北海道・網走、の巻
〔上:常呂遺跡、下:ホンモノのツブ貝の寿司〕
6月26日(金)・27日(土)
珍しく、北海道行き。網走市の東京農業大学オホーツクキャンパスでおこなわれる全国大学博物館学講座協議会の大会に出席のためである。
白状すると、これまで、ほとんど北海道と縁がなかった。その地を訪れたことがあるのも、かなり以前に友人の結婚式で札幌・小樽に行っただけなのであり、今回の訪問で僅か2回目、ということになる。だいたい、飛行機が嫌いなので、ストレス無く鉄道で行ける範囲を超えてしまうところには、どうしても足が向かない、ということになるのである。でも、今回はどうしても行かなくてはならないことになった。
最初は金曜日の早朝に出発すれば良いと早合点していたのであるが、調べてみると、大阪発で女満別空港に着く飛行機は午後の便しかない。昼前に会場に到着するには、羽田発の7時55分という飛行機しかないのである。これはしかたない。木曜日の授業が終わってから夜に東京に入り、羽田で一泊して飛行機に乗り込むしかない。いやはや、めんどくさいことである。
金曜日午前、東京農業大学着。市街地から離れた丘の上のキャンパスである。周囲を見渡すと、のたのたのたのたと低い丘が連なり、その間は広大な畑地が広がる。なんとなく日本離れした風景で、以前に見たイングランドの風景を思い出す。11時、事前打ち合わせ会に出席。13時、会議開始。ここで私は、総会の議長を務めねばならない。実は、来年度のこの大会をわが大学で引き受けることになってしまっている。会の副委員長と総会議長は次年度大会開催校が担当する、という義務があるのである。どちらにしても、来年のことを考えると大会の運営の隅々まで見せておいていただいた方が良い。
報告会では、「網走地域の博物館の現状と課題」ということで、地元の網走市立美術館、美幌博物館、上湧別町ふるさと館の事例を聞かせていただく。いずれも小規模な博物館であるが、地域に密着した旺盛な活動を続けておられるところが印象的であった。続いて「博物館法省令改訂について」を文化庁美術学芸課長(前・文部科学省生涯学習政策局社会教育課)の栗原祐司氏が話される。2年後から、博物館学芸員課程のカリキュラムが大きく変わる。これは博物館学芸員課程を置いている大学にとって死活的ともいえる大問題なのであるから、詳しく聞いておかねばならない。実は6月29日に文部科学省の説明会が実施されるのであるが、栗原氏はこの改訂を主導した中心的な人物であるので、そちらから話を聞けるのはこの上なく貴重な機会である。
大会のあとは、網走市内のホテルに会場を移しての情報交換会。みんな、タラバガニに群がる。次年度開催校としての挨拶もさせられてしまう。終了後は、全博協西日本部会長のH大学のYT教授らのおともをして、二次会。
土曜日、せっかくだからちょっとだけ早く起きて、ホテルの近くの有名遺跡・モヨロ貝塚へと足を伸ばす。
見学研修会は3コースが用意されるが、私は「常呂コース」に参加。網走市立郷土博物館、北海道立北方民族博物館、ところ遺跡の森(国指定史跡常呂遺跡)(ところ遺跡の館、ところ埋蔵文化財センター「どきどき」 、東京大学文学部常呂資料陳列館)を見せていただく。網走市立郷土博物館は地味で素朴な展示だが、正直いうと、こういう昔ながらの博物館のほうが心が和む。北海道立北方民族博物館、これは素晴らしい。北海道だけにとどまらず、ロシア、カナダ、アラスカなどをも含めた国際的規模で資料が収集され、みごとな展示が形作られている。この博物館なら、何時間いても飽きないだろうな。また機会を作って、じっくりと訪問することにしよう。
常呂遺跡(写真)は東大の調査で有名だから名前だけは知っていたが、その中身については、まったく勉強不足であった。行ってみて驚愕。さすがは世界文化遺産への登録を目指すというだけある。数千件の竪穴住居跡が累々と分布する巨大遺跡である。冬になると竪穴住居跡だけに雪が残って面白い写真が撮れるというのも、初めて納得する。東京大学が現地に研究施設を建てて継続的な調査研究にとりくんでいるというのもうらやましい限りである。資料館の中には、オホーツク文化、擦文文化と並んで、トビニタイ文化の土器が並んでいる。つい先般、わが大学の同僚の大西秀之准教授が『トビニタイ文化からのアイヌ文化史』という著書を出されたので、それで名前だけは知っていた。ふむふむ、なるほど、これがその実物か、と、ひとりで頷く。
充実した1日をすごしたあと、女満別空港へ帰着。お土産を買っていて、ふと空港内の寿司屋を覗くと、O大学のMK教授が生ビールを傾けているのを発見。ご一緒させていただくことにして、本場ならではのホンモノ(?)のツブ貝の寿司(写真)を頬張る。
6月20日(土)
花園大学考古学研究室の大会。刊行されたばかりの、花園大学考古学研究室30周年記念論集『花園大学考古学研究論叢II』をいただく。私が花園大学考古学研究室に在籍したのは1999年度から2006年度までの8年間であるが、その間に考古学研究室創設20周年を迎え、その記念として2001年に『花園大学考古学研究論叢』を刊行したことであった。今回、研究室の30周年をむかえて「II」が刊行されたのである。私の後任の高橋克壽准教授の御指導のもと、花園大学考古学研究室がますます発展していることを目の当たりにし、嬉しい気持ちでいっぱいである。
【書いたもの】
◎「『文久の修陵』による天皇陵改造」(花園大学考古学研究室30周年記念論集『花園大学考古学研究論叢II』所収、京都、花園大学考古学研究室30周年記念論集刊行会、2009年3月)201〜211頁。
◎「平安京の空間構造」(舘野和己編『古代都城のかたち』〈同成社古代史選書3〉所収、東京、同成社、2009年6月)、51〜73頁。
【テレビ番組監修】
●山田邦和監修「THE 世界遺産 第55回『日本の古都スペシャルII 古都京都の文化財』」(毎日放送〈TBS〉テレビ、2009年4月26日放送)。


〈←待賢門院建立の法金剛院では、今、アジサイの花がまっさかり〉
〈←宇治平等院「鳳凰堂」。やっぱり、実にうつくしい〉
(左:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のあるビル。右:日本考古学協会総会)
(左:京都市上京区・出雲路幸神社の境内に祭られている「神石(石神様)」と「疫神社」)
(右は、図版の一部。私の原図になる「戦国期京都の酒屋分布図」)
〈←今、平安京から山城国に踏み出した斎王代。後ろの森が京都御苑〉
5月9日(土)・10日(日)
5月1日(金)
4月19日(日)
(滞英中の祖父。なかなかにハイカラである(o^-^o))
3月29日(日)
3月30日(月)
(角田先生の書き込みがびっしりとある『尊卑分脈』)
(写真:明治天皇陵への正面階段。伏見城跡の増田郭の南面にあたる)
2月14日(土)
(写真上:安楽寿院本御塔、下:城南宮を歩く一寸法師とウチの学生)
1月16日(金)
とはいうものの、今年の「研究初め」。朝日カルチャーセンターのの講義をやってから、バタバタと大阪に向かう。大阪府堺市の百舌鳥陵山古墳(石津丘古墳ともいう)、つまり宮内庁治定の履中天皇陵、日本第3位の巨大古墳である。久しぶりに来たのだが、周囲を回るとさすがにデカいな。渇水期で、西側の造り出しがよく見えているのも面白い。少し時間があったので、TB大学のOT教授、H県A市教育委員会のMH氏、H県立考古博物館のY氏等とともに、ついでに
土曜日の朝に外を見ると、みぞれ混じりの雪が降っていた。どうしよう、サボろうかな、とも思ったが、大学へ向かう。OH教授、AT准教授とともに、ウチの大学の「京都研究会」の見学会におつきあい、である。まずは同志社大学京田辺キャンパスを通り抜け(これがまた広いんだな・・・)、同志社のちょうど西側にある、

2009年1月1日(木・祝)
大晦日。今年もおしまい。恒例の「第9」を聞きながら、しみじみと今年一年を偲ぼう。今年の「第9」は、ちょっと珍しいものを、と思って、
いささか二日酔気味で寝過ごしていたら、ウチの奥様がどうしても、
京都へ抜けるために、福井県おおい町の旧・名田庄村を通ることにする。名田庄というと、昔なつかしい
NHKの「その時歴史が動いた」、今回は「平安京誕生—千年の都に秘められた苦闘—」でした。どなたはんが出はるんかいな、と思っていたら、
←しかし、早良親王の怨霊のこの無惨な姿は、ちょっと酷いと思います・・・・
恒例の「文化史学会」大会。つまり、同志社大学文学部文化史学科が母体となって結成している学会である。小さいけれども、雑誌『文化史学』の刊行を着実に続けているし、同志社大学の文化史の卒業生の懇親を深める場としても機能している。私は監事を仰せつかっているので、数日前には事務局にでかけていって領収書と帳簿の首っ引きをやった。どちらも完璧で、めでたしめでたし。
←12/9。ウチの奥さんと食事に出ようと思ったら、お気に入りの中華料理屋さんはもう閉まっていた(;ω;)。しかたないので奥様御勧めのフレンチにしようとしたら、そちらも臨時休業。あらら。ふと見ると、そのフレンチの隣にインド料理(+ネパール料理)レストランの
←これは、裏寺町の四条にあるフランス料理店、
しかし、転んでもタダで起きず、地頭は倒るるところに土を掴め、崖から落ちてもキノコを採って這い上がれ、と、いうほど大げさではないのだが、せっかく乗り過ごしたし、今日の授業にはまだ時間があるから、そのまま奈良まで行ってしまうことにした。最近、直木孝次郎氏の論文を読んで称徳天皇陵についてちょっと勉強してみたので、久しぶりに
11月28日(金)
←11月18日、祇園のお茶屋「福島」に招いてもらって「平安京」のミニ講演。祇園だということで、祇園歌舞練場の裏側の
←京都は紅葉まっさかり。あちこちの名所は押すなへすなの大混雑である。でも、穴場はある。これは比叡山西麓の

9月22日(月)
ステキな本ができあがった。
9月6・7日(土・日)(上:方形周溝墓の表示、下左:弥生2丁目遺跡、下右:弥生式土器発掘ゆかりの地の石碑)
8月16日(土)
←〔下鴨神社の御手洗祭〕 まだまだ暑い日が続きますね。う〜。原稿が進まないよ〜〜〜。
8月10日(日)
〈←角田文衞先生の御著書・編纂書の数々。圧倒される・・・〉
〔昼食の親子丼を食べに行ったついでに寄った
夕方、四条で、帰国されたばかりの山中章博士と、SM博士とまちあわせ。ひさしぶりに京都で呑むことになる。場所は祇園の炭火焼肉店。焼肉は久しぶりだな。ワインとビールで、痛飲。帰り際に、木屋町四条の高瀬川沿いに咲く、見事な桜をながめる。ちょっとしたお花見気分である。
〈タンロン皇城跡発掘調査現場で、塼<セン>積みの宮殿遺構の観察〉
私のヴェトナム滞在最終日。山中博士らはあと2週間、発掘を継続されるが、私は一足お先に帰国である。今はヴェトナム時間19時(日本時間21時)。これから空港に向かい、深夜の飛行機に乗り込み、日本到着は明日の早朝となる。
<>〔コーロア城跡の城壁遺構〕
〔ハノイの歴史博物館〕
〔← 山中博士の人生は、このようにたくさんの人たちに支えられているのです〕
元旦は呑みすぎで、2日は昼前までぐうたらと寝ている。2日は、わが家恒例の、一族を集めてのボタン鍋(写真上)。寺町の
森浩一先生も近著『京都の歴史を足元からさぐる〔洛東の巻〕』でも触れておられるし、私も前から気になっていたことは、この中に早良親王(光仁天皇皇子、追尊崇道天皇)と舎人親王(天武天皇皇子、追尊崇道尽敬皇帝)が含まれていることである。私が興味深いと思っているのは、早良親王が蝦夷征討の大将軍となった、とか、同親王が蒙古襲来を迎え撃つために出陣した、とかいう、奇妙な伝承が伝えられていることである。崇道天皇を祀っていた社はもともとこの北方の小古墳(塚本古墳)の上にあり、そこは現在は宮内庁管理の「東山本町陵墓参考地」となっている。崇道天皇=早良親王とはいうまでもなく、その怨霊が長岡京廃都・平安京遷都に大きくかかわったのであり、その点では京都に所在する崇道天皇伝承は無視できない、と思っているのである。
新たな「発見」もある。日本書紀の編者としても知られる舎人親王=崇道尽敬皇帝、通常は「とねりしんのう」と発音しているし、私もその他の発音があるとは思ってもみなかった。しかし、この神社では伝統的に「いえひとしんのう」と発音しているというのである(写真下)。確かに「舎人」は「いえひと」とも訓める。なるほどね・・・
11月23日(金・祝)

森浩一先生の傘寿記念パーティが、京都タワーホテルで開催される。なつかしい顔ぶれが集まって、盛会。森先生も身体には注意に注意を重ねて生活しておられるようで、お元気なご様子。「まだまだ元気で、醍醐寺の裏山もこないだ行ってきた」とおっしゃるので、安心である。「食い物に対する執着がなくなったら早く死ぬ」と、いつもながらの森節がとびだす。
夜、京都ロイヤルホテルで、
9月27日(木)
しばらく並んで、やっとラーメンにありつく。驚いたことに、トロトロの濃厚スープ。さすがに
家で寝坊していたら、甥(妹の息子)から電話。彼がやっている
今回の中国旅行でもうひとつ楽しめたのは、いろいろな博物館を見ることができたことである。中でも、金の上京会寧府に隣接して新築された「金上京会寧府博物館」は瀟洒な建物で、なかなかに立派であった。
【上京会寧府】 黒龍江省ハルピン市阿城区に所在する。ハルピン市の中心部からは車で1時間半くらいなのだが、訪れた日本人研究者は決して多くないかもしれない。
【上京龍泉府】 これは日本とも関係の深い渤海の都であるから、行った日本人研究者は多いはず。世界を股にかけた山中章博士などは、何度も訪れているんではないかしら。私はそのたびにヤキモチを焼いていた。唐の長安城を模倣したという点でも、日本の平安京と同時代の都城であるという点でも、行きたくてしかたなかった。今回、ようやく念願がかなった。
【新京】 吉林省の省都・長春は、かつての満洲帝国の首都「新京」である。日本に担がれて皇帝となった康徳帝(清の宣統帝)・愛新覚羅溥儀については、映画「ラストエンペラー」でおなじみである(なお、溥儀の伝記を題材にした映画としては、一市民となってからの彼の後半生を題材とした
この地図に星印で示したところが、今回の訪問地です。

去年に引き続き、森浩一先生がプライヴェート展「森浩一のささやかな歩み展」(5/22〜5/27)を開かれるので、お邪魔する。森先生と奥様が、にこやかに迎えてくださる(写真)。松本清張氏・司馬遼太郎氏との交流関係を中心に、心温まる内容である。感動。24日には、ウチの奥さんを連れて、再訪。
同志社女子大学現代社会学部の新入生とともに、同志社の創立者・新島襄先生の墓参。新島先生の墓は、東山の若王子山(にゃくおうじやま〈にゃっこうじやま〉)の山頂にある。山の中の小道を、数百人の女子学生が集団で昇っていく。下山してからは、新しく同僚となった先生方とおしゃべりしながら、久しぶりに「哲学の道」を歩いてみる。疏水のきれいな流れの脇に、桜が満開(写真)。ぽかぽかとした陽気で、おもいがけないお花見ができた。調子に乗って、そのまま百万遍(いわずとしれた、京都大学の側)まで歩いてしまう。
(上:開会の挨拶をする朧谷寿同志社女子大学教授。下:古代学協会理事長角田文衞先生を囲んで〔角田先生の向かって右が私〕)
京都は寒い。寒すぎるぞ。ふっと思い立って、九州にでかけることにする。新幹線と地下鉄・JRを乗り継いで4時間で、始めての佐賀県唐津市。こちらは暖かくて、良かった。しかし、駅のラーメン屋さんは(>_<)の味。
2007年3月6日(火)
もうひとつ、ぜひ見たかったのは
2007年3月2日(金)
気晴らしに、「終い天神」の北野天満宮に出かける。今年一年の感謝と、来年の多幸を祈り、屋台のみたらし団子をお土産にして帰宅。

