2015.09.14

映画「ダライ・ラマ14世」、の巻

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 9月14日(日)
 いやあ、泣きました。2時間の上映時間、ほとんど涙を流しっぱなしだった。そう、待望の公開、映画「ダライ・ラマ14世」。9月12日から18日まで、京都シネマで上映される。ただし、日に一回だけの上映だから、時間を見計らって駆けつけなくてはならない。半時間ほど前に到着すると、観覧券売り場は長蛇の列である。じぇじぇっ!と思ったのだが、なんとか空き席に潜り込むことに成功。ただ、やはりさいごは立ち見も出ていたぞ。
 映画が始まって、ダライ・ラマ法王が呵呵大笑しておられるお顔がアップで登場しただけで、もういけません。涙腺崩壊です。法王のジョークに笑い泣き、法王の獅子奮迅の活躍に感涙、チベット民族の苦難に袖を絞り、その中で難民となったチベットの子供達があくまで前向きに笑い合っているのを見てまたまた目頭を熱くする。やっぱりワタクシ、この御方が好きで好きでたまらんのですね。

 映画自体は、「ダライ・ラマ入門」といった内容で、わかりやすい。東日本大震災の映像や日本の閉塞感についての新聞記事の連発といった不必要なシーンが挿入されていて全体のテンポを損ねてしまったことは大幅減点だが、そうした演出のささいな瑕疵を覆い隠して余りあるのは、やっぱり法王の存在感である。

 チベットからインド・ダラムサラに逃げてきた難民の子供達へのインタビューがかなり入っていた。印象的だったのは、その子供達が異口同音に「ここで、優しい人たちに囲まれて勉強できて楽しい。私は幸せだ」、欲しいものは何?という質問に対して「何もいらない。満足している」と答えていたこと。1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王は中国統治下のチベットから脱出せざるをえなくなり、インドに亡命してそこに亡命政権を樹立したのであるが、その時の苦しい状況の中で法王がまず取り掛かられたのが、未来を担う子供達のための学校の設立だった。その地道な努力が大きく育っていることに、感動。

 2時間があっという間だった。最後のシーンで法王が力強く「Don't worry!(心配しなさんな!)」と叫ばれたことが爽快。生きる力をもらいました。法王猊下、ありがとうございました。


2014.05.03

ホンのささやかなチベット支援「ブルーブック」、の巻

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 この、青い小さな手帳。チベット亡命政権が亡命チベット人社会を援助するために発行している「ブルーブック」である。ブルーブック・プロジェクトに参加すると、この手帳がもらえる。参加者は、いつでもいいから、任意の金額(500円単位)をこのプロジェクトに寄附する。そうすると、金額に応じたスタンプ・シールが送られてくる。お金は亡命政権を通じて、 チベット文化の保護、亡命チベット人の子供たちの教育、チベット人亡命社会における民主主義の推進、チベット難民への支援などの資金にあてられる、というわけである。参加者はこの手帳にスタンプ・シールを貼ることによって、自分のチベットへの支援の履歴を確認することができる、ということになる。

 私もこの手帳を持っていて、時折であるが、ここに寄附をしている。とはいうものの、いつも金額は微々たるもので恥ずかしい。それでも、継続さえしていくならば、チベットの人々に対して何らかのお役にたつことはできるのではないかと思っている。このプロジェクトの概要は次のリンク先へ→「ブルーブックはチベット・サポータのしるし--あなたのブルーブックをつくって、 チベットを応援しませんか?
」。

 去年と今年にもダライ・ラマ法王が来日された。しかも、両方とも京都にお見えになったという。ぜひ御講演を聞きに行きたかったのだが、私自身の仕事とバッティングしたり、講演参加の抽選に漏れてしまったりして、参加することができなかった。残念。しかし、これからもブルーブックを通じて、ホンのささやかなものではあったとしても、チベットの人々への支援は続けていきたいと思っている。


2011.11.04

ダライ・ラマ法王大阪講演、の巻

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 10月30日(日)
 今年もまた、ダライ・ラマ14世法王の来日を迎えることができた。このところ毎年、日本に足を運んでいただけているというのはなんとありがたいことであろう。しかも、今年は高野山大学に招聘されたということで、大阪での講演がある。と、いうことで、高鳴る胸を押さえながら、会場に向かう。
 ただ、会場は大阪の埋め立て地につくられた舞洲アリーナ。どうも、幻に終わった大阪オリンピック招致の会場にするために造られた施設のようである。不安なのは、会場案内に「公共交通機関が混雑することが予想されます。自家用車でのお越しをお勧めします」との文言が踊っていること。公共交通機関が乏しいとは、どんな田舎なんだ!と思っていたら、本当に僻地だった。小心者の私はえらく早く行ってしまったので臨時バスにも余裕で乗ることができたが、その後はバスが満杯状態で、遅刻しかけた人も多かった、らしい。それに、開会時間になってもなかなか始まらない、と思ったら、法王御自身も車の渋滞に巻き込まれてしまって会場到着が遅くなった、ということである。確かにこの場所、こんな多人数を集めた集会ができるようなところではないんだな。
 このたびの御講演は、午前と午後の2部にわたるという。これだけ長く法王のお話を聞けるというのは素晴らしい。第1部は「ダライ・ラマ法王 般若心経を語る-空から慈悲へ-」、第2部は「人生の困難を生きぬく力」となる。第1部の最初は恒例の般若心経の合唱からはじまる。法王御自身はチベット語で、私たちは漢訳で、会場に多数来られていた韓国人の信者さんたちは韓国語での斉唱である。法王、大変々々お元気で、その様子を見るだけでこちらも元気がでてくる。ただ、情けないことながら、仏教の素養に欠ける私には今回の御講演はむつかしかった。午後の講演が早速にyoutubeでアップされているし、また、全体の要約をチベット学者で早稲田大学教授の石濱裕美子氏がブログに書いておられる(第1部はこちら第2部はこちら)から、改めてそれで勉強させてもらおう。なお、石濱先生も舞洲アリーナの交通不便さには苦労されたらしく、ほとんどキレかけておられる。いずれにせよ、今年もこうして法王のご尊顔を拝することができたのは、本当にありがたい限りであった。

 【書いたもの】
■山田邦和「『福原遷都』はなかった」(高橋昌明編『平清盛—王朝への挑戦—』〈『別冊太陽 日本のこころ190』〉所収、東京、平凡社、2011年11月25日)、116〜118頁。


2010.12.10

劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を祝す、の巻

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 遠くノルウェーの首都オスロで、ノーベル平和賞授賞式がおこなわれたという。今年度の受賞者は中華人民共和国の作家にして民主運動家、劉暁波氏(写真)。氏に心からの祝意と敬意を捧げるともに、中華人民共和国の国民の中から始めてのノーベル賞受賞者が出たことを、中華人民共和国の全国民の皆さん、中華人民共和国政府の皆さん、中華人民共和国共産党の皆さんにお祝いを申し上げ、この喜びを共にしたいと思う。
 劉暁波氏の受賞の主要な要因となったのは、氏が起草し、心ある多数の中国知識人の賛同を得て発表された「08憲章=中華連邦共和国憲法要綱」である。これについては以前にもちょっとだけ触れたように、まったく正当な主張である。
 さらに強調しておくと、この憲章の内容は、中華人民共和国の憲法にまったく合致している。同憲法には次のような素晴らしい規定があり、この精神は08憲章と目標を一にしているからである。
 第4条 中華人民共和国の諸民族は、一律に平等である。国家は、すべての少数民族の適法な権利及び利益を保障し、民族間の平等、団結及び相互援助の関係を維持し、発展させる。いずれの民族に対する差別及び抑圧も、これを禁止し、並びに民族の団結を破壊し、又は民族の分裂を引き起こす行為を禁止する。
 第35条 中華人民共和国公民は、言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有する。
 第41条1 中華人民共和国公民は、いかなる国家機関又は国家公務員に対しても、批判及び提案を行う権利を有し、いかなる国家機関又は国家公務員の違法行為及び職務怠慢に対しても、関係のの国家機関に不服申し立て、告訴又は告発をする権利を有する。
 等々・・・

 しかし、中国政府と中国共産党のやりかたを見ていると、中国政府要人や中国共産党指導部は中華人民共和国憲法を読んでいないらしいということがよくわかる。もちろんそうした人々は国家の指導と国民の幸福のために全精力を注ぎ込んで多忙を極めているのであり、憲法など丁寧に読んでいる暇など持ち合わせていないことはよくわかる。ただ、せっかく自国にある素晴らしい憲法なのだから、豪勢な中華料理に舌鼓を打っている時間のほんの一部を割いて、たまには憲法に目を通してほしいものである。

 中国では、ノーベル平和賞に呼応して、孔子平和賞」なる賞が制定され、その栄誉ある初代受賞者には台湾にある中華民国の連戦・元副総統が選ばれたという。ただし、連戦氏がこの受賞を承諾したかどうかは不明。

 この経緯を聞いて、60数年前の同じような出来事を思い出した。ヒトラーが支配していたナチ・ドイツの時代、カール・フォン・オシエツキーというジャーナリストで平和活動家がいた。ナチは彼を危険視し、1933年に政権を奪取するや彼を逮捕、刑務所から強制収容所に送った。しかし、世界は彼を忘れてはいなかった。1935年のノーベル平和賞はオシエツキーに贈られたのである。ただ、強制収容所に入れられていた彼はもちろん授賞式には出席できなかった。ナチ・ドイツ政府はオシエツキーへの平和賞授与に激烈に反発し、ついにはドイツ国民がノーベル賞受賞を禁止する決定をくだした。そして、それに替わるものとしてヒトラー自らの決定によって、1937年にドイツ芸術科学国家賞が創設されたのである(同年の受賞者3人の中のひとりは、ナチ党対外政策全国指導者のアルフレート・ローゼンベルク。これは、ナチ古参党員でありながら権力から疎外されていたローゼンベルクを慰めるためだったというから、この賞のお手盛り度が知れる)。

 これ、今回の経緯とまったく類似している。賢明な中国指導部がまさかヒトラー・ドイツの真似をするはずがないとは思うが、世界からは中国共産党とドイツ・ナチ党が類似しているという誤解を産む要因となり、また新たな中国バッシングの種にされるかもしれないから、中国政府はナチ・ドイツとは違うというところを行動で示して欲しいね。つまり、劉暁波氏を釈放し、自由な発言を認めるという度量を示すこと。

 中央チベット行政府(チベット亡命政権)の内閣(カシャック)は、サムドン・リンポチェ5世ロブサン・テンジン首相の名で劉暁波氏の受賞を祝する声明を公表している。そこでは「2010年のノーベル平和賞を受賞されました劉暁波氏に心からのお祝いを申し上げます。この最高の栄誉を同じ国民が受けたことを中国中の皆さまが誇りに思わなければいけません」と述べられている。まったく、同感。

 劉暁波氏が早急に釈放されて自由の身になることを希望するとともに、中華人民共和国が民主化され、真に世界の尊敬を集める国家に生まれ変わることができますよう、祈りを捧げたい。


2010.11.11

ダライ・ラマ14世法王、東大寺御講演、の巻

101112 今年は日本在住のチベット・サポーターにとってはすばらしい年となった。6月に続いて二度も、ダライ・ラマ14世法王が来日されたのである。今回の御来日は、広島でおこなわれるノーベル平和賞受賞者世界サミットに出席するためのものである。しかも、その途中には久方ぶりに関西に立ち寄られるというのであるから、なんとしてでも参加して、法王の御尊顔を拝するべきなのである。しかし、今回の法王、11月6日に成田空港に降り立たれてから、大阪、奈良、愛媛県新居浜市(2回)、そして広島と、息をもつかせぬ強行軍である。相もかわらぬ精力的なご活躍に頭が下がる。例によって中国は、日本政府に対して「ダライ・ラマを入国させるな」などという横槍を入れてきたようであるが、お間抜けな話である。

 今回は、東大寺での法王御講演に参加するために、奈良にむかう。近鉄電車に乗っていると、途中から高校生の大群が乗り込んでくる。なんじゃこりゃ、正倉院展の集団見学でもやるのかいな、と思ったのであるが、聞くともなしに聞いていると、法王がどうのこうのという声が聞こえる。あとでわかったのであるが、彼らは東大寺が経営する高校の生徒たちで、学校の行事として法王の御講演に参加するのである。高校生のあいだにそんな機会に恵まれるというのは、うらやましい限りである。
 東大寺に着く。いったいどこが会場かいな、と思うと、なんと大仏殿の裏側である。大仏様を背にしての法話、なかなか洒落た趣向である。しばらく待って、いよいよ法王の御登場。横に長い座席配置であるから、今までで一番法王の御座に近い。ありがたい。法王の表情の細かなところまで見えるぞ。
 しかし、法王が口を開かれて、ちょっとびっくりした。いつもの明快で歯切れの良い口調ではなく、元気のないしゃがれ声である。お風邪を召されて、ノドの調子を崩しておられるのがありありとわかる。講演中にもしばしば咳き込まれたり、ちり紙を出して鼻をかんでおられた。ついに、いつもの片肌脱ぎを止めて袈裟で身体を包み、首には毛糸のマフラーを巻くにいたられる。こんな法王の御姿を見たのは初めてである。時には袈裟を頭からすっぽりとかぶって、その中で鼻をかまれる。あとで聞いたところでは、すでに11月5日のインドでのITSG(国際チベット支援団体)全体会議の時にすでに風邪をひいておられたらしい。それにもかかわらず長旅での来日、そして連日の講演である。またマンの悪いことに、東大寺大仏殿の後堂広場は吹きさらしで寒いことこのうえない。法王様、もうこんな寒いところでの講演なんて切り上げて、どうか暖かいところでお休みください、かけがえのない大事な大事なお身体なのですから、と叫びたくなる。しかし、さすがは法王、できるだけ周囲に心配をかけないよう努力しておられる様子が手に取るように伝わってくる。

 例の東大寺学園高校の生徒たち、会場の北側に集団で座っている。大丈夫かな、とちょっと案じていたが、法王が御登壇されると水を打ったような静けさで法王の御法話に聞き入る。なかなか大したものである。法王も、こうした若い人々との対話をしたがっていたようで、質疑応答の後半部は彼らを指名する。中で面白かったのは、ひとりの男の子が「僕は入学3日でこの高校が大嫌いになったが、それでも今まで続けていたために今日、ダライ・ラマさんのお話しを聞くことができた。これも何かの縁なのかな、と感じる」と言ったところ。うん、物怖じせずにここまで言えるとは、これもなかなか大したものである。「僕はお笑い芸人になりたいと思っているのだが、舞台に立つためには周囲の人々からの信頼が必要だと思う。でも今の僕はあんまり他人から信頼されていないように感じる。どうしたらよいのだろうか」。法王は微笑みを浮かべながら聞き入り、「信頼を得るには正直に生きること、嘘をつかないこと、表面と裏面に矛盾がないようにすること」といった内容を答えられる。
 
 法王猊下、なにとぞご無理なさらないで、御身体をいたわってくださいませm(_ _)m。


2010.06.25

ダライ・ラマ14世法王長野講演に参加する、の巻

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 6月20日(日)
 日帰りで、長野行き。
 ダライ・ラマ14世法王が、今年も来日された。これで3年続けての来日だということになり、まことにありがたい話である。法王も74歳という御高齢になっておられるのであるが、相も変わらぬ精力的な御活動には頭が下がる。今回の来日は、長野の善光寺の招聘に応じてである。善光寺といえば、2008年の北京オリンピックの際、長野での聖火リレーの出発地に選ばれながら、中国政府と中国共産党のチベット弾圧を憂い、聖火リレーを辞退するという英断を下したお寺である。私はオリンピックに関心がなかったが、あの時のニュースを見ると、全国から中国人や中国シンパの人々が長野に集まり、長野は中国の赤い国旗によって埋めつくされていた。その中でチベット国旗を持っていようものなら警察に誰何されて聖火リレーの沿道には近づけず、さながら長野は中国の領土と化したような感すらあったという。しかし、脳天気な人々がオリンピックと聖火リレーに浮かれている中で、善光寺だけはその裏側に潜む不正義を正しく認識し、チベットの人々の安寧を祈り続けていた。やはり宗教者たる者はこうでなくてはなるまい。まことに見上げた心意気である。このことを聞かれた法王も、チベット人を代表して善光寺に謝意を表し、それが機縁となって法王と善光寺の交流が生まれた。そして、そうした活動が今回の法王の招聘となって実を結んだのである。
 長野に足を運ぶのは久しぶりであるが、京都からはやっぱり遠い。それに、名古屋からの特急の列車内が蒸し暑くて閉口である。長野駅に到着したのは昼前。講演会場は長野市郊外にあるビックハットという巨大なドーム。長野オリンピックの会場としてたてられたものらしい。長野駅東口からは臨時のシャトルバスがでているので、さっそくそれに乗り込む。
 会場はさすがにたくさんの人である。聞いてみると、7千人ほどの人々が参集されたという。決してチベット問題に関心が深いといえない我が国でこの数なのだから、やはり大したものだといわねばなるまい。会場のセキュリティと警備が厳しすぎるのはいささか閉口だが、法王猊下の安全を守るためだというならば、これもいたしかたないだろうな。
 般若心経のあと、法王の御登壇。私は、ギリギリまで行けるかどうかわからなかったのでチケットをとるのが遅くなってしまい、後ろの方の席になったのが残念。双眼鏡を持ってくればよかった・・・
 御講演のテーマは「善き光に導かれて—今、伝えたい心—」。最初に般若心経を唱えたこともあって、般若心経の解説から始まる。般若心経とは観音菩薩のお経であり、ダライ・ラマ法王はチベットでは観音菩薩の化身と信じられているから、いわばこれはもっとも正統的な般若心経講義だということになる。ただ、内容の理解がちゃんと及ばなかったのは、当方の無知無学。せっかくの機会なのに、恥ずかしいことである(>_<)。
 今回の御講演の中で感銘深かったのは、「優れた知性とは、落ち着いた精神と平和な心があってこそ正常に機能する。それでこそ、現実を知る客観的な目を養うことができる。怒りの心や欲望に満ちた精神では現実を正しく見ることはできない」といわれたところ。これ、研究の分野にもぴったりと当てはまることだな。
 ともあれ、3年連続でダライ・ラマ法王と同じ場の空気を吸うことができた。ありがたいことである。

 せっかく長野に来たのだから、善光寺にお参り。ひさしぶりである。美しい石畳の参道をたどりながら、長野という都市が、善光寺の門前町であることを改めて認識する。帰り道で、刈萱道心と石童丸の伝説が残る刈萱山西光寺にもたちよる。絵解きの寺としても有名なようで、今度はぜひ絵解きを聞かせてもらうことにしよう。


2010.04.25

パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの無事を祈願する、の巻

1004254月25日(日)
 皆さんはこのあどけない表情の少年をご存じでしょうか。彼こそは、パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマ(法名テンジン・ゲンドゥン・イェシェー・ティンレー・プンツォク・ペルサンポ)。つまり、チベット仏教ゲルク派における、ダライ・ラマ法王に次ぐ序列第2位の高僧です。そして本日は、パンチェン・ラマ11世の21歳の御誕生日です。
 通常でしたらこの御誕生日を盛大にお祝いするところですが、この場合はそうはいきません。ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年がダライ・ラマ14世法王によってパンチェン・ラマ11世として認定されたのは、彼が6歳だった1995年5月14日。しかし、5月17日、認定されたばかりの11世は両親とともに中国政府によっていずこともなく拉致され、姿を消しました。それから15年。いまだにパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの安否は不明のままです。中国は「ゲンドゥン・チューキ・ニマは市民として両親とともに幸福に過ごしている」と強弁しますがその証拠を提出したことはありません。
 今、チベット本国にいるパンチェン・ラマ11世はゲンドゥン・チューキ・ニマではなく、中国当局によって擁立されたギェンツェン・ノルブです。しかしギェンツェン・ノルブにはダライ・ラマ法王の認定が欠けており、親中国派を除くチベット人はギェンツェン・ノルブを認めていません。
 正統のパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマ、今、はたしてどこでどうしておられるのでしょうか。不安はつきませんが、この御誕生日にあたり、パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの御健勝を祈願したいと思います。そして、中国政府が心を改め、パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの解放に踏み切ることを念願したいと思います。


2010.04.23

チベット東部大地震、続報、の巻

 4月22日(木)
 ごく僅かで申し訳ないくらいなのですが、チベット亡命政府の拠点であるインド・ダラムサラに結成された玉樹地震慈善委員会に献ずるために、窓口となっている特定非営利活動法人チベットハウスジャパンに対して振り込みをいたしました。

 現地からの情報によると、この地震での死者は、当局発表の2000人超などというものではないらしい。まだわからないものの、死者が8000人を下回ることはないようだし、1万人を超えるのは確実らしい。暗澹たる思いがさらに広がる。

 中国政府は、外部からの人的支援を断り、被災地の復興資金にあてるための資金援助だけを求めるという方針を打ち出している。それに応えて、中国国内では救援金の募金についての大キャンペーンが繰り広げられ、ひとつのテレビ番組だけで約22億元(約300億円)が集まったらしいし、前回の四川地震の際の募金総額1兆円をはるかに上回る金額が集まるだろう、という観測もある。
 中国政府は、集まった義援金を「被災地の復興資金にあてる」と言っている。そのこと自体はおかしくないのだが、一方で中国政府はこの土地を高原エコ観光都市として再開発する意向を公表している。このふたつを考え併せると、集められた多額の義援金はこの「高原エコ観光都市」の建設に使われる、ということになるように思う。そこで気がかりになるのは、この新しい「高原エコ観光都市」に、それまでそこに住んでいたチベット人たちが安住できる空間がきちんと用意されるのだろうか、ということである。果たして、彼らの意に反して彼らを追い出してしまう、なんてことがおこらないと言い切れるのだろうか。そんな危惧を払拭できないのである。募金自体は人々の善意の賜物であることは確かなのであるが、それがさらにチベットの人々を苦しめる結果になったりしないよう、祈ることしかできない。

 ダライ・ラマ法王は、緊急なのは教育施設と医療施設の復興だ、と断言しておられる。特に、学校の再建こそは何よりも優先されるべきだ、と強調しておられる。私には、なんだかよくわからない「高原エコ観光都市」よりも、法王のおっしゃることの方がはるかに納得できるのだが、皆さんはどうだろうか?


2010.04.21

チベット東部大地震に心が痛む

 2010年4月13日23時49分(日本時間14日7時49分)に、チベット東部・カム地方のケグドゥ(キグド、ケグド、ケグとも表記されるし、ジェクンド、ユルシュルともいう)をマグニチュード7を超える大地震が直撃した。現在は中華人民共和国の支配下にあり、青海省玉樹蔵族<チベット族>自治州玉樹県と呼ばれている地域である。その全貌が明らかになりつつあるが、ケグドゥの人口は3万人(周辺を含めると8万人)というが、死者・行方不明者は2000人を超え、負傷者は1万2000人以上、民家1万5000軒が倒壊、ケグドゥとその周辺の10万人が住居を失ったと伝えられる。現地からの大量の写真は「Kyegu Monastery さんのギャラリー」で見ることができる(ただし、被災者の遺体が火葬のために山積みされているショッキングな写真もあるのでご注意ください)。目を覆うような惨状である。ただでさえ苦しんでいるチベットの人々が、どうしてさらにこんな試練にあわねばならないのか、それを考えると涙がとまらない。しかし、その中でもチベットの各地から集まったチベット仏教の僧侶たちが献身的な救助活動をしておられることには感動する。
 ダライ・ラマ14世法王も、自らの生まれ故郷に近いこの地を襲った災害に悲しみをあらわし、救援活動を行っているチベットの人々(僧侶および在家の人々)への感謝、救助にあたっている中国政府と中国指導部に対する賛辞、支援者への感謝、教育施設・医療施設の復興の必要性、衛生や保健面での世界の支援の呼びかけ、を述べられた。法王にとっては普段は対立している中国政府と中国共産党ではあるが、その救助活動を率直に誉めたたえているところなど、法王ならではの誠実さである。

 法王は、亡命中の身では被災者に直接の救いの手をさしのべられないことを悲しみ、できることなら被災地を訪れて人々と悲しみを共にしたい、そして犠牲者のために祈りを捧げたい、と強く希望している。もちろん直截の救助活動や物質的な援助が急務であることは当然だが、それにも増して重要なのは打ちのめされた人々に対する心のケアであろう。そして、チベット人に対してそれができるのはダライ・ラマ法王しかおられないというのも自明である(付記)。
 被災地でも、被害家屋に法王の肖像写真が掲げられている風景が見られたり、被災者の間からも〝金も物も何もいらない。法王に来ていただくことこそ私たちみんなの願い。法王のお越しがないなら、何をもらったとしても心は満たされない〟という声が聞かれるというし、子供ですら〝私たちにはダライ・ラマ法王がいる。ダライ・ラマ法王は太陽だ。本当に被災地に来てほしいのは(胡錦濤国家主席ではなく法王だ)〟と囁いているという(以上、この記事による)。また、廃墟の片付けをしていたある女性は、瓦礫の中から法王の写真を見つけだした。彼女はすぐにその写真を頭上に掲げて涙を流しながら祈りをつぶやき、それを見た周囲の人々は次々とその写真を受け取り、彼女と同じように祈りを捧げた、という(以上、この記事による)。
 しかし、予想通り、中国政府は法王の現地慰問の希望をケンもホロロに拒絶している。さらに、中国の現地政府は被災地を整理して再開発し、高原エコ観光都市(!)」として売り出す計画をたてているのだという(´ρ`)。

 何もできない私ですが、せめて、今回の災害で苦しまれた人々のために祈りを捧げたいと思います。また、僅かですが、日本赤十字社の救援金募金に応じたいと思います。←〈4/21追記〉申し訳ありませんが、方針変更します。チベット亡命政府の本拠であるダラムサラに「玉樹地震慈善委員会」が発足し、4月21日より募金活動をおこなうことになったとのことです。日本赤十字社でももちろんいけないことはないのですが、やはりチベットの人々への募金は、同じ心情を共有する亡命チベット人の方々こそが最も良い使い方をしていただける(もちろん、亡命地にある同委員会が被災地に救援金を届けるのには困難も予想されますが・・)と信じますので、ささやかな募金は同委員会に献ずることにいたします。

(付記)中国政府がダライ・ラマ法王に対抗させるために擁立した「対立パンチェン・ラマ11世」ギェンツェン・ノルブも、地震被害者に対して義援金を拠出したり、北京の寺院で犠牲者追悼の法要をおこなったり、彼は彼なりに懸命の活動をやっており、それは確かに賞賛に値する。しかし、なにせダライ・ラマ法王の認定が得られず、中国共産党の傀儡、または偽者とさえみなされている「対立パンチェン・ラマ」としては、気の毒ではあるがチベットの人々の心を慰めるには限界があるだろう。なお、細かいことではあるが、この記事の日本語訳、対立パンチェン・ラマ11世の名前を「ギェンツェン・ノルブ」ではなく、「ゲンドゥン・チューキ・ニマ(これは、ダライ・ラマ法王認定の真性のパンチェン・ラマ11世の名前だ)」にしているぞ(!)。ケアレス・ミスではあろうが、中国側の立場にたつ記事としてはマズすぎるぞ(^-^;。


2010.03.17

チベット展を大阪で見る、の巻

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 国外逃亡(?)を週末にひかえているので、それまでに片付けねばならない仕事が山積み(;ω;)。

 3月14日(日)
 そうはいっても、会期末がせまっている展覧会はみておかねば。最たるものは大阪歴史博物館でやっている「聖地チベット—ポタラ宮と天空の至宝—」である。福岡、東京などと巡回して、やっと関西にやってきた。
 ただ、実はこの展覧会、チベット・サポーターの団体からはかなりの批判を受けている。要するに、これは中国政府によるチベット支配の正当性を主張するための展覧会であり、展示される文化財も中国政府がチベット侵略によって奪い取ったものである、そして、「チベット文化を総合的に紹介する」と謳いながら、中国がチベットを侵略した歴史や、ポタラ宮の主であったダライ・ラマ14世については全く触れていない、というのである。

 東京の上野の森美術館で開催された時には、かなりの抗議行動がまきおこり、美術館側もピリピリしていたらしい。まあ、抗議の内容は正当だし、抗議したい気持ちもよくよく理解できるのであるが、博物館に勤めた経験のある私としては、批判の矢面に立たされた博物館職員にはいささか同情的である。宮仕えの身は、必ずしも意ならずといった仕事もやらなくてはならないからである。

 ただ、大阪展を見た限りだと、危惧していたような中国のプロパガンダという面は目立たなかった。展示物へのキャプションも、チベットのものにはちゃんと「チベット 何世紀」と書かれていたし、中国のものには「清代 何世紀」、インドのものには「何王朝 何世紀」と区別されて書かれていた。これすなわち、チベットと中国が別個の歴史を歩んだことを暗に示している。また、「チベットは中国の一部である」と声高に叫んでいる中国当局の「挨拶」のパネルは、どうしたわけか、気づかないほどの隅っこにあった。

 それに、展示された文化財はやっぱりすばらしかった。私たちの文化とはまったく違う感性ではあるが、圧倒的なチベット文明の迫力である。中国政府のチベット弾圧に憤る気持ちとは別にして、やはりこの展覧会は見ておくべきである。そして、見て、チベット文明の精華を胸に刻んだ上で、この展覧会に欠けている部分は何かということを真摯に考えたらよいのだろう。

 チベット亡命政府が、この展覧会に対して声明を出している。ダライ・ラマ法王の基本方針に忠実にのっとり、この展覧会に対して抗議をする際にも、「平和的に活動し、一切の暴力を行わないよう」と要求しているのは賞賛に値する。

 それでも、いささか笑ったのは、一階の特設売店(中国物産店が出店しているのだろう)。チベットに関する本が山積みされているのだが、チベット仏教とかチベット案内ばかりであり、日本でもおびただしく出版されているダライ・ラマ14世法王の御著書は一冊もない。チベットに関心のある人々に対しては法王の御著書は最も売れ筋のはずなんだが、商売を度外視してまでも中国の顔色を伺わねばならないというのは、物産店もお気の毒なことである。結局はこうした対応が、「大国」であるはずの中国の小心さを露呈しているのだと思う。もっとおおらかに、どっしりと構えることができないのかね。

 東京展の会期中には、たまたまダライ・ラマ法王が来日されていた。中国が本当に度量を見せるならば、このチベット展に法王と在日亡命チベット人の皆さんを御招待するべきであった。法王とチベット人こそが、この展覧会の出展文化財の本来の所有者なのだから。中国はチベット文化を大事にしてます、という自信を持っているならば、それを法王の御前で堂々と見せるべきである。それもできないというのは結局は、中国はチベット支配に自信が持てない、ということを告白しているのも同様なのだろうな。

 ともあれ、3月31日までです。関西の皆様、どうか御覧ください。