2018.01.22

ジャッド指揮京都市交響楽団、の巻

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 1月20日(土)
 京都市交響楽団第619回定期演奏会。指揮はイギリス人でイスラエル交響楽団音楽監督、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督をつとめるジェームズ・ジャッド、独奏ヴァイオリンは木嶋真優。曲目はプロコフィエフのヴァイオンリン協奏曲第2番、ホルストの組曲「惑星」である。
 ジャッドという指揮者、私は聞くのは今回が初めて。お目当ての「惑星」は、驚くようなエネルギッシュかつパワフルな演奏。火星とか木星では、痛快に連打される打楽器に乗って、京響がこれまで聞いたことがなかったような大音量を出している。しかし力で押しまくるだけではなく、水星でのチェロの艶やかな響きも印象的だった。

 夜は、妻に連れられてお酒の会。ちょっと飲みすぎる。

2017.12.30

井上道義の「第9」と、百鬼ゆめひなの人形舞台、の巻

 12月28日(木)
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 今年の「第9」は、井上道義さんの指揮する京都市交響楽団の演奏会。カップリングはショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第1番」という変わり種である。井上さんの指揮姿はいつもながらダイナミックでエレガント。それでいて奇をてらっているわけではなく、オーケストラの隅々まで丁寧で精緻な指示を出し続けている。井上さんの指揮に応えて京響も、一音一音が「立っている」。見事な「第9」であった。終演後は山崎千春さんを誘って、焼き鳥の居酒屋。


 12月29日(金)
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 長野県伊那谷を本拠として活躍している人形師の「百鬼ゆめひな」こと飯田美千香さんの京都公演。場所は膏薬図子(四条通新町西入ル下ル)のミミズクヤ。公演といっても、京町家の座敷で定員20人というこじんまりとしたもの。演目は、一休宗純和尚と遊女地獄太夫の伝説を翻案した「『地獄太夫』。「ひとかた(等身大人形)」を操って、百鬼ゆめひなさんが一休と黒子と人形遣いのひとり3役をこなす。彼女にかかると、「ひとかた」に生命が吹き込まれ、自在に舞う。まさに夢幻の世界へのいざないである。
 終了後は、最近できた「ざ・らくちん―室町横丁」のフレンチマンJrでワインとローストビーフ。ついつい、呑み過ぎ。

2015.12.28

高関健指揮京響の「第9」、の巻

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 12月26日(土)
 年末恒例の「第9」の季節。今年は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健さんの指揮による演奏会が二日連続でおこなわれる。私は、初日を聞きに行く。カップリングはシベリウスの最初の交響詩「エン・サガ(伝説)」。
 高関さん、わが国を代表する指揮者のひとりであるが、とくに群馬交響楽団を永年にわたって指導し、それを第一級の水準に押し上げた業績で知られている方である。オーケストラを自在に操る練達の職人技の持ち主であり、実に噛んで含めるような明快な指示を与えていることは、客席から見ているだけでもよくわかる。彼の「第9」はどんなのかな、と思ったのであるが、これが実にイイのである。音のアーティキュレーションの末尾をピシャリピシャリと切っていくのが印象的で、これはもしかすると最近勢いを増しているピリオド奏法(古楽器奏法)から取り入れたものかもしれないな、と思うのであるが、ピリオド奏法の演奏がややもすると響きが薄くてギスギスした感じになるのに対して、高関さんはモダン・オーケストラらしい分厚い響きを維持しつづけるのがイイ。第4楽章では、京響コーラスの合唱を実に丁寧に盛り上げていく。驚嘆したのは第4楽章の最終のコーダ。ここを早めのテンポで盛り上げていくのは多くの指揮者がやっているのであるが、高関さんは他に類をみないようなアクセル全開で凄い追い込みである。京響も、楽器も壊れよとばかりの熱演で高関さんの指揮に応え、こちらも手に汗握るような感覚を味わうことができる。
 さあ、今年ももうあと数日である。27日(日)には今年最後の校務をすませ、新年への体制を整える。

日本史研究会古代史部会で長岡宮を学ぶ、の巻

Img_0015(← 向日市向陽小学校構内遺跡における複廊遺構〈2010〉)

 12月21日(月)
 第5講時の授業を終えて、すぐに日本史研究会古代史部会に駆けつける。移動に使える時間はわずか15分。幸い今出川キャンパスでの授業だったので可能なのであって、京田辺キャンパスではとてもこういうわけにはいかない。こんなところ、やっぱり大学は都市の中心部にある方がいいな。
 今回の古代史部会にどうしてもでたかったのは、もちろんこの部会の忘年会コミであるということもあるのであるが(^^;;、報告者が山中章さん、演題が「長岡宮嶋院と西宮―考古資料からみるその位置と構造―」というものであったからである。長岡宮の復元については、特にその内裏の位置をめぐって新たな展開を見せている。長岡宮内裏の遺構は大極殿の東方で確認されているけれども、これは「東宮」と呼ばれていた「第2次内裏」であり、それ以前の「西宮(第1次内裏)」についてはまだ明確ではないのである。山中さんは従来から朝堂院の北方にそれを推定してきたのであるが、最近、朝堂院の西方に推定する説がではじめた。とくに、2010年に向日市立向陽小学校の構内における発掘調査で見事な複廊の遺構が検出されてから、これこそが長岡宮の「西宮(第1次内裏)」だとする説が溢れ出し、多数の研究者がこの説を採用することになったのである。
 しかし、山中さんはこの説には批判的、というか、真っ向から否定している、ということは以前から聞いていた。山中さんはこの遺跡は長岡宮の「嶋院」に比定し、第1次内裏はやはり朝堂院の北方であるというのである。従来から私も酒宴の場でそういう話は聞いていたし、「ぜひ早くそれを論文化してくださいよ!」と督促もしてきたのであるが、なかなか体系的にその根拠を理解することはできていなかった。今回の発表は、ご本人の口からまとまってこのことを聞く、という得難い機会を得ることができた。あとは、山中さんがこれを早く論文にしてくれて、それでさまざな議論が活発化することを待つばかりである。

2014.01.26

小林研一郎指揮京都市交響楽団、の巻

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 1月24日(金)
 京都市交響楽団第575回定期演奏会。小林研一郎さんの登場である。
 小林研一郎さんといえば「炎のコバケン」の愛称で知られる、日本を代表する世界的な指揮者である。1985年4月 から1987年3月にかけて、短い間ではあったが京都市交響楽団の常任指揮者(第8代)をつとめておられたから、私も学生時代にコバケン=京響をよく聞いていた。まだ京都コンサートホールは存在していない時であり、音響が悪いことで知られていた京都会館が会場だという悪条件の中で、すばらしい仕事をされていたと思う。確か、市当局にかけあって京都市交響楽団の専用練習場を建設させたのも、その時のコバケンさんの隠れた業績だったはずである。さらに、これもうろ覚えであるが、京都コンサートホール建設計画の推進力のひとつにもなってこられたと記憶している。その意味では、京都の音楽界の恩人のひとりだといってよい。コバケンさんの京響とのファイナル・コンサートも聞きに行った時、あまりのすばらしさに舞台に駆け上がりたい衝動に駆られたものであった。

 今回は、ウェーバー「歌劇オベロン序曲」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(Vn:三浦文彰)、そして私の大好きなサン=サーンスの交響曲第3番(Org:長井浩美)。メンデルスゾーンでは、20歳をすぎたばかりの若手の三浦文彰さんが独奏。小林さんはヴェテランらしく、慈父のようなまなざしを注ぎながら、がっしりとこの若いヴァイオリニストを支えている。

 お目当てのサン=サーンス。これは凄い! 昨年はパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団で同じ曲を聞いて、その華麗な音の饗宴にすごく感動した。小林さんの造り出すサン=サーンスはそれとはひと味もふた味も違っている。テンポを自在に揺らしながら、まろやかでロマンティック、しかも壮大な響きをつくり出して行く。長井浩美さん(綺麗!)のオルガンとの並走の部分ではオーケストラを押さえて、なんだか交響曲というよりもオルガン協奏曲風になるのはびっくり。しかし、これはこれで説得性のある解釈である(ピアノ連弾は、オルガンとは逆に、音量を押さえていた)。

2013.11.11

ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィル、ヤルヴィ指揮パリ管、の巻

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 世界の超一流オーケストラ、立て続けにふたつ。どちらも、京都コンサートホール。

 10月27日(日)、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ナレク・アフナジャリャン(チェロ)で、ドヴォルザークのチェロ協奏曲とブラームスの交響曲第1番。チェコ・フィルの音は、どこをどう叩いてもビクともしないような安定したものである。おそらくこういうのが、伝統的なヨーロッパの一流オケの音なんだろうな。ドヴォ・コンでのチェロはアルメニア出身の若手(25歳!)の期待の星、アフナジャリャン。繊細な音を紡ぎだしての奮闘は良いのだが、時々はオケに呑み込まれそうになるのは御愛嬌。
 驚いたのは、チェロのアンコール。突然、「アァ〜ウゥ〜ウゥ〜〜エェ〜〜」とチェリストが歌いだす。全然知らない曲なのだが、指が縦横に動き回り、なかなかにカッコいい。あとでアナウンスされたところによると、ジョヴァンニ・ソルリーマ(ソリマ)(Giovanni Sollima)というイタリアの現代作曲家の「ラメンタチオ(Lamentatio)」という曲だそうだ。あんまり一般的ではないのだが、マリオ・ブルネロの演奏が「ニコニコ動画」にアップされているので、御興味ある方はどうぞ見てください。
 ブラームスも堂々とした演奏。私の持論としては、オケの善し悪しの半分くらいはホルンで決まると思っているのだが、チェコ・フィルのホルンの巧さはすばらしい! オケのアンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第1番、スメタナの「売られた花嫁」序曲、そして日本の作品として岡田貞一の「ふるさと」と3曲続けての大サービスである。
 
 11月2日(土)には、パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ(ピアノ)、ティエリー・エスケシュ(オルガン)。曲目はシベリウスの「カレリア」組曲、リストのピアノ協奏曲第2番、そして私が大好きなサン=サーンスの交響曲第3番 「オルガン付」である。
 ここでは、なんといってもサン=サーンスが凄かった。華麗かつ重厚な響きで、指揮者は存分にオケをドライヴしている。オルガンの重低音とオケの最強奏が重なるクライマックスでは、京都コンサートホールの建物自体がブッ飛ぶかと錯覚してしまうほどの大迫力である。特筆されるのはティンパニーのすばらしさである。
 アンコールはここでもサービス満点。ピアノではショパンのノクターンOp.62-2、オケではベルリオーズのハンガリー行進曲。これで終わりだろうな、と思っていたら、とつぜん指揮者が棒を振り下ろして、これも私の大々好きな曲であるグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲が流れ出す。嬉しい! 演奏もこれ以上ないほどに楽しく素晴らしく、まさに至福のひとときであった。

 【しゃべったこと】
□山田邦和「コメント(杉本竜『松平定信と浴恩園一描かれた諸図を通して一』)」(国際日本文化研究センター「白幡班共同研究会『日本庭園のあの世とこの世一自然、芸術、宗教』共同研究シンポジウム「『大名庭園』の新発見」、於国際日本文化研究センター、2013年11月9日)

2012.12.15

ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、諏訪内晶子演奏会、の巻

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諏訪内晶子さんの新しいCD「EMOTION」。諏訪内さんのサイン入り(o^-^o))

 少しづつではあるが、行動範囲を広げていくようにしている。コンサートもしばらくご無沙汰だったが、やはり行きたいものがいろいろある。

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 12月12日(木)には、久しぶりの京都コンサートホール。わが同志社女子大学学芸学部音楽学科の第42回定期演奏会で、同志社女子大学音楽学科合唱団音楽学科管弦楽団が演奏する。後者では、指揮は神奈川フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者の現田茂夫氏で、ブラームスの「大学祝典序曲」とチャイコフスキーの第6交響曲「悲愴」というプログラム。わが大学の学生諸君、なかなかの熱演を聞かせてくれた。

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 12月14日(金)には、ふたたび京都コンサートホールにでかける。フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の演奏会である。地下鉄北山駅でK樂真帆子さんとバッタリ(春の緊急入院の際にはいろいろとお世話になりましたm(_ _)m)。指揮は音楽監督のトゥガン・ソヒエフ。最近売り出し中の若手実力者で、各地でバリバリと仕事をして好評を博しているらしいが、CDがまだ少ないこともあり、私は未だ聞いたことがなかった。ロシアの指揮者だといわれているが、調べてみるとこの人、ロシア連邦はロシア連邦でも、いわゆる狭義のロシア(ロシア人のロシア)ではなく、連邦構成主体のひとつである北オセチア共和国の出身なんだって。オセチアというとオセット人の国だから、もしかしてこのソヒエフさんもロシア人ではなくオセット人なのだろうか? まだ35歳という若さらしいが、頭髪はやや薄くなっておられる。
 曲目は、ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」 、サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)、ラヴェル:ボレロという内容。超大作はないが、聞きやすいものばかりでありがたい。ソヒエフの指揮は、妙な手練手管はいっさい使わない正攻法。噛んで含めるような明解な指揮ぶりである。トゥールーズのオケの音は、実に艶っぽい美音である。迫力にも欠けるところはないにもかかわらず、大音量の部分でも決して野蛮にならず、実に美しいのである。色彩感豊かな曲目が並べられたワケもわかるな。
 サン=サーンスのヴァイオリン独奏は、憧れの諏訪内晶子さん。指揮者とともに登壇した諏訪内さんの姿をみて、目を奪われた。全身、ゴールド色のワンピース・ドレスである。おいおい、晶子さん、こりゃどう考えても反則でしょ(笑)、といいたくなるほどの豪華さで、形容ではなく実際に全身から光芒が放たれている。演奏もその衣装に負けないくらいの馥郁<ふくいく>たる美音で、トゥールーズのオケと一体化した名演だった。

 休憩時間には、K樂さん、N木宏さんを始めとして、M木Y雄さん、M川Kさん、I岡N和さんといった、いつもの京都コンサート・ホール常連の歴史学者の皆さんと集まる。皆さんから体調をねぎらっていただいたことはありがたいし、こうしてまた再会することができたことが実に嬉しい。

 終演後、ロビーで諏訪内さんの最新アルバムを購入したら、横に行列ができている。何かな、と思ったら、指揮者ソヒエフさんと諏訪内さんのミニ・サイン会があるという。我ながらミーハーではあるが、私も列の後ろに回り込む。だいぶ待ったが、無事に諏訪内さんのサインがいただけたことも嬉しい。良い一日でした。

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【おしごと】
■京都市都市計画局歩くまち京都推進室編、山田邦和(歴史監修)『京都 フリーパス—電車・バスでまわる「歩くまち・京都」—』(京都、同推進室、2012年12月〈発行日不記載〉)、全31頁。
 ↑ 期間限定販売(来年3月22日まで)で、京都市内のほぼすべての鉄道とバスが1日乗り放題になる乗車券「京都フリーパス」の「こども券」が販売されている。それを買うと、オマケとしてこの小冊子がついてくることになっている(o^-^o)。

2011.02.16

20周年、の巻

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 昨年はなんかバタバタしているうちに、コンサートに行く回数が激減していた。今年はなんとか、もうちょっとゆとりのある生活を送りたいものである。と、いうことで、京都市交響楽団第543回定期演奏会。指揮は井上道義さん。曲目は、オール・モーツァルト・プロで、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲K.527、セレナード第10番変ロ長調「グラン・パルティータ」K.361 (370a)から、1・3・6・7楽章、そして交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551である。セレナードは井上さん自ら、「全曲では長すぎる」と言っているから、その中から4つを選んで交響曲風に仕立て、京響の管楽器の首席奏者たちによる管楽器アンサンブルの演奏である。「ジュピター」はメリハリのきいた颯爽とした演奏。井上さんもノリノリの快演だった。

 先日、ウチの奥さんと話していて、2月10日が結婚20周年の記念日であることに突然気がついた。びっくり。もうそんなに月日がたったんだな。ささやかなお祝いを、ということで、京響の演奏会のあと、ウチの奥さんお気に入りのハイアットリージェンシー京都のレストランにでかける。いうまでもなく、後白河法皇の院御所・法住寺殿の跡地の一角にたつホテルであり、私たちの結婚記念日にはふさわしいだろう。レストランの人に「20周年」の話を漏らしたら、花束とメッセージ・チョコレートのサプライズ・サービスをいただいた。感謝。

2010.01.25

飯森範親/プラハ響、西本智実/ラトヴィア響、の巻

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 東ヨーロッパのオーケストラふたつ。
 1月19日には、「プラハ交響楽団ニューイヤー名曲コンサート2010 」。指揮は飯森範親、チェロが遠藤真理である。曲目は、スメタナの交響詩「わが祖国〜モルダウ」 、ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」、ドヴォルザーク「交響曲第9番〈新世界より〉」である。指揮の飯盛さんははじめて聞くのだが、最近は山形交響楽団で活発な活動をやっておられることで知られる。
 しかし、前半が「??」だった。自分の耳を疑ったのだが、こんなに角のとれた丸っこいオケの音を聞くのは初めてだ。プラハ響の持ち味なのか、それとも飯盛さんの主張なのか。しかし、これはちょっとやりすぎだと思う。せっかくの個々の楽器の音が全体に溶け込んでしまい、覇気が感じられないのである。チェロ協奏曲も同様の内容で、協奏曲というよりも独奏楽器付きの管弦楽曲に聞こえてしまう。惜しい。
 しかし、後半の「新世界より」は良かった。当然のことながらプラハのオケとしては自家薬籠中の曲である。正攻法で、まったく安心して聞ける(第4楽章にたった一回だけでてくるシンバル、通常だとクラッシュ・シンバルだと思うが、今回は台に固定されたサスペンデッド・シンバルだった。ちょっと興味深かった)。前半の不満を払拭してくれた。さらに、アンコールは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集の第2集(作品72)から第7番。ゴキゲンな演奏で、満足。

 1月23日(土)
 午前中は、後鳥羽上皇の水無瀬殿跡の踏査。重要な離宮だが、これまでは実態があんまりわかっていなかった。古代都城史の研究者であるT田H章氏がこの研究にとりくんでおられるというので、案内していただくことになった。ちょうど発掘調査もおこなわれているので、都合がよい。水無瀬、やはり再評価するべきだということがよくわかる。白河・鳥羽・法住寺殿と、嵯峨の間を埋める「院政王権都市」として評価せねばなるまい。

 午後は、京都コンサートホールに急ぐ。大好きな西本智実さんがラトヴィア国立交響楽団を率いての登場だから聞き逃せない。ヴァイオリンはサーシャ・ロジェストヴェンスキーの予定だったが、急病とのことで、代役はパヴェル・シュポルツルだと発表されている。 曲目はオール・チャイコフスキー・プログラムで、幻想序曲「ロミオとジュリエット」、ヴァイオリン協奏曲ニ長調、交響曲第4番ヘ短調である。
 ヴァイオリン協奏曲は、シュポルツルの独奏が緩急いちじるしい(彼が持って出てきたヴァイオリンは、なんと緑色だった。びっくり)。私の趣味とは違うが、チャイコフスキーなんだからこんなのもアリだろうな。好き放題のソリストにきっちり合わせている西本さんの職人芸はご立派。
 前半も良かったのだが、圧倒的だったのはメイン・プロの交響曲第4番。西本さんの指揮姿も、いつもながら絵になるぞ。金管や木管のソロの乱舞もノリノリである。第3楽章の弦のピッツィカートは、私の大好きな部分。西本さん、ここだけは指揮棒を置いて、まるでピアノでも弾くような動作でオケをドライヴする。魅せられる、とはこのことである。さらに第4楽章は息もつかせぬ興奮をかきたてられる。西本さん、やっぱりこういうロシア・東欧のガンガン鳴る曲で最も本領を発揮するな(ライヴDVDででているこの「レズギンカ舞曲」なんか最高だぞ)。すばらしい!
100125b アンコールは一転して、ヴィヴァルディの「四季」の中から「冬」の第3楽章。アンコール用の短縮版だったので、通常とはいっぷう変わった「四季」を楽しむことができる。

 会場でN木宏さん、K樂M帆子さんご夫妻と落ち合い、夜はご夫妻お気に入りのイタリアン・レストランにくりこむ。いつもの「三悪トリオ」のY本M和さんが所用で欠席だったのは残念だが、極上のイタリアンと極上のワインは満足の極みである。水無瀬殿の資料を持っていたら、レストランの主人に見つかってしまい、食後のカプチーノのデザインが、見事に13世紀前半の軒丸瓦の巴文になる(写真)。世界初(?)の瓦当文様のラテ・アートの誕生である(^Д^)。

2009.11.02

道義=京響とシャイー=ゲヴァントハウス、の巻

 10月30日(金)、11月1日(日)
 オーケストラふたつ。
 まず、京都市交響楽団第529回定期演奏会。指揮は、私たち夫婦が大好きな井上道義さん。曲目は、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」と、ブルックナーの交響曲第9番。なんでモーツァルトとブルックナーなのかな?と思っていたが、ブルックナーの活躍地はドイツのリンツということで、「リンツ」つながりだった。
 次に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日演奏会。指揮は「ゲヴァントハウス・カペルマイスター(楽長)」の称号を持つリッカルド・シャイー。曲目はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番とマーラーの交響曲第1番「巨人」である。モーツァルトのソロはアラベラ・美歩・シュタインバッハーがつとめる。
 しかし、私はこれまで、ブルックナーやマーラーの良い聞き手とは言えなかった。彼らの交響曲はどうしても、大海の大波が際限なく続くように感じてしまうので、積極的には聞いてこなかったのである。私のCDコレクションを見ても、以前はブルックナーの交響曲はパラパラあるだけで、「ミスターS」ことスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン交響楽団の全集が出たのでやっと全集を揃えた、というにすぎない。マーラーの交響曲にいたっては単独の全集は持っておらず、第1番から第9番と「大地の歌」、それに第10番のデリック・クック再構成版が、全部バラバラの演奏者によるものでようやく揃っている、という惨状だった(第4番「大地の歌」には、わが最愛のフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団盤があるので、ずっと以前から持っていた)。だから今回も、曲というよりも指揮者とオケを聞くために、というところであった。

 しかし、聞いてからは自分の不明を恥じることになった。このどちらも凄かった。井上さんと京響、モーツァルトは小編成の室内オケ方式で、肩の力を抜いた軽やかな演奏。ブルックナーでは一転して厳しい顔つきでの渾身の演奏を聞かせてくれた。さすがはミッキーである。彼の指揮棒が静かに降り、一瞬の静寂の後、割れんばかりの大拍手となる。この一瞬の静寂のタイミングが損なわれてしまうと興が半減するのだが、今回はそれも絶妙だった。
 しかし、ウチの奥さんは抗ガン剤の副作用で演奏中に体調不良となり、一番良い第2楽章のところで退席せざるをえなくなり、そこを聞き逃してしまった。可哀想に。
 感動的だったこと。先日、京響の元コンサートマスター工藤千博氏が62歳で逝去された。井上さんは最初のトークの時に工藤氏の想い出を切々と語られた。工藤氏の奥様が来場して聴かれていたとのことで、終演後、井上さんが会場に降りて、奥様に花束を渡しておられた。観客から指揮者に花束贈呈はよくあるが、指揮者から観客への花束というのは初めて見たのであるが、その分、井上さんの暖かい心に触れたような気がした。

 そして、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。言わずと知れた、世界最古の歴史を誇る名門オケである。昨年の来日がシャイーの急病で延期となったため、今回は仕切り直しということになる。
 いやあ、これは凄かった。筆舌に尽くし難い、というのはこのことである。私の貧しい音楽体験の中では、おそらく最高の演奏会だった。世界の超一流とはこういうことなんだろうな。オケの楽器同士が溶け合ってまるでひとつの楽器のような響きを作り出すかと思うと、クライマックスでは一転してものすごいパワーを発揮する。京都コンサートホールの天井がぶっ飛ぶかと思ったぞ。最初から最後まで手に汗を握り続け、あの長ったらしいはずのマーラーの曲が、あれ?こんなに短かったっけ?とさえ錯覚させられるほどの完成度であった。凄い、凄いぞ、シャイーとゲヴァントハウス!!!
 一方のモーツァルト。ソロのアラベラ・美歩・シュタインバッハーは「シンデレラ・ガール」などと言われる最近注目の若手である。それにしても綺麗な女性だ。グリーンのドレスに亜麻色の髪がよく映えている。ただ、私の席は最上階だったので、演奏中の表情がよく見えなかったのが残念無念。本番のモーツァルト
も良かったのだが、アンコールでの私の知らない現代曲(後できくと、イザイの無伴奏ソナタ第2番の第3楽章だということだった)がすばらしかった。かなりの難曲だと思うのだが、どうだ、こんなことが出来るんだぞ、といわんばかりの自信に満ちた演奏だった。
 会場では、N木HさんとK樂M帆子さんご夫妻に出会う。N木さんはドイツから帰ったばかりで、向こうでは公務の余暇を縫って北ドイツ放送交響楽団を聴いてきた、とのこと。羨ましい限りである。