした。

 私には石器の観察眼はまったくないので、この丹生遺跡10-Aの石器について論評することはできません。しかし、やっぱり惜しいな、という感を抑えきれないのです。石器の専門家の方々にぜひご意見をたまわりたいものです。

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