2017.11.17

第5回東海学シンポジウム「森浩一古代学を読み解くⅠ」、の巻

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 11月12日(日)
 「第5回東海学シンポジウム2017」に参加。このシンポジウム、森浩一先生が主導して20年にもわたって続けられてきた「春日井シンポジウム」の後継であり、今回で5回目。
 11日まで沖縄にいて、那覇空港発18時5分の飛行機で19時55分に伊丹空港着。ホントは、なんとか那覇から名古屋の空港に直行できればいいなと思っていろいろ算段してみたのだが、予算執行上の都合からはこれはムリとなってしまい、伊丹空港から新大阪駅に急ぎ、そこから新幹線で名古屋入り。ホテルにはいったら、お風呂を浴びただけですぐに就寝。

 今回のテーマは「森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―」。今年と来年の2回にわたり、森先生の学問をふりかえってみようという意欲的な企画である。内容は次の通り。

《報告》
川崎 保(長野県埋蔵文化財センター調査第二課長) 「森先生の『縄文文化見直し論』」
松田 度(奈良県大淀町教育委員会) 「森先生の『熊襲・クナ国論』」
辰巳和弘(古代学研究者)「水の王権~井伊谷から拡がる古代~」
深萱真穂(フリーライター)「森先生と文学~清張との交流を中心に~」
今尾文昭(関西大学文学部非常勤講師)「森先生と天皇陵古墳」
前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)「藤ノ木古墳の発掘 ~森先生の被葬者論~」
小泉武夫(東京農業大学名誉教授・東海学シンポ実行委員会副委員長) 「森先生と『日本の食文化』」

《座談会》「『森浩一古代学』を語る」司会:山田邦和(同志社女子大学教授)

《資料集への誌上参加》
 ◆山田邦和(同志社女子大学教授)「森浩一の須恵器研究」
 ◆佐野允彦(歴史ジャーナリスト・元朝日新聞記者)「森先生とマスコミ―教え子・元記者から見た―」
 ◆穂積裕昌(斎宮歴史博物館主幹)「森先生と神仏の考古学」
 ◆兼康保明(東海学センター理事)「邪馬台国論争と森先生―『銅鏡百枚』と『卑弥呼以死』を中心に―」

 今回は私は座談会の司会ということで、報告ではなく誌上参加の論文に回る。この論文は、かつて書いた「森浩一 学の稜線〜須恵器の編年」(深萱真穂・『歴史読本』編集部(編)『森浩一の古代史・考古学』、東京、KADOKAWA、2014年)を大幅に増補改訂したもの。前稿と比べると内容はかなり詳しくなっているので、ご興味ある方はぜひお読みください(この資料集は本屋さんには出回らない本だし、図書館にもあまり入らないものなので、購入希望は東海学センターにお問い合わせのほどを)。

 座談会の司会は、正直、疲労困憊。7人の報告者は時代的にも内容的にも多岐にわたるので、発言者のひとことひとことに耳を澄ましながらも、脳の半分は次の展開を考え、さらにはそれをひとつにまとめようとするのはかなりの力技なのである。さらに、討論に与えられた時間はわずか一時間。時間厳守を誓ってはいたが、こればかりは発言者の発言の長さに影響されるので、うまくいくかどうかは大げさに言えば神のみぞ知る、なのである。結果としては、予定時間を1分超過しただけとなったから、これはまあ許容誤差と認めていただけるであろう。私としても大変いい経験になったシンポジウムであった。

【書いたもの】
■「森浩一の須恵器研究」山田邦和(著)
(『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2017年10月26日)、107~133頁

【しゃべったこと】
◯「《座談会》『森浩一古代学』を語る」山田邦和(司会)
川崎保・松田度・辰巳和宏・深萱真穂・今尾文昭・前園実知雄・小泉武夫(パネラー)(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』、春日井、春日井市民会館、2017年11月12日)


2017.11.15

沖縄調査旅行、の巻

Img_0987_3←(「浦添ようどれ館」で、浦添ようどれの復元墓室および石棺〈レプリカ〉の観察)

 11月9日(木)~11日(土)
 今年は、高橋康夫先生(京都大学名誉教授・元花園大学教授、都市史・建築史)の科研費の分担に入れていただいているので、しばしばいろんなところに出かけることができる。この日は沖縄行き。同行者は冨島義幸京都大学准教授と伊ヶ崎鷹彦花園大学助手。沖縄は京都とともに高橋先生のメイン・フィールドであるので、安心して回ることができる。日程は次の通り。

 9日:浦添ようどれ館→沖縄ワールド→ガンガラーの谷

 10日:古座島→運天(崖墓・百按司墓・大北墓)→今帰仁村仲馬場→諸志の散策道と赤墓→今泊(集落・津屋口墓)→クバの御嶽→今帰仁城城下町→備瀬集落フクギ並木道→海洋博記念公園おきなわ郷土村→瀬底土帝君→塩川

 11日:久高島→垣花樋川→具志川城→真壁ちなー(金城増治住宅)→南山城(大里城)

 ご覧のように、結構な強行軍である。浦添ようどれ館は何度も訪れたことがあるが、今回は仏教儀礼の専門家である冨島さんと同道であるから、まことに学ばせていただくこと大。沖縄ワールドや海洋博記念公園おきなわ郷土村はいわば民家の野外博物館。ガンガラーの谷では、旧石器時代からグスク時代にかけての洞窟遺跡の調査が綿々とおこなわれており、調査担当の沖縄県立博物館・美術館の山崎真治博士から詳しい説明をいただくことができる。

 久高島ははじめての訪問。沖縄最高の聖地である斎場御嶽から拝められてきた、創生神アマミキヨの霊地である。島内の主要交通機関はレンタル自転車なのだが、「歩こう」ということになって、細長い島を東西に往復することになる。小さな島とはいえ歩くとやはり結構くたびれるのであるが、その分、島のあちこちをじっくりと観察することができる。それに、島の北端の岩海岸と海はやはり絶景。

Img_1163_3(←運天の崖墓)
 なかでも異様な感動を受けたのは、運天(国頭郡今帰仁村)の港の周囲にある崖墓群(百按司墓・大北墓を含む)。海に臨む崖の洞窟を墓としているのだが、中には厨子甕や木製厨子がぎっしりと収められており、それが破損して中の白骨が大量に露出している。時間も忘れて見入ってしまった。

2017.10.23

『京都 知られざる歴史探検』(上巻・下巻)刊行!!、の巻

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 10月23日(月)
 ようやくできあがりました! 山田邦和『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』『同(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』(東京、新泉社、2017年10月25日、各巻定価2000円+税)。おそらく、今日くらいから書店に並ぶんじゃないかと思います。本屋さんで買っていただけるのが一番いいのですが、アマゾンならば、上巻はこちら下巻はこちら
 これのもとになったのは、PHP研究所『歴史街道』平成11年(1995)5月号〜同17年(2005)4月号(通巻第133号〜204号)に連載した「まちかど歴史散歩」と、『中日新聞』(『北陸中日新聞』『東京新聞』にも同時掲載)平成23年(2010)3月27日号〜同24年(2012)3月24日号の毎週土曜日版に連載した「歩いて楽しむ京都の歴史」です。ただ、本にするにあたって、最新の研究成果をも取り入れながら徹底的な増補改訂を加えましたので、内容としては新しいものになったと思います。

 ありきたりのものではない京都の史跡と歴史の本をまとめたい、というのは、永い永い間の私の念願でした。京都で生まれ育って、京都の歴史研究の道に踏み込んだ私としては、そういう本をまとめることができたらどんなにいいだろう、と思っていたのです。そこで、これまでの研究生活の中で、お寺や神社に行った時、本を読んだ時などに、それぞれネタになりそうなものを少しづつメモしてきました。ただ、言うは易しおこなうは難しという言葉の通り、なかなか執筆にとりかかることはできないでいたのです。
 また、わが師・森浩一先生には、『交錯の日本史』『新・日本史への旅(上・下)』というとっても素敵な著書があります。私にはとうてい及びもつかないのですが、これの「京都版」のような本ならば、私にもできるかもしれない。そう思ってきました。今回のこの本は、森先生のこの両書に対する私なりのオマージュともいえると思います。

 たまたま、JR東海エージェンシーから『歴史街道』に連載の話をいただき、毎月1回、6年間にわたって72回の記事を書くことができました。連載終了後、これを本に、と決意し、某出版社から出版していただけるというところまで話を詰めたのですが、その頃から私が急に忙しくなってしまい、ついにお流れになってしまったのです。今度はそれからかなりたって、『中日新聞』から京都の史跡案内の連載の依頼を受けました。2年間毎週で計103回という大仕事をなんとか完結させて、ようやく本にするぞ、と意気込んだのですが、連載終了直後の2012年4月に私自身が大病に襲われて死にかけたので、またまた機を逸しました。なんとか生き返らせてもらって自宅に帰り、療養生活をしながらその合間に少しづつ原稿に手をいれていきました。やっとそれがまとまって、今度こそ、という思いをしたのですが、一冊にまとめられる分量ではないところが最大のネックになったようで、以前お願いをした会社を始めいくつかのところと交渉したのですが、引き受けてくれるところがなかなか見つかりません。信頼していたある編集者に相談したところ、予想外の言葉で冷たく突き放される、などというできごともあってかなりのショックを受け、しばらく意気消沈して仕事を投げ出してしまいました。なんとか気をとりなおして、ようやく乗り気になっていただける出版社を探し当てたのですが、今度は私の希望と出版社側の要望がちょっと異なっていて、うやむやのうちに私の方からお流れにしてしまい、大変申し訳ないことをしてしまいました。
 もうダメかな、と諦めかけていたところでしたが、そこにようやく救いの神として現れてくれたのが新泉社さんです。昨年、『森浩一著作集』を刊行していただいたことから親しく仕事をさせていただくご縁を得、編集長の竹内将彦さんと編集者の望月佳子さんに相談申し上げたところ、ついに出版にこぎつけることができたのです。

 しかしそれからがまたまた大変です。連載原稿は揃っているし、それの改訂原稿も仕上がっている、さらには写真もほぼ自分で撮影済みなので、編集は簡単に終わると楽観していたのですが、実はこれが大間違い。自分の原稿ながら次から次へと問題点が続出、望月さんからは夜討ち朝駆けの電話とメールで疑問点の確認が連発。そのたびに、穴があったら入りたいような恥ずかしい気分を味わいました。さらに、写真も、掲載許可に思わぬ時間をとったり、なかには文化財所蔵者から掲載の許可をいただくことができなかったりして、この点でも七転八倒してしまいました。

 最後まで修正がはいって気が抜けなかったのですが、ようやく完成したのはありがたい限りです。望月さん、ありがとうございましたm(_ _)m。全ページがカラーという、綺麗な仕上がりになって、とっても嬉しいです。自分でいうのもなんですが、「知られざる京都の史跡案内」というキャッチフレーズに恥じないものになったと思います。その点では、京都の初心者向けというよりも、ありきたりの京都の史跡は一通り見てしまったとか、京都をもっともっと深いところまで知りたいとかいう「通」向けの本にすることができたと思います。

 あとは、できるだけ多くの皆さんに手にとっていただけると嬉しいです。どうか宜しくお願いしますm(_ _)m。


【書いたもの】
■「全体討論『宗教都市』奈良を考える」佐藤亜聖・大田壮一郎(討論司会)、河内将芳・高谷知佳・狭川真一・前川佳代・山田邦和・吉澤悟・大藪海・仁木宏・山川均・幡鎌一弘・五味文彦(討論発言)(中世都市研究会(編)、五味文彦・佐藤亜聖・前川佳代・狭川真一・山川均・高谷知佳・吉澤悟・河内将芳・幡鎌一弘(執筆)『「宗教都市」奈良を考える』所収、東京、山川出版社、2017年8月31日、全239頁)、205~239頁(山田発言は214・215頁)
■『徳川家康(新装版)』松本清張(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫1」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1982年9月30日発行〉)、全337頁
■『豊臣秀吉(新装版)』岡田章雄(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫2」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1981年11月19日発行〉)、全205頁
■『武田信玄(新装版)』木暮正夫(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫3」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1986年6月15日発行〉)、全179頁
『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全286頁
『京都 知られざる歴史探検(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全285頁

【しゃべったこと】
◯「聖武天皇の首都構想―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮の三つの都―」山田邦和(講演)、(「けいはんな学研都市7大学連携 市民公開講座2017」、京都府精華町、国立国会図書館関西館、2017年9月15日)
◯「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」山田邦和(ガイド)、(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈千石荘公園、清水山古墳跡、天塚古墳、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2017年9月16日)

◯「京都学講座・院政期京都の研究3(5)以仁王の変と治承・寿永の内乱の勃発」山田邦和(講座)、(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年9月29日)
◯「(2)孝徳天皇の難波長柄豊碕宮」山田邦和(講座)、(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年8月25日)
◯「(3)天武天皇の飛鳥と難波」山田邦和(講座)、(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月6日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)太秦の古墳群」山田邦和(講座)、(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、天塚古墳、蛇塚古墳、2017年9月29日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(1)『大化改新』と天智天皇・藤原鎌足」山田邦和(講座)、(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年10月13日)

2017.08.12

『山田邦和著作目録(暫定版)』をウェブ公開します、の巻

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 ずいぶん前から、自分の「著作目録」をまとめたいな、と思い続けてきました。
 歴史学・考古学の研究を自分の一生の仕事と思い定めてから、かなりの時がたちました。牛歩のような遅さであることは自覚していますが、それでもこれまで曲がりなりにも研究を続けてくることができたのは、本当に幸せだと思っています。研究生活を継続してきますと、多少の著作物がたまってくるようになります。どれもこれも自信という言葉からはほど遠い習作にすぎませんが、研究者としての人生を選んだ私にとっては、著作物とは自分が生きてきた足跡そのものと感じています。たとえて言うならば、自分の著作物とは愛しい「わが子」だという気がしているのです。そうであるならば、私には「わが子」たちを見守り続けてやらねばならない責務があるでしょうし、そのためには「わが子」たちがどこにどういうふうに散らばっているのかを把握しておかなくてはならないでしょう。著作目録が必要とされるゆえんです。研究者としての私にとっては、著作目録こそはまさに自己存在の証明書であるように思っているのです。


 私が教えを受けてきた先生方、お世話になった先輩諸氏、さらに、著書や論文を通じて学恩を受けてきた研究者の中には、立派な著作目録を作っている方がたくさんおられます。角田文衞先生(古代学協会理事長)、森浩一先生(同志社大学名誉教授)、網野善彦先生(神奈川大学特任教授)のものは素晴らしいものです。また、特に梅棹忠夫先生(国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授・京都大学名誉教授)のものは、おそらく研究者の著作目録としては最大のもののひとつでしょう。こうした立派な著作目録に触れるたびに、私もいつかはこういうものを作りたい、という憧れを募らせてきたのです。

 ただ、ひとくちに自分の著作目録を作るといっても、解決しなくてはならない課題が山積みになっており、それはなかなか一筋縄ではいかない大仕事です。そこで、正式の著作目録を作る前段階として『山田邦和著作目録―附・講演目録など―(暫定版)』を作成しました。皆さまのご意見を取り入れながら、いずれ機会を改めて、もっと良い形で正式の著作目録に仕上げていきたいと思っています。

 著作目録(暫定版)は200部を印刷し、出会うたびに先生、先輩、友人の皆さんに押し付けてきました。私の年齢で著作目録を作るというのはちょっと早すぎるように受け止められたようで、中には呆れられた向きもあったようです。しかし、梅棹忠夫先生は著作目録の準備を50歳の誕生日の直前から始められておられましたし、そういう点ではまあいいのではないかと思っています。

 ただ、いろんなところでバラまいた結果、紙媒体のものはそろそろ在庫が尽きてきました。そこでPdf版を作成し、このブログの付属のウェプページでダウンロードできるようにします。ご関心のある方は活用していただけたらと思います。
『著作目録(暫定版)』のダウンロードはこちらから。

 なお、niftyの@homepageが2016年11月10日でサービス提供終了となってしまったため、それ以来、本ブログの「プロフィール」欄が非表示になってしまいました。今回、それもウェブサイトで公開しますので、よろしくお願いします。
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2017.08.09

第3回森浩一先生に学ぶ講演会、の巻

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↑ 泉大津高校考古学資料室と、同校地歴部の勧誘ポスター

 8月6日(日)
 森浩一先生に学恩を受けた有志でつくる「森浩一先生に学ぶ会」の第3回講演会で、泉大津行き。8月6日は、まさに森先生の三年目の命日である。
 大阪府立泉大津高校は、森先生が大学を卒業して最初に教諭として赴任された勤務地というゆかりの場所である。先生は最初は英語担当だったが、のちにはそれに社会科担当が加わったという。さらに、奥様の淑子先生(旧姓蛭川)との出会いの場になったのも、この泉大津高校時代のことであった。

 ただ、恥ずかしながら、これまではご縁がなくて泉大津高校に足を運ぶ機会がなかった。行ってみると、大阪府立弥生文化博物館から10分くらいのところであることにびっくり。ついでに、弥生博物館で開催中の「沖縄の旧石器人と南島文化」を見てから高校に伺う。

 それにしても、暑さ全開で頭がクラクラしそう。こんな暑い中でお客さんが集まるかな、と心配したが、会場は満席に近くなって、ほぼ70人くらいが入場されていて、安堵。

 最初に、泉大津高校の濱本泰治校長先生の挨拶。そして深萱真穂さんが司会、よんどころない事情で欠席された菅谷文則橿原考古学研究所所長の挨拶を代読。最初の講演は泉森皎・元橿原考古学研究所副所長の「森浩一先生と泉大津高校」。私の担当はその次の講演「須恵器の編年と森浩一先生」。森先生が泉大津高校在職時代に情熱を傾けられた須恵器研究を振り返る。さらに、森先生の古くからの協力者であった杉本憲司佛教大学名誉教授、田中英夫橿原考古学研究所共同研究員、宮川徏同研究所共同研究員による鼎談「森考古学と和泉」(司会は天野幸弘元朝日新聞社編集委員)。

 休憩時間に、泉大津高校の地歴部の活動の場となっている「考古学資料室」を見学させてもらう。面積は小さいけれども、和泉の古墳や須恵器窯の重要遺物がぎっしりと詰まっている。これは、森先生が築き上げたものである。のちに森先生が同志社大学で実現した「考古学資料室」および「歴史資料館」の源流はこんなところにあるんだな。地歴部が現在でも活動を続けていて、森先生(さらにはその後任となられたのは石部正志先生)以来の伝統が脈々と受け継がれていることに感動する。高校生の時から真摯に学問にとりくむ姿勢を学ぶことは、彼らの将来に多いに役立つに違いない。


【しゃべったこと】
◯「京都学講座・院政期京都の研究3(4)福原京の復元(1)」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年7月21日)
◯「(1)唐の長安と洛陽」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年7月28日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(1)嵯峨野・太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都朝日カルチャーセンター京都、2017年7月14日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(2)秦氏と広隆寺」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年8月4日)
◯「須恵器の編年と森浩一先生」山田邦和(講演)(森浩一先生に学ぶ会(主催)「第3回 森浩一先生に学ぶ講演会」、泉大津、泉大津高校同窓会館、2017年8月6日)

2017.07.07

ずいぶんとご無沙汰、の巻

ずいぶんご無沙汰しました。ブログの更新がないので御心配した、という方もおられたようで、まことに申し訳ありません。体調不良とかそんなことではなく、単に怠けていただけです。この間、いろんなことはあったのですが、何から書いたらよいのかわかりません。とりあえず空白を埋める意味で、この間に「やったこと」を列挙しておこうと思います。


【書いたもの】
■『山田邦和著作目録―附 講演目録など―(暫定版)』山田邦和(編)(京田辺、同志社女子大学現代社会学部山田邦和研究室、2016年12月31日)、全96頁
■『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』天橋立世界遺産登録可能性検討委員会(編)、宗田好史・仲隆裕(編集委員)、宗田好史・上杉和央・仲隆裕・深町加津枝・奥敬一・森宣和・山口睦雅・高原光・赤瀬信吾・天野文雄・吉野健一・山田邦和・菱田哲郎・上田純一・福島恒徳・吹田直子・今井一雄・小田彰彦(著)(京都、法蔵館、2017年3月12日)全321頁
 ~◇山田邦和(著)「天橋立の歴史的景観」211~221頁
 ~◇山田邦和(著)「宗教都市としての天橋立」248~252頁
■「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」山田邦和(著)、(『条里制・古代都市研究』第32号、東大阪、条里制・古代都市研究会、2016年3月1日)、1~18頁
■『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』歴史群像編集部(編)、かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・小沼理・丹羽篤志)(編集)、板垣真誠・伊藤展安・香川元太郎・黒澤達矢・中西立太・藤井康文(鳥瞰イラスト作成)、小田和利・山田邦和・平井聖・九州歴史資料館・平山優・和根崎剛・西ヶ谷恭弘・福島克彦・中井均・跡部信・坂井尚登・勝見譲・越中哲也・村松伸・伊東宗裕・山村竜也・中村武生・有坂純(イラスト監修)(「学研ムック」、東京、学研プラス、2017年1月12日)、全143頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「平安京―平安時代―」13~16頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「戦国の京都―戦国時代―」69~72頁
■「書評『世界遺産と天皇陵古墳を問う』編・今尾文昭、高木博志」山田邦和(著)、(『京都民報』第2775号、京都、京都民報社、2017年2月26日)、5頁
■「新刊紹介 歴史家の案内する京都 山田邦和他編著」山田邦和(著)、(『同志社時報』第143号、京都、同志社、2017年4月1日)、85頁
■「三笠宮崇仁親王殿下の薨去」山田邦和(著)、(『土車』第131号、京都、古代学協会、2017年3月20日)、1頁
■『京の三条―SANJO STREET―』京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉(編)、山田邦和・笠原一人・大塚活美(執筆)(京都、京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉、2017年3月〈発行日記載なし〉)、全14頁
 ~◇山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」2~4頁
■『京の三条 Sanjo-dori, Kyoto―SANJO STREET―』The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference)(Compiled), Kunikazu Yamada, Kazuto Kasahara, Katsumi Otsuka(Author), Kyoto, The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference), March, 2017〈day,unknown〉,pp.1-14
 ~◇Kunikazu Yamada(Author)"A Bird's-Eye View of Sanjo-dori ―Unraveling Its Historiy―"pp.2~4
■『京の三条 京都的"三条通"-SANJO STREET-』京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府·京都文化博物馆·姊小路区域侦探讨会·京都三条城区规画协会〉(编辑),山田邦和·笠原一人·大冢活美(执笔)(京都京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府·京都文化博物馆·姊小路区域侦探讨会·京都三条城区规画协会〉,2017年3月〈没有发行日期记载〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三条通-解读"三条通"的历史-」2~4頁
■『京の三條 京都的"三條通"-SANJO STREET-』京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉(編輯),山田邦和·笠原一人·大冢活美(執筆)(京都,京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉,2017年3月〈沒有発行日期記載〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三條通-解讀”三條通"的歴史-」2~4頁
■『京の三条―교토의 산조 도리(거리)―』교토 문화박물관 지역혐동사업 실행위회 <교토부·교토 문화박물관·아네야코지 일대를 생각하는 모임·교토의 산조 동내 만들기 협의회>(편집),야마다 구니카즈・가사하라 가즈토・오쓰카 가쓰미(집필)(교토,교토의 산조 동냬 뫈들기 혐의회,2017년3월〈「일」은 기재되지 않고 있다〉),전체로 14페이지 있다
 ~◇야마다 구니카즈(집필)「산조 도리(거리)를 부감한다―산조 도리(거리)의 역사를 펴서 읽는다―」,2-4페이지
■「角田文衞『平安京と羅城門』解説」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、7頁
■「清水睦夫博士の逝去」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、8頁
■『第13回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)(京都、京都新聞出版センター、2017年6月30日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は009・010・107・108・203各頁)。

【しゃべったこと(学会)】
◯「(調査レポート)質疑・討論」山田邦和・舘野和己(座長)、山本亮・滝沢匡・猪狩俊哉・坂本嘉和・堀内和宏(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第33回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
○「鴨川の禹王廟と治水神信仰」山田邦和(記念講演)、(治水神・禹王研究会「第4回総会・研究大会」、京都、佛教大学1号館415教室、2017年3月26日)

【しゃべったこと(講演)】
◯「【鳥辺野】考古学者と巡る清水坂、生と死が交差する周縁の地―陰陽師や非人たち最大の根拠地、死者の都市・鳥辺野へ―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、京阪清水五条駅集合。松原橋、物吉村跡、西光寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、清水坂、大谷本廟、妙見堂、鳥辺山墓地、安祥院、清水寺を見学、2017年1月22日)
◯「豊臣秀吉の天下統一と首都づくり―御土居・聚楽第・伏見城―」山田邦和(講師)、いなべ市教育委員会生涯学習課〈主催〉「いなべ市民大学講座―平成28年度生涯学習事業―」第5回いなべ員弁コミュニティプラザ2017年2月5日
○「京の武士と町衆―洛中洛外図の時代―~パネルディスカッション」山田邦和(コーディネーター)、マシュー・スタブロス、川嶋將生、三枝暁子(パネリスト)(京都府立京都学・歴彩館〈主催〉、京都府立大学〈共催〉平成28年度国際京都学シンポジウム「京<みやこ>の武士と町衆―洛中洛外図の時代―」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2017年3月19日)
○「信長は何をめざしたか―将軍か関白か太政大臣か―」山田邦和(講師)(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成29年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2017年3月21日)
◯「天下人秀吉のふたつの伏見城」山田邦和(講師)、(京田辺市・京田辺市教育委員会・同志社大学〈主催〉「2017(平成29)年度 京たなべ・同志社ヒューマンカレッジ」、京田辺、同志社大学京田辺校地恵道館、2017年5月20日)
◯「白河・鳥羽」山田邦和(講演)、(姫路市教育委員会主催「平成29年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、姫路、姫路市市民会館、2017年6月19日)
◯「京都学へのいざない」山田邦和(講演)、(2017年度私立大学図書館協会西地区部会京都地区協議会第1回研究会「世界へ翔け! 京都学 」、京都、京都府立京都学・歴彩館小ホール、2017年6月30日)

【しゃべったこと(連続講座)】
◯「院政期京都の研究2」「(3)平治の乱の勃発」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年1月20日)
◯「院政期京都の研究2」「(4)平治の乱の展開」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年2月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(5)平清盛の栄華と建春門院」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年3月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(1)六波羅と法住寺殿」山田邦和(講師)、(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年4月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(2)福原遷都とその挫折(1)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年5月19日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(3)福原遷都とその挫折(2)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年6月16日)
◯「(1)皇室の菩提寺『御寺』泉涌寺と月輪陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年1月20日)
◯「(2)明治・大正・昭和天皇陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年2月17日)
◯「(3)天皇陵・拾遺」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年3月24日)
◯「(1)ヤマト政権歴代の「都」と大型古墳」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月28日)
◯「(2)飛鳥の都」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月年5月26日)
◯「(3)天智天皇の近江大津宮」山田邦和(講座) (栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月6月23日)
◯「明治維新と京都の近代化(1)明治天皇の東幸と京都の衰退」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年1月13日)
◯「明治維新と京都の近代化(2)京都の近代化」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年2月10日)
◯「明治維新と京都の近代化(3)(現地見学)琵琶湖疏水とインクライン」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、琵琶湖疏水・インクライン・琵琶湖疏水記念館を見学、2017年3月10日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(1)弥生時代から古墳時代の京都盆地」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(2)巨大古墳の時代の京都」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)恵解山古墳と勝龍寺城跡」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年6月9日)

2017.02.12

竹田聴洲先生シンポジウム、の巻

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 2月11日(土)
 佛教大学宗教文化ミュージアムで冬期企画展「佛大逍遥IV―竹田聴洲―」が始まり、関連シンポジウム「竹田聴洲の人と学問」が開催されるので、出かけていく。

 竹田聴洲先生(1916~1980)は民俗学者で、同志社大学文学部教授や佛教大学文学部教授を歴任された。『祖先崇拝―民俗と歴史―』(京都、平楽寺書店、1957年)、『民俗仏教と祖先信仰』(東京、東京大学出版会、1971年)、『日本の民俗26「京都」』(東京、第一法規出版、1973年)、『竹田聴洲著作集』全9巻、国書刊行会、1993~1997年)などの著書によって知られている。この展覧会とシンポジウムは竹田先生の生誕100年を記念するもので、八木透佛教大学歴史学部教授が「不屈の学僧―竹田聴洲の人と学問―」と題した基調講演、研究報告を大谷栄一佛教大学社会学部教授、大野啓佛教大学非常勤講師、村上忠喜京都市歴史資料館担当係長、菊池暁京都大学人文科学研究所助教、斉藤利彦佛教大学歴史学部准教授が話される。いずれも充実した内容で、竹田先生の学問のありかたと、それが現代の民俗学にどう受け継がれているかがよくわかり、まことに勉強になる。とくに八木教授の基調講演からは、ありし日の竹田先生の面影が浮かび上がるように思い、感銘を受ける。村上さんの報告の中で、思いがけずも私の名前を出していただいたのは光栄。

 感慨深いのは、私は竹田先生の授業を聞くことができた最終の世代だということである。今回のシンポジウムの報告者の中でも、生身の竹田先生を存じ上げておられるのはおそらく八木教授おひとりではないだろうか。休憩時間に八木さん(大学での私の3年先輩にあたる)と話をしながら、お互いもうそんな歳になったんですねと、苦笑いし合ったことであった。

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 竹田先生のお名前を最初に耳にしたのは、たぶん高校生の時だったと思う。私の通っていた同志社香里高校では、1年生では地理、日本史と世界史は2・3年生で学ぶことになっていた。どういうわけなのかは知らないが、その頃の同志社香里高校では日本史の非常勤講師の先生は、同志社大学の竹田ゼミの博士課程の大学院生や修了生が来ておられることが多かった。1年生の時には竹田先生の教え子であった長谷川嘉和先生(のちに滋賀県教育委員会で近江の民俗調査に主導的な役割をはたされる)が来ておられた。私は長谷川先生の授業を受けることはなかったのであるが、よく先生を訪ねていろんな話を聞かせていただいた。おそらくそこで竹田先生の名前を知ることになったのだと思う(なお、この時、長谷川先生から宮本常一氏の書物を読むことを勧めていただいたこともありがたかった)。

 高校2年生になった時に、長谷川先生に代わって非常勤講師として来られたのが、同じく竹田先生の高弟のひとりであった赤田光男先生(のち、帝塚山短期大学教授、帝塚山大学人文学部教授を経て、現在は帝塚山大学名誉教授)だった。私は赤田先生には大変良くしていただき、いろんなところにくっついていった。私の民俗学への興味関心は、たぶんこのあたりから生まれたのだと思う。
 なお、私の論文の中に、「京都の都市空間と墓地」(山田『京都都市史の研究』所収、東京、吉川弘文館、2009年。初出は1996年)がある。これは考古学研究者が墓を論じたものとしてはまったくの異色作であって、考古学の墓研究では常識ともいえる、火葬墓と土葬墓の区別とか、棺や骨蔵器の材質や形態による分類といった方法を意識的に拒絶している。これは、私の墓に対する問題意識が民俗学的な部分から始まったからなのである。また、「鴨川の治水神」(山田『日本中世の首都と王権都市―京都・嵯峨・福原―』所収、京都、文理閣、2012年。初出は2000年)という論文もあるが、これはまったく歴史民俗学の手法による研究である。のちにこうした研究をすることになったのも、高校生の時にめばえた民俗学への関心が時を隔てて結実したものだと思っている。

 大学に入学すると、1回生が採れる授業の中に「歴史A」というのがあった。大教室でおこなわれるいわゆる一般教養の日本史である。この担当が竹田先生であった。私は一番前の席に腰掛け(この時、同じく一番前に陣取っていたのが、あとで一緒に同志社大学民俗学研究会を復活させてそこで一緒に民俗学の勉強にとりくむことになる秋庭裕氏〈現・大阪府立大学人間社会学部教授〉であった)、期待に胸をふくらませながら授業の開始を待った。しばらくすると前列の扉が開いて、坊主頭の初老の男性が入ってきた。背広をきておられたのだが、なんだかダブダブの感じで、失礼ながらぜんぜん似合ってなかった。同じく受講していた学生の中には、用務員のおっちゃんが黒板を拭きにきたのだと勘違いしてしまった人もいたらしい。それが竹田先生だった。
 竹田先生は教壇に座ると、すぐに講義を始められた。これが昔ながらの大学教授の講義で、「これから私のいうことをノートするように」と宣言されて、ひたすらに講義ノートを読み上げられ、その合間々々に解説が挟まれ、私たち学生は先生の言葉を一生懸命書き取るのである。もし、今の大学でこんな授業をやろうものならば、学生から「私たちは筆記の機械ではない。書き取らせるだけならばそれをプリントにして配るべきだ」などという抗議の山が積み上げられるに相違あるまい。しかし、私はいまでもこの時のノートを大事に保管しているのであるが、これが見事な「民俗学概論」になっていることに感心するのである。竹田先生の主著である『民俗仏教と祖先信仰』(1250ページ!!)を読もうとして一生懸命取り組んだのもこの頃のことである。
 しかし、1回生の秋に、不穏な噂が聞こえてきだした。竹田先生が定年前に同志社大学を辞められるというのである。これにはいろいろ学内の事情があったらしいのであるが、それについての詳しいことは私は知らない。私も衝撃を受けたが、私の同級生には竹田先生のゼミに進んで民俗学を専攻したいと希望していた学生が何人もいたから、彼らにとってはそのショックは計り知れなかったと思う。結局、この噂は本当となり、竹田先生は1978年3月に同志社大学教授を辞され、4月からは佛教大学教授に転じられたのである。

 先生の『民俗仏教と祖先信仰』は自分の今後の研究にとってどうしても必要な書物だと思ったのであるが、その頃には絶版になって入手困難だったし、古本としても学生の身には手の届かない値段になっていた。しかたがないので図書館でコピーしようと思ったのだが、これも1250ページという大著であるからかなりの労力である。こうしたことを先生にお話ししたところ、「あの本の色刷りの図版(40ページ分)の部分だけは特別の抜刷を作ってあるから、それであるならばあげてもいい」とのありがたいお言葉。なにせ今と違って、カラーコピーなどはない時代の話である。私は、ぜひちょうだいしたいと申し上げた。じゃあ取りに来い、ということで、1978年の2月であったか3月であったかの夜更け、私は先生の住房である百万遍の知恩寺の寿仙院(考古学界では、森本六爾が一時下宿していたことで知られている)を訪れたのである。
 すぐに辞するつもりであったのであるが、どういうわけかそこで、竹田先生は私を引き止めていろいろと話をしてくださる。2時間か3時間ほどいたであろうか。今から思えば、一対一の講義という贅沢きわまりない機会を与えてもらったのである。さらに、私のお目当ての『民俗仏教と祖先信仰』について先生は「自分の手元にも僅かしか残っていないけれども、そんなに勉強したいのならば譲ってやろう」、と言っていただけたのである。もちろん、抜刷ではなく現物である。さらにさらに、この本を出してこられた先生は、「じゃあ、君のためにサインをしてやろう」と言われて、本の見返しを開くとおもむろに筆に墨を含ませ、見事な筆致で「昭和五十三年初春、まさに同志社を去らんとす 山田邦和君架蔵のため 著者・竹田聴」と署名をしてくださった。そして、さらにさらにさらに、ご自分の肖像写真までもくださったのである。ペイペイの1回生、しかも民俗学専攻でもない学生に対してこれほどの御厚情を示されたわけはよくわからないけれども、四半世紀近くにわたって勤務された同志社大学を去るということで、先生御自身にも何らかの感傷があったのかもしれない。

 その翌年度には私は、佛教大学で開かれた先生の講義「民俗学概論」を聴きにいくことにした。竹田先生にそう申し上げると、笑って「まあ、そうしたいんなら勝手にせよ」と言っていただいた。ただ、そうはいっても受講料を払ったわけではないから、いわゆるニセ学生である(佛教大学さま、その時には大変々々申し訳ないことをいたしました。改めてお詫びいたします。40年近く前のことなので、なにとぞお許しくださいませ)。ちなみに、同志社大学はこの頃には教室にクーラーなるものはなかったが、佛教大学ではすでにクーラーがついていて、私はそれを羨望の眼差しでながめていた。この時の竹田先生の講義のノートも、私は大切に保管している。
 ところが、その年度の後半くらいから、竹田先生の授業に休講がはさまるようになった。その時の私には知るよしもなかったのであるが、竹田先生は肝臓を病まれ始め、翌年からはしばしば入院加療されるようになったのである。1980年9月6日、竹田先生は64歳で世を去られた。佛教大学に移られてわずか2年半であった。

 竹田先生から私が学んだものの中で衝撃だったのは、「考古学者は古墳を墓だというが、そんなことはない。古墳は埋葬施設ではあろうが、墓というのは遺体の処理以外に霊魂祭祀という側面がともなっていなくてはならないのであり、その点では古墳は墓かどうかわからない」ということであった。この時に先生から示唆をうけた「墓とは遺体処理と霊魂永久祭祀というふたつの機能の複合体である」というのは現在にいたるまでの私の「墓」への基本認識となっている。この概念は、私の「平安京の近郊~墓地と葬送」(『平安京提要』所収、東京、角川書店、1994年。のちに改稿して、山田『京都都市史の研究』所収「平安京の葬送地」)のライト・モチーフともなっているのである。
 また、学界では民俗学のことを歴史学の一分科であり、文献史学や考古学と並んで歴史を復元するためのひとつの「方法」とする考えが多い。しかし竹田先生は有名な論文「常民という概念について」(『現代日本民俗学』II所収、東京、三一書房、1975年。初出は1967年)において、民俗学の研究対象は「民の常」としての「常民」に他ならず、民俗学は一個の独立した学問であることを高唱された。歴史学や考古学の学界でこうした捉え方をしている研究者はおそらく皆無であろうが、私の「中世史と考古学」(『岩波講座 日本歴史 第21巻「史料論〈テーマ巻2〉」』所収、東京、岩波書店、2015年)では、まさにこの竹田理論にしたがって歴史学、文献史学、考古学、民俗学の関係を整理している。私はこの論文を書くことによって、40年近く前に竹田先生から受けた学恩に対して、ほんの一部ではあるがお返しができたような気がしているのである。

2017.02.07

追悼・清水睦夫先生

Photo(←同志社香里高校卒業アルバムより)

 ロシア・東欧(スラヴ)古代・中世史の研究者であり、同志社香里中・高等学校教諭、平安博物館講師(非常勤)および古代学研究所講師(非常勤)をつとめられた清水睦夫先生が、去る1月28日に89歳で永眠された。先生ご自身の遺志により、告別式は近親者のみにて執り行われたとのこと。

 清水先生は1927年に滋賀県大津市のお生まれ。なんでも、早くにご両親を亡くされ、その後はお祖母様のもとで育てられたという。少年時代には、当時の若者の流行であった大陸に憧れて満州に渡ったのであるが、多感な18歳の時に満州の撫順で敗戦を迎えられた。それまで精鋭無比を謳われた関東軍がボロボロの敗残状態となり、それに対して中国人の民衆が憎悪と怨嗟の声を投げつけるのを目撃して強いショックを受けたという。先生ご自身も撫順で相当辛い目にあわれたようだが、そのあたりの詳しい事情は聞いていない。

 日本に引き上げられてからは、満州在住中に習得したロシア語を生かして、大阪市立大学文学部歴史学専攻に進んで当時の日本では珍しかったスラヴ古代史の研究を志された。1949年には角田文衞先生が同大学の西洋史担当の助教授として赴任されているから、清水先生は角田先生の最初期の弟子なのである(清水先生と同じ頃の角田先生の門下生としては、エジプト古代史の研究者であった故・冨村傳先生がおられ、両先生は生涯の友であった)。大阪市立大学を卒業してからは同志社大学大学院文学研究科文化史学(西洋文化史学)専攻修士課程を修了、同志社高等学校講師を経て、同志社香里中・高等学校教諭の職に就かれた。

 私は1974年に同志社香里高等学校に入学した。すぐに清水先生にお目にかかることはなかったのであるが、香里の「名物教員」のひとりであった先生の噂だけはあちこちから聞こえてきた。私が先生に近づきたいという気をおこしたのは、高校の図書室で『世界考古学大系』を紐解いていた時である。第9巻「北方ユーラシア・中央アジア」を開いた私の目に、執筆者のひとりとしての先生の名前が飛び込んできたのである(清水睦夫「スラヴ民族の興起」〈角田文衞編『世界考古学大系』第9巻「北方ユーラシア・中央アジア」所収、東京、平凡社、1962年〉)。感動した私は、わからないままに貪るように論文の文字を追った。なにせ、『世界考古学大系』といえばその当時の最先端の考古学の成果をとりまとめた全集である。それに執筆されるようなスゴイ先生が自分の学校におられる! 考古学を学びたいと思っていながら、何をどうして良いかわからなかった高校生の私にとっては、これは大きな福音だと感じ取られたのである。
 さっそく私は、清水先生が「根城」とされていた社会科準備室のドアを叩いた。間近に見る先生は、トレード・マークの見事な禿頭と、度の強い近眼鏡から放たれる光が強烈な印象を与えた。小さな声でオドオドと「ボク、考古学がやりたいんです」と述べる私に対して、先生は持ち前の皮肉っぽい笑みを浮かべながら、無言で私のことを観察しておられたことであった。
 私の高校の「世界史」の授業は、私の高校では「世界史」は2年と3年の必修科目であり、担当として清水先生ともうひとりの先生の2人がおられた。ただ、2年生の時の私の学年の「世界史」はもうひとりの先生が担当されており、申し訳ないことながら私はこの先生の授業にはほとんど興味を持つことができなかった。しかし、どういうわけか、私が3年生になった時に担当教員の組み替えがあり、清水先生の「世界史」を受講できることになったのである。

 3年になって初めての「世界史」の授業で、清水先生は颯爽と教室に現れ、さっそくに授業を始められた。私は第一声からいきなり引きずり込まれた。目にもとまらぬ速いテンポ、ちょっと甲高いながら艶のある声、確信と信念に満ちた強烈な表現、ロシア語がポンポン飛び出し、ソヴィエト連邦(当時)をめぐる国際情勢の裏話もはさまる。それらが先生持ち前の情熱とともに「立て板に水」のように流れ出し、その中で歴史上の人物や事件が生き生きと躍動するのである。一方では脱線するととめどもなく、教室を爆笑の渦に叩き込むかと思えば、時にはホントかウソかわからないような話を交えて生徒をケムにまく。それはまさに、変幻自在の魔術のような講義であった。これは只者ではないと感じた私は、次の時間からは密かにテープレコーダーを持ち込み、一年間の先生の授業をすべて録音した。本来ならばこういうことはいけないのかもしれないが、かなり後になってから先生に「実は・・・・」と白状したら、先生は呆れたような嬉しいような表情を浮かべて「君はそんなことしてたのか」と言われたから、先生の事後承認が得られたのだと思っていいだろう。このテープはいまも私の宝物のひとつとして大事に保管している。ともあれ、私も今にいたるまでさまざまな先生方の授業や講演を聞いてきたが、清水先生の授業はその中でもトップ・ランクの「名調子」であったことはまちがいない。
 かなり後のことであるが、清水先生は短期間ではあるが同志社大学の非常勤の講師として授業を担当された。それを受講した後輩から「山田さんの講義の喋り方はこの先生の直伝だということがわかりました」と指摘されて驚いたことがある。確かにそうかもしれないのであるが、私など、師匠の話術に追いつくにはまだまだ修行が足りない。

 清水先生が同志社香里高校で展開されていた「世界史」の授業は、今思い出してもスゴイものであった。なにせ、最初の時間は「歴史とは何か」、2時間目は「歴史学の方法論」なのである。それは、確かに高校のレヴェルをはるかに突き抜けていた。その実例として、清水先生のテストの問題の一例を紹介しておこう。
 「(1)Europeの歴史は、政治的にみれば、統一と分裂の二つの対立の間を揺れ動いているともいえる。西欧絶対王政の展開は、まさにそのようなEurope的分裂化の極端な表現である。他国の富と繁栄は自国の貧と衰退と考える。従って他国の犠牲において己の国の独自性と独立主権を図ろうとする。そこで西欧Absolutismの時代とはどういう時代であったか、をスペイン、英、仏について詳述せよ。(60点)
 「(2)1618~48年の三十年戦争は、政治的にどのような影響を神聖ローマ帝国に与えたか。又、大きな観点から考えて、Europeや世界の歴史上、どのような意義をもつ戦争と解釈されるか。(40点)」
 ちなみに、このテストでの私の点数は97点だった。最初は百点をつけていただいたようなのだが、一字だけ漢字の間違いをしてしまっており、それで百点が消されて97点になっていた(´Д` )。残念!(この時の97点は、私が高校のテストで採った最高点であった)。

 なお、どなたかは知らないが、同志社香里の卒業生で「与太郎」と名乗る方が、ブログで清水先生の思い出話を書いておられる(「20051112  落第生は二度眠る ~清水睦夫先生講義録~」)。その中で「与太郎」氏は「清水先生は、めったに笑わない。しかし、与太郎の人生経験によると、ユーモアやジョークを愛する人たちが、すべて笑顔を絶やさないわけではない。むしろ、ふだん気むずかしい表情のほうが効果的なのだ。清水先生は、あまり気乗りしない顔つきで教室にあらわれる。ほんとうは、もっと研究に専念したいのだが、愚かな生徒どものため、しぶしぶ教壇に立っているのだ、というふうにも感じられる。つまり、生徒の機嫌を取るような態度ではない。お前たちが教わりたいなら、わたしの授業を聞け、さもなくばバカのままで生きろ、というふうに感じられる」と述べられている。なるほど、確かにそうだったな、と納得。

 先生の授業の中でユニークなのは、教科書に書いてある「通説」をことごとく否定していくことである。「ローマ帝国の東西分裂? そんなものは認めません!」、「ルネッサンス? ナンセンス!」、「新大陸の発見? バカも休み休みいいなさい!」といった調子である(こんな破天荒な講義が許されていたのだから、当時の同志社香里高校というのもなかなかに大した学校だったと思う)。さすがに頭の中がクエッションマークでいっぱいになった私は、休み時間に先生のところに行って「今の授業で言われたこと、どういうことなんですか?」と質問してみた。しかし、先生は皮肉な笑みを浮かべはしたものの、言を左右にするだけでその理由を教えてくれないのである! 狐につままれたような気になった私は、仕方ないので高校の図書室でいろんな本をひっくり返すが、先生のいうようなことはどこにも書いていない。そこで今度は京都府立図書館に行って手当たり次第にヨーロッパ史の本を手にとってみる。しかし、そのほとんどには、やはり先生のいうことは述べられていないのである。途方にくれた私であったが、最後に梅田良忠編『東欧史(世界各国史13)』(山川出版社、1958年)という本に出会った。この本はまったくユニークな内容で、私はこれを読んでやっと清水先生の言われることを理解することができたのでる。そうして、この本の目次を見ると、清水先生が著者のひとりだったのである(担当項目はブルガリアとユーゴースラヴィア)。なるほど、と得心がいったことであった。なお、この本の編者の梅田氏は関西学院大学教授で古代学協会の初代理事長、また、古代の部分は角田文衞先生の執筆である。
 しかし思い返してみると、もしこの時、先生が最初っから「それは、これこれこれこれこういう理由で、私はこういうふうに言ったんだよ」と教えてくれていたら、私は逆にそれ以上調べることをしていなかったかもしれない。それが、ああいうふうに突き放されたことによって、逆に自分で調べに調べて、納得いく結論にたどり着くことができたのである。要するに先生は「知りたいことがあるのならば、まずは自分で調べてみよ!」ということをいいたかったのであろう。一見するとぶっきらぼうに見えながら、実はこれは見事な教育方法だったといわねばなるまい!

 このブログで以前にも書いたことがあるが、しばらくすると私は、清水先生から、古代学協会の機関誌『古代文化』への寄稿論文の原稿を平安博物館に届けることを頼まれるようになった。郵送すれば済むことなのであるが、それをわざわざ私に命じられるのは、平安博物館とのつながりを作ってやろうという先生ならではのお気持ちだったのだと思う。そうして改めて訪ねてみた平安博物館は、高校生の私にとってはまさに見上げるような学問の殿堂であった。その後かなりの時を経て私が平安博物館に就職したことは、清水先生の御厚情が巡り巡って実を結んだのだと思っている。

 清水先生の学問的業績としては、『スラヴ民族史の研究』(東京、山川出版社、1983年)『ビザンティオンの光芒』(京都、晃洋書房、1992年)(この著書によって先生は1992年に立正大学より博士 (文学)の学位を取得されている)の2冊の単著にまとめられているほか、前述の『世界考古学大系』所収論文、「北方の開拓民」(『ビザンツとスラブ(世界歴史シリーズ第8巻)』所収、東京、世界文化社、1969年)、「ユダヤ教の遊牧民国家―『ハザール汗国』―」(『古代文化』第38巻第8号掲載、京都、古代学協会、1986年)、「東スラヴ族の国家的統合―古代ルーシでの『王権』成立の経緯―」(『古代王権の誕生IV「ヨーロッパ編」』所収、東京、角川書店、2003年)など、数多い。また、『古代文化』誌に連載された「ソヴィエト東欧紀行(1)~(13)」(『古代文化』第27巻第7・8・10~12号、第28巻2・4・5~9号掲載、京都、古代学協会、1975・76年)は、単なるエッセイにとどまらない学術的価値をもつものだと思う。また、おそらく他所ではほとんど知られていないだろうが、先生は勤務先である同志社香里中・高校のPTAの会誌である『香里の丘』にもしばしば珠玉のエッセイを寄稿されている。私の手元に残っているだけでも、「歴史の上の日曜日」(『香里の丘』第29号掲載、〈寝屋川〉、同志社香里中・高等学校PTA、1968年)、「あだ名考」(第47号、1974年)、「キエフの憶い出」(第49号、1974年)、「ソヴィエトの本屋」(第51号、1975年)、「『ソ連の脅威』はほんとうにあるのか(?)(1)(2)」(第70・71両号、1981・1982年)、「偶感―語学学習とカツラ」(第63号、1979年)、「『故きを温ねて新しきを知る』(上)」(第75号、1983年)、「阿呆」(1992年)といったものがあり、それぞれが先生ならではの視点から述べられていてほんとうに面白い。

 清水睦夫先生、高校生の時に先生に出会うことができたことは、私にとっては生涯の幸福のひとつでありました。先生からは、学問の素晴らしさ、そして、それに向かい合う場合の心構えを教えていただくことができました。ほんとうにありがとうございました。感謝とともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2017.01.15

遅ればせながら謹賀新年、の巻

Img_6212_2(←京都駅前に改めて設置された平安京羅城門1/10復元模型と、背景の京都タワー)

 遅ればせながら、皆様、あけましておめでとうございます。

 先日も書きましたが、とにかく散々の年末年始でした。今は、やっと机に向かうことや歩くことは可能になったのですが、まだ右脚は90度までは曲がらず、歩くのも杖を頼りのヨチヨチ歩きということになります。普通ならば5分で歩けるところが15分かかってしまうという体たらくですので、行動範囲は最低限ということになってしまいます。まったく情けないことです。

 昨年の「やったこと」はデータだけ提示したため、ちょっと補足しておきましょう。

 森浩一先生の『著作集』全5巻が完結いたしました。私も編集委員のひとりでしたので、完結はとっても嬉しいことです。生前の森先生から受けた学恩に対して、万分の一かもしれませんがご恩返しができたのでは、と思っています。年末には森先生の奥様の森淑子先生をお招きして、編集委員で「打ち上げ」をさせていただきました。
 森先生は後年になればなるほど、自らの学説を一般向けの著書やシンポジウムで発表されることが多くなりました。そうした書物は現在でも入手可能なことが多い。編集委員会で議論を重ねた結果、今回の著作集では、森先生が初期に書かれて、現在では入手困難となっている論文を主として編纂することにしました。私が主担当しました第3巻「渡来文化と生産」を例にあげますと、「古墳出土の鉄鋌について」(1959)、「和泉河内窯の須恵器編年」(1958)、「古代産業―漁業」(1964)といった論文は、専門の研究者であっても見ておられない方が多いのではないでしょうか。そうしたところに改めて光をあてることができたことは、「森古代学」の再評価につながると確信しています。

 仁木宏・山田邦和(編)『歴史家の案内する京都』と、桃崎有一郎・山田邦和(編)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』「日本古代都城における複都制の系譜」「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」については以前に触れましたので、そちらを参照してください。

 「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」は、三条通(寺町通~新町通の間)の地域振興に力をつくしておられる京の三条まちづくり協議会の20周年の記念出版に際して依頼されたもの。この協議会には、私の「古巣」である京都文化博物館も多いに協力されているので、その御縁からだと思います。

 「クルマについての研究メモ」は、2012年から2015年まで継続した京樂真帆子さんを代表とする科研『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』の報告書に書いたもの。私は連携研究者として参加させていただいたのだが、2012年に病気をしてから2年くらいは活動が制限されたため、あんまり成果があげられなかったことは悔まれる。ただ、報告書になんにも書かないのは悲しいので、この研究会で勉強させていただいたことの覚書だけを作っておいた。

 「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」は、私としてはとっても変わったテーマ。2008年に、山中章さんの科研のプロジェクトで2週間だけ、ヴェトナム・タンロン皇城跡の一部の発掘調査にたずさわることができました。その時のささやかな成果がこれ。もちろん私はヴェトナム考古学の専門家ではないし、ほんのわずかな時間だけ現地にたったにすぎないから、私がヴェトナムについて語るのは僭越の誹りを免れないことは承知しています。その当時にはヴェトナムを再訪して研究を深めるつもりだったのですが、いろんな事情でそれはかなわないことになってしまいました。逆に、それだからこそ、たとえささやかであっても学んだことをきちんと書き残しておきたいと思っていました。たまたま、佐々木達夫先生が『中近世陶磁器の考古学』というシリーズ論集を編集されるということで、私も誘っていただきましたので、佐々木先生にお願いしてこのテーマでまとめさせていただくことにしたのです。

 「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」は、2015年11月8日の「日本史研究会創立70周年記念講演会」でやらせていただいた記念講演の記録です。ここに掲載した「近畿地方中央部の大型古墳と陵墓比定」の表は、お役にたてていただけるのではないかと思ってます。

 「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」は、東海学シンポジウムの講演。去年は保元・平治・治承=文治・承久の乱という中世初期でやって、今回は中世末期。ハチャメチャに見えるが、テーマの設定はシンポジウム事務局からの御指名なので、私の責任ではありません。ただ、信長について考えてきたことをまとめる機会となったのは私としては有意義でした。ちょっと変わったことも言わねば、ということではありませんが、学界で議論の的となっている信長の「三職推任」問題に関して私見を述べました。信長が最終的に何になろうと思っていたか、という問題ですが、学界ではこれは征夷大将軍とする説が多い。あえてそれに異を唱えるというわけではありませんが、「信長の望んだ職は関白だった」という仮説を考えてみました。これ、今まで誰もこんなことは言っていないので突飛に聞こえるとは思うのですが、十分に成立の余地はあると思っています。

 あと、学会報告では、三月の条里制・古代都市研究会大会で「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」をやらせてもらいました。これは、今年の三月に出版される『条里制・古代都市研究』に論文化できるはずです。

 2016年には、共編著、論文、そのほかの著作、学会報告を含めると、数量だけはなかなかのものになりました。もちろん、たまっていたものが偶々まとまって出版されたというだけですし、内容は正直いって玉石混交ですのであまり自慢にはなりませんけれども、これだけの数を出せたということはとにかく嬉しいことです。さて、今年もこういうペースが続けられますかどうか・・・・

 ともあれ、皆様、今年もよしなにお願い申し上げます。

2016.12.31

2016年、やったこと、の巻

12月13日に、自分の不注意により職場で右足の大腿部前側を強打してしまった。幸い、骨には異常はなかったのであるが、それでも打撲傷と内出血がひどく、歩行困難という体たらくで、パソコンに向かうこともできない。医者に聞くと、これはもう、安静にしながらいわゆる「日にち薬」しかないそうである。加えて、12月28日には咳と高熱が出て、普通の風邪かなと思ったら、インフルエンザだそう。最悪である。おかげで、忘年会もほとんど欠席、12月18日にやった平安京・京都研究集会も欠席、さらには正月早々に予定していた沖縄行きも中止せざるをえなくなってしまった(泣)。

【共編著】
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:中村潤子・山田邦和・坂靖〉『森浩一著作集 第3巻「渡来文化と生産」』(東京、新泉社、2016年4月15日)、全333頁
 ~◇山田邦和・坂靖・中村潤子(著)「解題」310~330頁(山田著︰「無題(「解題」の総論)」310・311頁、「和泉河内窯の須恵器編年」313~315頁、「大阪府南部窯址資料による須恵器編年略表」316・317頁、「南海道の古代窯業遺跡とその問題」318・319頁、「飯蛸壺形土器と須恵器生産の問題」319・320頁、「古代産業-漁業」321・322頁、「製塩についての二つの覚書」322・323頁、「生道塩」323・324頁)
■仁木宏・山田邦和(編著)仁木宏・山田邦和・中島信親・山本雅和・梶川敏夫・京樂真帆子・大村拓生・杉本宏・野口実・河内将芳・福島克彦・鍛代敏雄・森島康雄・中村武生・坂口満宏(著)『歴史家の案内する京都』(京都、文理閣、2016年5月20日)、全244頁
 ~◇仁木宏・山田邦和(著)「はしがき」3・4頁、「あとがき」242頁
 ~◇山田邦和(著)「1太秦・嵯峨野の古墳群」12~21頁、「7白河」70~81頁、「12清水坂と鳥部野」109~115頁、「13中世都市嵯峨」118~125頁
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第4巻編集担当:前園実知雄・門田誠一〉『森浩一著作集 第4巻「倭人伝と考古学」』(東京、新泉社、2016年8月15日)、全339頁
■桃崎有一郎・山田邦和(編著)、桃崎有一郎・髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・山田邦和・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人(著)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4、京都、文理閣、2016年10月30日)、全434+105+2頁
 ~◇山田邦和(著)「東山中世都市群の景観復元」254~269頁
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第5巻編集担当:今尾文昭・鋤柄俊夫・青柳泰介〉『森浩一著作集 第5巻「天皇陵への疑惑」』(東京、新泉社、2016年12月15日)、全339頁


【論文】
■山田邦和(著)「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」(洋泉社編集部(編)、仁藤敦史・宮瀧交二・福尾正彦・天野末喜・西田孝治・宮崎康雄・岸本直文・石坂泰士・西光慎治・田中聡・黒羽亮太・山田邦和・鍛冶宏介・福島幸宏・上田長生・高木博志・新納泉・宮代栄一(著)『古代史研究の最前線 天皇陵』、東京、洋泉社、2016年1月23日)、全255頁中の156~167頁
■山田邦和(著)「クルマについての研究メモ」(京樂真帆子(編者)、京樂真帆子・岩間香・中川永・下村雄太・今正秀・山田邦和・千本英史(著)『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』(2012年度~2015年度科学研究費補助金〈基盤研究(C)〉研究成果報告書〔研究課題番号︰24520764〕)、彦根、滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科、2016年3月31日)、全105頁+付属CD-R中99~103頁+図版データ(付属CD-Rに所収)
■山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(記念誌編集委員(森本浩行・西村祐一・内藤郁子・皿倉のぼる)(編集)、山田邦和・笠原一人・篁正康・大塚活美・西山剛・南博史ほか(著)『京の三条まちづくり―京の三条まちづくり協議会20周年記念誌―』、京都、京の三条まちづくり協議会、2016年3月吉日)、全64頁中の6~13頁
■山田邦和(著)「日本古代都城における複都制の系譜」(仁木宏(編)、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義(著)『日本古代・中世都市論』、東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、全336頁中の43~82頁
■山田邦和(著)「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」(佐々木達夫(編)、佐々木達夫・重根弘和・桐山秀穂・大橋康二・扇浦正義・畑中英二・鹿島昌也・中野晴久・小栗康寛・関根達人・山田邦和・佐藤由似・真道洋子・金田明美(著)『中近世陶磁器の考古学』第4巻、東京、雄山閣、2016年10月25日)、全298頁中の185~205頁
■山田邦和(著)「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」(『日本史研究』第647号、京都、日本史研究会、2016年7月20日)、21~51頁
■山田邦和(著)「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」(『第4回東海学シンポジウム2016 いくさの歴史II―継体と信長に絞って―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2016年10月13日)、全150頁中の97~130頁

【その他の著作】
■京都新聞出版センター(編)池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・高野澄・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・山田邦和(著)『第12回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2016年6月10日)、本文255頁
 ~◇無署名(実際は山田著)「3級1(4)」9頁、「3級1(5)」10頁、「3級1(6)」11頁、「2級1(4)」107頁、「2級1(5)」108頁、「1級1(3)」203頁
■同志社女子大学史料センター(編)、藤原孝章・平光陸子・飯田毅・河江優・川田隆雄・神田知子・松野浩之・三橋美和・森山由紀子・玉田佳子・山田邦和・余田義彦・大島中正・北村博子〈2016年度史料センター運営委員〉『同志社女子大学史料センター第21回企画展示「新たなる息吹 同志社女子大学京田辺キャンパス30年の歩み」展示目録』(京都、同志社女子大学史料センター、2016年11月18日)全25頁
 ~◇無署名(実際は山田著)「Ⅰ 京田辺の歴史的環境」2~6頁、「II 京田辺キャンパスに移転・設置された学部学科~5 現代社会学部社会システム学科」12・13頁
■福原圭一・山口博之(討論司会)、村井章介・高橋一樹・向井裕知・和田学・田中聡・宮武正登・阿部来・田中暁穂・松山充宏・水澤幸一・伊藤正義・中島圭一・山田邦和・五味文彦(討論発言)「上越大会全体討論『中世日本海の地域圏と都市』」(中世都市研究会〈編〉、市村高男・井上寛司・小島道裕・木原光・松本美樹・長澤和幸・中司健一・村上勇・五味文彦・高橋一樹・水澤幸一・田中聡・向井裕知・和田学・松山充宏・田中暁穂・玉井哲雄〈著〉『日本海交易と都市』所収、東京、山川出版社、2016年8月20日)、273~301頁(山田発言︰297頁)
■山田邦和(著)「歴史ニュースを読み解く~指月伏見城の発掘調査」(『土車』第129号、京都、古代学協会、2016年6月20日)、5頁
■Kunikazu Yamada「The Comparative study of Ancient Cities」WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii(Editing)(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班〈編集〉)"The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts", Kyotanabe(京田辺), WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局), 2016年8月28日), p.130


【学会報告】
◯山田邦和(報告)「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
◯吉野秋二・家原圭太(座長)、山田邦和・古閑正浩・江口桂・佐藤泰弘(パネラー)、「(大会報告)質疑・討論」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
◯山田邦和(報告)「平安京と天皇陵」(古代学研究会(主催)「古代学研究会4月例会」、大阪、アネックスパル法円坂 A棟3階第1号室、2016年4月16日)
◯今尾文昭(司会)、陵墓関係16学協会運営委員会(趣旨説明)、山田邦和・後藤真・高木博志(発話・パネラー)「パネルディスカッション『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来―箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称」、神戸、神戸市勤労会館 講習室308、2016年8月7日)
◯Kunikazu YAMADA(山田邦和)「世界文化遺産と現代都市」へのコメント("Comment for World Cultural Heritage and the Modern City")(Public Lecture2:World Cultural Heritage and the Modern City〈「第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」〉, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto, Kambaikan Hardy Hall in Doshisya University〈同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール〉, 2016年8月29日)
◯Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada(Organisers)"T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities"(The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto, RY107 Ryoshinkan, Doshisya University〈同志社大学良心館RY107室〉, 2016年9月1日)
◯Kunikazu Yamada"The Comparative study of Ancient Cities"(Session T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto , RY107 Ryoshinkan in Doshisya University〈同志社大学良心館RY107室〉, 2016年9月1日)

【研究会における報告】
◯山田邦和(報告)「琉球王陵と日本の比較」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2016年2月研究会、京都、花園大学高橋康夫研究室、2016年2月10日)
◯山田邦和(報告)「古代比較都市史試論」(「前近代都市論研究会」例会、京都、キャンパスプラザ京都、2016年5月22日)
◯山田邦和(報告)「大型古墳と天皇陵比定」(同志社大学考古学実習室「定例研究会」、京都、同志社大学考古学実習室、2016年6月10日)

【講演】
◯山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、京都、京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)
◯山田邦和(講師)「織田信長と〈京都〉」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成28年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2016年3月8日)
◯山田邦和(ガイド)「【東山】考古学者とめぐる、愛憎渦巻く法住寺殿・平家物語の世界へ―法皇と愛した女性が眠る、東山の麓に誕生した広大な離宮―」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原、2016年5月21日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(1)保元・平治の乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年9月10日)
◯山田邦和(講師)「豊臣秀吉はなぜ将軍にならなかったのか」(シニア文化塾事務局〈主催〉平成28年度「シニア文化塾」後期講座〈歴史コース〉、大阪狭山、大阪府立狭山池博物館2階ホール、2016年9月13日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(2)治承・寿永の内乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年10月8日)
◯山田邦和(講演)「平安京の復元―模型製作から最新研究へ―」(京都アスニー「ゴールデン・エイジ・アカデミー」、京都、京都アスニー、2016年10月28日)
◯山田邦和(ガイド)「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」(『歴史家の案内する京都』出版記念ツアー)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈清水山古墳跡、天塚古墳、千石荘公園、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2016年10月29日)
◯山田邦和(講演)「伏見の桓武天皇陵を探る」(桃山同窓会〈主催〉「伏見連続講座」、京都、伏見区役所大会議室、2016年11月12日)
◯山田邦和(講演)「織田信長と京都」(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉第4回東海学シンポジウム2016「いくさの歴史II―継体と信長に絞って」、春日井、春日井市民会館、2016年11月13日)
◯山田邦和(講演)「いま面白い!京都の歴史―平安京を中心に―」(京都医療生活協同組合・中野眼科〈主催〉「2016年度組合員交流集会」、京都、聖護院御殿荘、2016年12月5日)
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◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(1)御土居・寺町・天正地割」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年1月8日)
◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(2)秀吉の朝鮮侵略と伏見城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年2月12日)
◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(3)(現地見学)ふたつの伏見城(指月城・木幡山城)跡」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、伏見城跡、2016年3月11日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(1)関ヶ原の戦い」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年4月8日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(2)徳川幕府の成立と二条城の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年5月13日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(3)(現地見学)二条城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、二条城、2016年6月10日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(1)(現地見学)東本願寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、東本願寺、2016年7月1日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(2)近世京都のルネッサンス」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年7月29日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(3)都の繁栄と大名屋敷」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年9月9日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(1)幕末の動乱の中の京都」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年10月7日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(2)禁門の変と徳川幕府の倒壊」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年11月11日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(3)(現地見学)木屋町通・河原町通の幕末史跡群」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、木屋町通・河原町通、2016年12月9日)
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◯山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年1月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)近つ飛鳥「梅鉢御陵」の謎―聖徳太子墓、敏達・孝徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年3月4日)
◯山田邦和(講座)「(3)平安京南郊 鳥羽の離宮の天皇陵―白河・鳥羽・近衛天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年3月25日)
◯山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の中期天皇陵―允恭・雄略天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年4月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)奈良時代の天皇陵―元正・聖武・称徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年5月27日)
◯山田邦和(講座)「(3)中世初期の内乱の時代と天皇陵―安徳、後鳥羽、土御門、順徳天皇陵など―」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年6月25日)
◯山田邦和(講座)「(1)奈良県橿原市の天皇陵―宣化天皇陵と欠史8代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年7月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)天皇陵と寺院の結合―平安時代前・中期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年8月26日)
◯山田邦和(講座)「(3)鎌倉時代後半の天皇陵―深草十二帝陵とその周辺」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年9月23日)
◯山田邦和(講座)「(1) 琉球王国の王陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年10月28日)
◯山田邦和(講座)「(2)仏堂となった天皇陵―平安時代中・後期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年11月25日)
◯山田邦和(講座)「(3)南北朝時代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年12月23日)
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◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(3)紫式部の生涯」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年1月15日)
◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(4)安倍晴明と平安京」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年3月4日)
◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(5)平安京の祭祀」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年3月18日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(1)白河法皇と院政の開始」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年4月15日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(2)院政期の白河」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年5月20日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(3)鳥羽殿」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年6月25日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(4)待賢門院と崇徳天皇」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年7月15日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(5)院政期の平安宮」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年9月16日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究2」「(1)関白忠通の闘い」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年10月21日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究2」「(2)保元の乱の勃発」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年11月19日)

【テレビ出演】
『京都・国宝浪漫』「平安遷都ミステリー~御霊信仰と古代の国宝」KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、山田邦和(監修)小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、山田邦和・釋真盛・井口忠男・川俣海雲・長宗繁一・出雲路敬栄(解説)、(KBS京都、2016年3月7日放送。BS11、2016年3月10日放送)
『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「京都歴史ミステリー 金閣寺の謎〜足利家100年物語」BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)、(BS-TBS、2016年5月13日放送)
『先人たちの底力 知恵泉』「明治の旅行家 イザベラ・バード」NHK(制作・著作)NHKエデュケーショナル(制作)、渡辺圭・田畑壮一(制作統括)、横山敏子(プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、近田雄一・市川紗椰・山本博文・ベルナール=デルマス、金坂清則・斉藤敏明・丹沢研二・山田邦和・入澤崇(出演)、(NHK Eテレ、2016年5月17日放送)

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