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■主要な研究テーマ
(1)須恵器生産の展開
古墳時代から飛鳥時代にかけての須恵器の生産と流通の研究。特に、「7世紀代における須恵器の地域色の発現」「装飾付須恵器および特殊須恵器」「須恵器生産の開始」などのテーマを追究してきました。その内容は、博士学位論文となった『須恵器生産の研究』(1998)に結実しています。さらに、博士論文以降の研究の一端は、「大阪府檜尾大塚原4号墳出土の異形の須恵器子持器台」(2000)や「須恵器環状台連結ハソウとその系譜」(2004)、「須恵器の編年(1)西日本」(2011)、「森浩一 学の稜線〜須恵器の編年」(2014)、「森浩一の須恵器研究」(2017)に示しました。
これに関連して、古墳については「京都府宇治市木幡古墳群の意義」(1993)、「京都市遠山黄金塚1号墳の再検討」(2007)、『日本葬制史』(共著、2012)などがあります。
さらに、須恵器研究の方法論を応用した海外の焼物研究として、「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」(2016)もあります。
(2)平安京・京都の都市構造論
平安京・中世京都およびその周辺都市の都市構造の展開をたどります。考古学的知見を中心としながら、そこに文献史学・歴史民俗学・歴史地理学等の成果を取り入れる研究を続けてきました。『平安京提要』(分担執筆、1994)、「京都の都市空間と墓地」(1996)、「鴨川の治水神」(2000)、「伏見城とその城下町の復元」(2001)、「『前期平安京』の復元」(2002)、「院政王権都市嵯峨の成立と展開」(2005)、「中世都市嵯峨の変遷」(2005)、「桓武朝における楼閣附設建築」(2007)、「伏見城・城下町の研究史と陵墓問題」(2010)、「平安京の都市構造変遷」(2015)、「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」(2016年)など、数多くの論文があり、その主要なものは『京都都市史の研究』(2009)、『日本中世の首都と王権都市―京都・嵯峨・福原―』(2012)、『変貌する中世都市京都(京都の中世史7)』(2023)としてまとめました。
京都以外の古代・中世都市の研究として「『福原京』の都市構造」(2005)、「福原遷都の混迷と挫折」(同左)、「日本古代都城における複都制の系譜」(2016)、都市史研究の方法論を論じたものとして「中世京都都市史研究の課題と展望」(2006)などもあります。
平安京・京都研究から派生した政治史等の研究として、「保元の乱の関白忠通」(2009)、「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(2015)、「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」(2016)などもあります。
さらに、学問的成果を一般の読者にも還元するためのものとして『カラーブックス 京都』(1993)、『日本の古代遺跡・京都II』(共著、1992)、『京都検定 問題と解説』第3回~第13回(分担執筆、2007~2017)。「歩いて楽しむ京都の歴史」(2010~2012)、 『歴史家の案内する京都』(共編著、2016)、『京都 知られざる歴史探検』上・下(2017)などの著作を公にしている他、『京都で学ぶ日本の歴史と文化』(2002)、『とらべる京都 虎の巻―ツアーリーダーうんちくブック―』(2006)といったものの監修にもたずさわりました。
(3)古代・中世の天皇陵
特に、従来触れられることの少なかった奈良・平安時代の天皇陵について研究しています。『歴史のなかの天皇陵』(共編著、2010)、『歴史検証 天皇陵』(分担執筆、2001)所載の諸論文(神代3陵、神武・元明・桓武・淳和・嵯峨各天皇陵)のほか、「天皇陵のゆくえ」(2002)、「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(共著、2003)、『文久山陵図』(分担執筆、2005)、「平安時代天皇陵研究の展望」(2006)、「後白河天皇陵と法住寺殿」(2006)、「太皇太后藤原順子の後山階陵」(2007)、「平安時代前期の陵墓選地」(2011)、「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」(2016)、「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」(2016)などがあります。
(4)考古学の歴史
日本における考古学の発展過程を検討するとともに、その関連史料を収集しています。「やがて帰らぬ君ぞ悲しき―白井光太郎博士の一書状―」(1986)、「寛政『古圖』所載の考古資料―美濃国野口村発見の古墳遺物など―」(1988)、「『文化山陵図』の一写本―家蔵考古学史史料の紹介と検討―」(共著、1998)、「『神武天皇陵』の一資料―橿原神宮保井文庫旧蔵『畝傍御陵書文献』―」(2004)、「日本人が描いたピラミッド」(2006)などにその成果を示しました。
(5)その他
考古学・古代学の方法論、文化財の保護と活用、といったテーマについての考察の一端は、「記号の役割」(2006)、「京都・歴史遺産の活用と世界遺産」(2005)、「考古学とは何か」(2006)、「埋蔵文化財をめぐる社会システムの混迷」(2007)、「中世史と考古学」(2015)などに示しています。
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■詳しい履歴
1959年2月3日:京都市上京区の京都府立医科大学附属病院にて生まれる。京都市中京区の自宅で育つ。
1965~71年:京都市立富有小学校 入学~卒業
1971~74年:京都市立銅駝中学校 入学~卒業
1974~77年:同志社香里高等学校 入学~卒業
1977~81年:同志社大学文学部文化学科文化史学専攻 入学~卒業 (卒業論文『須恵器生産転換期の諸問題』)
1981~83年:家業に従事。そのかたわら、同志社大学大学院聴講生。
1983~85年:同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻博士課程前期 入学~修了(修士論文『須恵器生産展開過程論』)、文学修士。
1983~85年10月:(財)古代学協会 平安博物館研究嘱託(考古学第3研究室)
1983年:エジプト・アコリス遺跡第3次発掘調査に参加(調査員)
1985年10月~1986年9月:(財)古代学協会研究員・平安博物館助手(考古学第4研究室)
1985年::エジプト・アコリス遺跡第5次発掘調査に参加(調査員)
1986年10月~1989年3月:(財)京都文化財団 歴史研究室研究員
1988~1989年:(財)京都文化財団 京都文化博物館学芸員(学芸第2課)
1989~1992年:(財)古代学協会研究員・古代学研究所助手(第3研究室)(出向)
1992~1999年:(財)京都文化財団 京都文化博物館学芸員(学芸第2課)
1997年3月:博士(文化史学)(同志社大学)(博士学位論文『須恵器生産の研究』)。
1999~2000年度:花園大学文学部史学科専任講師
1999年:『須恵器生産の研究』により「第8回雄山閣考古学特別賞」受賞
2001~2002年度:花園大学文学部史学科助教授
2003~2006年度:花園大学文学部史学科教授
2003~2006年度:花園大学人権教育研究センター副所長(兼任)
2007年度~現在:同志社女子大学現代社会学部社会システム学科教授
2008年:ヴェトナム、タンロン皇城跡発掘調査
2012年4月~6月:同志社女子大学入学センター所長(兼任)
2012年4月20日: 急性肺炎および急性心不全を患うが、九死に一生を得る。7月に心臓手術を受け、退院
2017年度~2021年度:同志社女子大学史料センター長(兼任)
2022年10月:上行大動脈瘤・心臓弁膜症の手術を受ける
◼︎非常勤講師など
1989~2011年度:同志社大学文学部嘱託講師
1995~2006年度:同志社女子大学嘱託講師
1995~2002年度:佛教大学通信教育部非常勤講師
1999年度:財団法人古代學協會・古代学研究所非常勤講師
2000~2001年度:神戸大学文学部講師
2001~2003年度:大阪芸術大学通信教育部非常勤講師
2002年度:佛教大学文学部非常勤講師
2003年度:京都大学大学院文学研究科非常勤講師
2003~2004年度:放送大学客員教授
2008年度:京都府立大学大学院文学研究科非常勤講師
2011年度:大阪大学文学部非常勤講師
2016年度~現在:京都橘大学文学部非常勤講師
2019年度:立命館大学文学部非常勤講師
◼︎学会の役職など
2003~2005年:古都の森・観光文化協会監事
2005〜2012年:有限責任中間法人日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会全国委員
2005~2007年:日本史研究会研究委員(古代史部会担当)
2005~現在:文化史学会監事
2007〜2012年:財団法人古代學協會評議員
2008~2011年:京都民俗学会監査
2009年:文化財保存全国協議会第40回記念京都大会実行委員会事務局長
2009~2011年:条里制・古代都市研究会事務局長
2010〜2012年:一般社団法人日本考古学協会 理事
2011〜2013年:条里制・古代都市研究会 会計委員
2012~2015年:財団法人古代學協會(後、公益財団法人古代学協会)理事
2013〜現在:条里制・古代都市研究会 評議員
2015年~2017年:一般財団法人朱雀基金 理事
2015年~2019年:公益財団法人古代学協会 参与
2016年:世界考古学大会第8回大会(WAC-8)(於京都市・同志社大学)に実行委員として参加
2016年~現在:国際京都学協会 理事
2019年〜現在:公益財団法人古代学協会 理事