2013.06.21

少しづつ、遠くへ、の巻

Img_0003(←名古屋市博物館)


 これまでは、行動範囲を近畿地方だけに自粛していたのであるが、少しづつ、遠くへ行くことにした。

 5月31日(金)、この4月から装いも新たに公益財団法人となった古代学協会の理事会のために、東京。本当に、東京は久しぶりである。ウチの奥さんも、「付きそい」という名目でついてくる。やっぱり欲がでて、ちょっと早い目に京都を発して、東京国立博物館で開催されていた「国宝 大神社展」を見学。時間がないので駈け足になってしまったのが残念だが、寺院の宝物とはひと味もふた味も違った神社の文化財を堪能する。会議が終わったあとには、これもウチの奥さんのたっての希望で、銀座のバーで一杯だけ呑んでから、帰洛。しかし、銀座から東京駅まで行くのに方角を間違えてしまい、道に迷う。やっぱり、街路は東西南北に整然と通っているほうがいいな。

 6月14日(金)には、T橋M明先生の提唱で最近始めた、小さな勉強会。林屋辰三郎先生の名著『京都』(岩波新書)をもういちど読み直してみよう、という会。林屋先生の凄さを再認識した上で、現在の研究状況からするとどこをどう訂正しなくてはならないか、を論じ合う。私は、林屋先生の提唱した「中世の京の町組」(同書149頁、いわゆる「『ロ』の字形街並」)は基本的なところで誤りがあると考えている(山田『京都都市史の研究』187〜194頁)ので、そのあたりを聞いてもらう。

 6月16日(日)、大学の仕事で、名古屋。わが大学では年に数回、卒業生や在学生父母兄姉向けに各地で「同志社女子大学の集い」を開催し、本学についての理解を深めてもらっている。そこでは教員が分担して講演をすることになっているのだが、私はこの名古屋会場を担当させてもらうことにした。私のゼミの卒業生のひとりがわざわざ駆けつけてくれたのも嬉しい。講演のテーマは大河ドラマネタの「京都の近代化と同志社」。せっかくだから、同志社女子大学今出川キャンパスが公家の二条家跡地にあたることにスポットをあてる。授業以外の講演ということでカンが戻っているかを危惧していたが、なんとか無事にこなすことができた。そのあとのティー・パーティーでも、和気藹々の時間を過ごすことができる。
 名古屋行きということで、これもせっかくだから、名古屋市博物館で開催の「中国 王朝の至宝」展を見学。神戸にもまわってきていたのだが、逡巡しているうちに終わってしまっていた。なんとなく、中国各地の文化財をつまみぐい的に集めてきたような展覧会だと思っていて足を運ぶことができなかったのである。しかし、実際にはこれは完璧に私の誤解であり、なかなかいい展覧会だった。中国の文明をひとつのものとしてとらえるのではなく、「北朝と南朝」とか「遼と宋」といった具合に、対立軸をつくって比較できるようにしているのはなかなかの見識といわねばなるまい。
 昼食は、せっかくの名古屋なのだから、きしめん。古ぼけた小さな麺屋さんをみつけて、こういうところに穴場があるに違いないと確信して、入ってみる。しかし、期待はずれで、残念(>_<)。

 なお、土生田純之さんが編集した『事典 墓の考古学』がでた。私も3つの項目を書かせていただいている。この仕事、病気の前に引き受けていたがズルズルと引き延ばしてしまっていた。あんまり迷惑をかけてはいけないので2012年4月になったら一気に仕上げようと決意していたのであるが、それが入院のために雲散霧消してしまっていたのである。もう諦めざるをえないかな、と思っていたが、編集部の御厚意でギリギリまで待っていただいたのである。これが私にとって、退院後の初めての仕事になった。入院中には、研究・執筆活動に復帰することはもう無理かもしれないと絶望したこともあったから、短いものではあっても原稿を仕上げられたというのは無性に嬉しかった。

【書いたもの】
■山田邦和「平安時代天皇陵の占地」「厚葬と薄葬」「院政期の天皇陵」(土生田純之編『事典 墓の考古学』所収、東京、吉川弘文館、2013年6月10日)、193〜196、210〜211、244〜245頁。
【しゃべったこと】
□「京都の近代化と同志社」(同志社女子大学〈主催〉「同志社女子大学の集い 2013(名古屋)」(於ヒルトン名古屋、2013年6月16日)。


2012.09.13

ひさびさの登学、の巻

120913_3
 9月12日(水)
 身体の状況は良好。主治医の先生から、9月末での職場復帰のお許しをいただくことができた。ここまで回復することができたというのが、まるで夢のよう。ありがたい限りである。

 先だって京都市の福祉事務所に行って、「身体障害者手帳」をいただいてきた。ランクは「第1級」。「第1級身体障害者」というと、たとえば肢体の場合だと自力での歩行不可能な人などが認定されるものであるのだが、私のように心臓の弁を人工弁(機械弁)に取り替えた場合には、日常生活にそう支障がなくても第1級認定となるのが通例だということである。とはいえ、かなり元気になってきているのに「第1級」というのは、なんだかとっても複雑な気持ちである。しかし、やはり自分の身体は健康人とは違うことになったのだ、くれぐれもそのつもりで生きなくてはならない、ということを自覚する。

 秋学期の打ち合わせをしなくてはならないので、大学に出かける。5ヶ月ぶりであるので、自分の本務場所であるにもかかわらず、ちょっと緊張する。身体障害者手帳の「効力」を試してみたが、市営地下鉄や奈良交通バスはそれぞれ割引になる(近鉄は、私の場合には割引に該当しないらしい)。それは大変ありがたいのだが、いちいち係員さんに手帳を提示しなくてはならないのはちょっとおっくうだな。まあ、文句を言ってはいけないが・・・。 なお、法令上、一定程度以上の規模の職場にはある割合の障害者の雇用が義務づけられているということで、私の場合も学校法人同志社のその枠にはいることになる。

 久しぶりの大学は新鮮。郵便物や配布物も山のようにたまっている。学部事務室を始め学内のあちこちを巡回して、ご迷惑をかけたお詫びと、心配していただいた御礼を申し述べる。まだ授業は始まっていないので先生方はあんまり出勤されていないが、学部長を始め、出会う先生方には御挨拶させていただく。中には、私が登学したことを聞きつけて、わざわざ私の研究室までお見舞いを言いにきていただける先生もおられる。ありがとうございます。最後は、学長先生と総務部長に御挨拶させていただき、話し込む。大学の役職に任じられていたにもかかわらず、ほとんど職責を果たせないままに投げ出すことになってしまい、本当に申し訳ない。しかし、学長先生からは暖かいお見舞いとねぎらいの御言葉をいただき、これも本当にありがたい。

 秋学期、復帰とはいえまだまだ慣らし運転の予定。自分自身でも、どこまでが身体の負担のボーダーラインとなるのかはわかっていない。かなり異例のことなのだが、とりあえずは必要最低限の授業だけを担当することから始めさせていただくことになる。学部長始め、配慮していただけた先生方、職員の方々に感謝。

 親しい友人である東京大学史料編纂所の高橋慎一朗さんからお見舞いのお手紙をいただいた。その中で、高橋さん考案の「四大方針」=「雨止むの法則」というのを教えていただく。「せらず、げず、けにならず、りをせず」というのだそうだ。ホント、そうだな。半年近くの間、病院と家に閉じ込められていて、自分がどんどん世間から取り残されているような気分を味わい、確かに焦っていた。しかし、高橋さんのいう通りだ。「雨止むの法則(全然関係ないですけれども、私の『日本中世の都市と王権都市』所収の「鴨川の治水神」という論文には、四条の「雨止地蔵」というのが出てきます)、これからの座右の銘にさせていただくことにしよう。

 先週には、シルクロード帰りの山中章さんがわざわざ拙宅にまでお見舞いに来てくださった。無信仰を標榜する山中さんであるのに、麦積山石窟、南郭寺、柄霊寺石窟、山丹大仏寺、腸液大仏寺、馬蹄寺石窟、大雲寺・・・と、行く先々の寺院でお線香をあげ、私の回復を祈っていただいたという。変わらぬ友情に、感謝。m(_ _)m


2011.09.24

夏季休暇終了、の巻

 Photo(←『月刊京都』722号〈2011年9月号〉に掲載された記事。行きつけの店を紹介してくれ、というので、迷ったあげく、子供の頃から親しんできた中華料理「鳳舞」の後身店「鳳泉」にした)

 9月21日(水)
 22日から秋学期授業開始。今年度秋学期の授業(特記なきものは同志社女子大学現代社会学部)は下記の通りで、やっぱり10コマ(>_<)。
〈月〉4講時「考古学特論」(同志社女子大学大学院文学研究科)、5講時「博物館概論」、7講時「日本史」(同志社大学文学部)
〈火〉3講時「卒業研究」、4講時「博物館学各論A」、5講時「博物館実習」
〈水〉3講時「博物館概論」
〈木〉2講時「応用演習」、3講時「史跡・文化財論」、4講時「考古学I」
〈金〉朝日カルチャーセンタ−、京都新聞文化センター、中日栄文化センターなど出講、その他


2011.03.14

福島の学生の無事確認

同志社女子大学現代社会学部社会システム学科山田邦和ゼミのみなさんにお知らせします。

山田ゼミ4回生で、福島県出身のWMさんの無事が確認できました。安堵しました。彼女自身は現在、福島県内の別の町におられますが、元気だということです。彼女のご実家も被害を免れたようです。ただ、東北地方の交通機関が寸断されていますので、彼女が京都に戻ることができるかどうかは現在のところ不確定です。

皆さんも、災害情報を注視していてください。

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また、同じく福島県のHさんの無事も確認されました。


2009.04.13

授業開始、の巻

P1110681(4/12、またまた神戸でペキニーズ・オフ。左はマック、右は親戚犬の大ちゃん)
新年度にはいって、今日から授業。

今年度春学期の授業(特記なきものは、同志社女子大学現代社会学部)
〔月〕3講時 同志社大学大学院文学研究科「考古学特講I」
   4講時 同志社女子大学大学院文学研究科「考古学特論」
   7講時 同志社大学「日本史(1)-101」
〔火〕2講時 「卒業研究」(4回生ゼミ)
   4講時 「博物館学各論」
〔水〕2講時 「基礎演習」(1回生ゼミ)
   3講時 「専門基礎演習」(2回生ゼミ)
〔木〕2講時 「応用演習」(3回生ゼミ)
   4講時 「考古学I」

 昨年は春学期も「博物館概論」があったが、今年からこれは秋学期になった。追加は「博物館学各論」。これは私もまったく初めての担当なので、授業の準備にオオワラワである。それと、今年から変更になったのは、同志社女子大学で、従来の学芸学部英語英文学科・日本語日本文学科が表象文化学部に再編され、今出川キャンパスに移転したこと。これにともない、大学院文学研究科も今出川キャンパスに移った。これが何の関係があるかというと、私も今出川キャンパスで授業を担当せねばならない、ということである。それから、同志社大学大学院の「考古学特講I」は、同大学のMK教授がサバティカルとなるので、その代役である。調整したあげく、月曜日は「今出川の日」とすることにした。同志社女子大学と同志社大学の今出川キャンパスをいったりきたりすることになる。お隣同士とはいえ、移動は小走りだな・・
 
【書いたもの】
◎山田邦和「角田文衞博士の古代学」(『古代文化』第60巻第4号掲載、京都、古代学協会、2009年3月)、5〜7頁。
◎山田邦和「求めよ、さらば与えられん」(『Chapel』第14号掲載、京都・京田辺、同志社女子大学宗教部、2009年3月)、17〜19頁。
◎山田邦和「平安京と京都」(地球の歩き方MOOK『京都の歩き方』所収、東京、ダイヤモンド・ビッグ社、2009年3月)、134・135頁。
◎山田邦和監修、黒澤達矢イラスト「鳥瞰:平安京」(歴史群像シリーズ特別編集『最新古代史論』所収、東京、学習研究社、2009年4月)、13頁。
◎山田邦和「京都で学ぶ歴史」(『Vine』Vol.50掲載、〈京田辺〉、同志社女子大学、2009年4月)、14・15頁。
◎山田邦和「最終回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol.8掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、2009年4月)、17頁。
【インタビュー記事】
○「京都・洛中 平安京へ旅しよう—同志社女子大学教授・山田邦和先生と歩く—」(地球の歩き方MOOK『京都の歩き方』所収、東京、ダイヤモンド・ビッグ社、2009年3月)20・21頁
【しゃべったこと】
□「伏見城—天下人終焉の地—」(「楽々キャンパス」、於同志社大学今出川キャンパス、2009年3月10日)
□「京都を愛する」(京都市職員研修センター 平成21年度「京都市職員研修」、於京都会館会議場、2009年4月1日)
□「藤原種継暗殺事件—長岡京から平安京へ—」(ラボール学園〈京都勤労者学園〉「日本史講座—検証・京の事件簿(古代・中世)—」、於同学園、2009年4月6日)


2008.04.02

京都市の新入職員研修、の巻

P10603514月1日(火)
 新年度が始まった。とはいっても、大学は明日から。
 今日は、京都会館会議場にでかける。京都市職員研修センターから、平成20年度「京都市職員研修」の講演を依頼されたのである。この仕事、一昨年もやったことがあるので、再登板ということになる。題名は、「京都・歴史から未来へ」とする。
 会場に入ると、スーツ姿の新入職員が2百数十人、居住まいをただしておられる。皆さん、初日ということで緊張しているのがよくわかる。私が演壇に立つと、号令一荷「起立!礼!着席!」となるのがなんとも恥ずかしい限りである。ふと思いついて手をあげてもらうと、過半数は京都以外の出身者だという。ともあれ、皆さん、難関を突破して京都市の職員になったのだから、がんばって仕事して京都市をより住みやすい街にしていってくださいね。
 講演おわって、ぶらぶらと白川の川岸(写真)を歩きながら帰る。例年になく肌寒い4月1日だが、桜はかなり咲いており、ちょっとしたお花見気分になる。


2007.09.30

秋学期の授業開始、の巻

 今週から、授業開始である。
 本年度秋学期の授業(特記なきものは同志社女子大学現代社会学部)。
(月)2講時【同志社大学】「シルクロード」(オムニバス講義)
   3講時「博物館概論」
(火)4講時【花園大学文学部】「京都学概論」
   5講時【花園大学大学院文学研究科】「日本史学演習」
(水)2講時【同志社女子大学大学院文学研究科】「考古学特論」
(木)2講時「応用演習 II」(3回生ゼミ)
   3講時「史跡・文化財論」
   4講時「考古学 II」
(金)6講時【同志社大学文学部】「日本史」

 最近の大学は、春学期と秋学期とが独立した授業になる「セメスター制」になっていることが多い。花園大学では春学期と秋学期をセットで受講する不完全なセメスター制だったのだが、同志社女子大学は完全なセメスター制を採用している。
 まったく新しい授業は、木曜日の「史跡・文化財論」。私の赴任にともなって、同志社女子大学としては始めて開設することになった科目である。他の大学を含めても、こういう名前の講義は珍しいかもしれない。ただ、私にとっても始めてだけに、準備が大変。文化財保護法とか、史跡整備とか、城郭復元とか、とにかくデータをせっせとパワーポイントに落とし込んでいった。開いてみると、結構な数の受講生がいる。はてさて、ご期待に沿えるかどうか?


2007.08.17

天橋立、の巻

8月17日(金)
Amanohasidate
 丹後の宮津へ行く。天橋立世界遺産登録可能性検討委員会の第3回の本会議、これまでは京都市内でやっていたが、やはり現地開催を、ということで、天橋立のすぐそばの旅館で開催することになる。昼前に現地入りをして、智恩寺を見学して、いったん食事。それから、バスに乗せてもらって、籠神社、成相寺、パノラマ展望台、大内峠一字観、と廻る。
 15時前、旅館に戻って、本会議。密度の濃い議論を重ねて、ようやく、報告書の段取りまでができあがる。果たして世界遺産登録にこぎつけるかどうかは不確定であるが、とにかく、駆け足でここまで来た。

 さて、明18日から25日まで、中国・吉林省にでかけます。念願の、渤海の都・上京龍泉府の遺跡なども見学できるはずです。したがって、ブログ更新は25日以降になります。


2007.04.04

同志社女子大学着任、の巻

 各 位
                         2007年4月1日
 拝啓  時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。いつも、「平安京閑話」にお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
 さて、               私儀、  
本日、同志社女子大学現代社会学部社会システム学科に着任いたしました。花園大学在任中に頂戴いたしました御厚情に厚く御礼申し上げます。新しい職場では、同学科の京都学・観光学コースの教育を分担するとともに、博物館学芸員課程を担当いたします。特に、博物館学芸員課程は同大学としては始めての設置となり、その創設にたずさわるという重責をひしひしと感じております。新しい環境のもと、教育と研究とに全力でとりくんでいく所存でおりますので、今後ともなにとぞよろしく御指導御鞭撻賜れますようお願い申し上げます。
 略儀ながら、ブログの場をお借りして、皆様にご挨拶申し上げます。

                  同志社女子大学現代社会学部教授 山田邦和


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 2007年4月2日(月)
 同志社女子大学の入学式に参列する。場所は、同志社の今出川キャンパスのシンボルである赤煉瓦の「栄光館」。ここに足を踏み入れるのは、私が博士号をいただいた時以来である。そうだ、あれからもう10年になるんだ。式はもちろんキリスト教。オルガン演奏と賛美歌。これまでは花園大学の仏教色にどっぷりと浸かっていたので、いささかカルチャーショックである。
 夕方、花園大学に行く。恒例の、新旧教職員の歓送迎会が開かれるのである。食堂で待っていると、私の後任として着任された、高橋克壽准教授(元・奈良文化財研究所主任研究官)が登場される。埴輪などの古墳時代の研究で著名な研究者である。私としては、全幅の信頼をおいて後事を託せる後継者に恵まれたことになる。ややもするとポスト削減の嵐が吹き荒れる大学業界の中で、これほど幸せなことはない。
 さらに、朗らかな笑顔とともに学長老師が御登場。私は、老師の隣席に座らせていただき、いろいろとお話を伺うことができる。宴が始まる。私は、退職者を代表して挨拶を述べることになる。いろんな教職員の方から、ビールをついでいただく。皆さん、本当に、お世話になりましたm(_ _)m。
 1次会が終わったら、余ったワインやお酒を芳井敬郎副学長の研究室に持ち込んで、例のごとく2次会。だんだん酔っぱらって、呂律が回らなくなる。芳井先生とはもう30年来の付き合いである。私が花園大学に職を得ることができたのも、先生のご尽力の賜物だった。そして、この8年間、芳井先生には本当にお世話になった。いくら感謝しても、感謝しきれるものではない。一足先に帰宅される先生を見送ろうとすると、とたんに感情がこみ上げてきた。涙が次から次へとボロボロとあふれて、止まらなくなる。
 3次会は、福島恒徳教授、松田隆行准教授、師茂樹専任講師、高橋准教授とともに、大学近くの呑み屋。福島・松田・師の各先生は、これまで花園大学で苦楽を共にしてきた親しい仲間たちである。やはり、完全に呑みすぎとなる。

Douzyo(写真: 同志社女子大学京田辺キャンパス)

 2007年4月3日(火)・4日(水)
 学校法人同志社(もちろん、同志社女子大学はこの傘下校)の「入社式」。なんだか会社員になるようだが、同志「社」だから「入社」なのである。同志社大学今出川キャンパスにでかけて、他の傘下校の新入教職員とともに、理事長から辞令を頂戴する。これで、正式着任である。

 私の所属は、同志社女子大学の現代社会学部社会システム学科。一見、私とは何の関係もない学科に見えるが、ここには「国際理解コース」「ビジネスマネジメントコース」「ライフマネジメントコース」「法システムコース」と並んで、「京都学・観光学コース」が設置されている。私の職務のひとつは、この「京都学・観光学コース」の教育を分担することである。「京都学」となると、これは確かに私の分野である。
 さらに、私に与えられた主要な職務は、新設の博物館学芸員課程を担当することである。ひとつの課程の創設にかかわり、それを軌道に乗せるということはかなりの大仕事になるが、やりがいがあることも確かである。とにかく、気負わず、じっくりととりくんでいくことにしたいと思う。4日には、主たる勤務地となる同志社女子大学京田辺キャンパスへ「初出勤」。


2007.03.31

花園大学退任、の巻

 各 位
                         2007年3月31日
 拝啓  時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。いつも、「平安京閑話」にお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
 さて、               私儀、  
本日をもちまして花園大学文学部教授を退任させていただくこととなりました。在任中に皆様からいただいた御厚情には御礼の言葉もございません。ありがとうございました。

 私が花園大学文学部史学科に着任したのは、1999年4月1日のことでありました。それまで20年の永きにわたって花園大学の考古学分野を担当されてきた伊達宗泰教授が定年を迎えられたため、その後任となったのです。その時、私は京都文化博物館の学芸員の職にあり、ちょうど40歳になったところでした。京都に産まれ育ち、京都をフィールドとして研究活動を続けてきた私にとって、京都に所在する大学としての花園大学での考古学担当教員というポストは、まさに願ってもないものでした。私は、花園大学への就任が決まった時の嬉しさを生涯忘れないだろうと思います。

 それから、8年の歳月がたちました。最初は専任講師という待遇を受けていましたが、学内の御理解を得て2年後には助教授へ、さらに2年後には教授へと昇進させていただくことができました。この8年間は、研究者としての私にとっては、確かに大きな飛躍の時期だったと思います。それは、私の著作目録講演・学会発表一覧に如実に現れていることと思います。また、花園大学歴史博物館の創設にかかわり、その運営にたずさわったこと、花園大学人権教育研究センター副所長という仕事をやらせていただいたこと、所属する文学部史学科の学科主任を3年間にわたって務めたこと、花園大学の改革・改組問題について微力を尽くしたことなど、得難い貴重な経験を積み重ねることができました。40歳代という、人生にとって重要な時期をこうして充実させることができたことは、本当に幸福だったと思います。そして、何よりも貴重だったのは、花園大学考古学研究室に集う、学問的熱気溢れる学生諸君という、他の何にも替えがたい宝物を持つことができたことでした。

 来る4月1日には、同志社女子大学に赴任する予定でおります。今後ともなにとぞよろしく御指導御鞭撻賜れますようお願い申し上げます。また、「平安京閑話」にも、変わらぬご支援をいただければ幸いです。
 略儀ながら、ブログの場をお借りして、皆様にご挨拶申し上げます。

                  花園大学文学部教授 山田邦和

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Hanadai_1
(写真:花園大学無聖館<むしょうかん>。この4階に歴史博物館が入っている)

 昨3月30日、辞令交付式があり、学校法人花園学園理事長より退職辞令を受けた。尊敬する学長老師にご挨拶させていただく時には、思わずウルウルとなりそうになって、言葉につまりかけた。その後、学内を歩いていると、何人もの教職員と学生の皆さんに出会う。数人の職員の方からは、びっくりするほどに固い固い握手を求められ、それによって私は、自分が花園大学でやってきたことが決してムダではなかったことを信じることができた。ありがたいことである。

 自分の人生に、大きな節目となる時が来た。さようなら、花園大学。そして、これまで、本当にありがとうございました m(_ _)m。


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