少しづつ、遠くへ、の巻
これまでは、行動範囲を近畿地方だけに自粛していたのであるが、少しづつ、遠くへ行くことにした。
5月31日(金)、この4月から装いも新たに公益財団法人となった古代学協会の理事会のために、東京。本当に、東京は久しぶりである。ウチの奥さんも、「付きそい」という名目でついてくる。やっぱり欲がでて、ちょっと早い目に京都を発して、東京国立博物館で開催されていた「国宝 大神社展」を見学。時間がないので駈け足になってしまったのが残念だが、寺院の宝物とはひと味もふた味も違った神社の文化財を堪能する。会議が終わったあとには、これもウチの奥さんのたっての希望で、銀座のバーで一杯だけ呑んでから、帰洛。しかし、銀座から東京駅まで行くのに方角を間違えてしまい、道に迷う。やっぱり、街路は東西南北に整然と通っているほうがいいな。
6月14日(金)には、T橋M明先生の提唱で最近始めた、小さな勉強会。林屋辰三郎先生の名著『京都』(岩波新書)をもういちど読み直してみよう、という会。林屋先生の凄さを再認識した上で、現在の研究状況からするとどこをどう訂正しなくてはならないか、を論じ合う。私は、林屋先生の提唱した「中世の京の町組」(同書149頁、いわゆる「『ロ』の字形街並」)は基本的なところで誤りがあると考えている(山田『京都都市史の研究』187〜194頁)ので、そのあたりを聞いてもらう。
6月16日(日)、大学の仕事で、名古屋。わが大学では年に数回、卒業生や在学生父母兄姉向けに各地で「同志社女子大学の集い」を開催し、本学についての理解を深めてもらっている。そこでは教員が分担して講演をすることになっているのだが、私はこの名古屋会場を担当させてもらうことにした。私のゼミの卒業生のひとりがわざわざ駆けつけてくれたのも嬉しい。講演のテーマは大河ドラマネタの「京都の近代化と同志社」。せっかくだから、同志社女子大学今出川キャンパスが公家の二条家跡地にあたることにスポットをあてる。授業以外の講演ということでカンが戻っているかを危惧していたが、なんとか無事にこなすことができた。そのあとのティー・パーティーでも、和気藹々の時間を過ごすことができる。
名古屋行きということで、これもせっかくだから、名古屋市博物館で開催の「中国 王朝の至宝」展を見学。神戸にもまわってきていたのだが、逡巡しているうちに終わってしまっていた。なんとなく、中国各地の文化財をつまみぐい的に集めてきたような展覧会だと思っていて足を運ぶことができなかったのである。しかし、実際にはこれは完璧に私の誤解であり、なかなかいい展覧会だった。中国の文明をひとつのものとしてとらえるのではなく、「北朝と南朝」とか「遼と宋」といった具合に、対立軸をつくって比較できるようにしているのはなかなかの見識といわねばなるまい。
昼食は、せっかくの名古屋なのだから、きしめん。古ぼけた小さな麺屋さんをみつけて、こういうところに穴場があるに違いないと確信して、入ってみる。しかし、期待はずれで、残念(>_<)。
なお、土生田純之さんが編集した『事典 墓の考古学』がでた。私も3つの項目を書かせていただいている。この仕事、病気の前に引き受けていたがズルズルと引き延ばしてしまっていた。あんまり迷惑をかけてはいけないので2012年4月になったら一気に仕上げようと決意していたのであるが、それが入院のために雲散霧消してしまっていたのである。もう諦めざるをえないかな、と思っていたが、編集部の御厚意でギリギリまで待っていただいたのである。これが私にとって、退院後の初めての仕事になった。入院中には、研究・執筆活動に復帰することはもう無理かもしれないと絶望したこともあったから、短いものではあっても原稿を仕上げられたというのは無性に嬉しかった。
【書いたもの】
■山田邦和「平安時代天皇陵の占地」「厚葬と薄葬」「院政期の天皇陵」(土生田純之編『事典 墓の考古学』所収、東京、吉川弘文館、2013年6月10日)、193〜196、210〜211、244〜245頁。
【しゃべったこと】
□「京都の近代化と同志社」(同志社女子大学〈主催〉「同志社女子大学の集い 2013(名古屋)」(於ヒルトン名古屋、2013年6月16日)。